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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~恋の回転木馬篇~
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377話 アズラエルへの依頼と、ネイシャの悩みごと 2


 キラが昼食をつくると聞いたアズラエルは、今日の昼食はカレーで、ついでにそれが残って、夕飯にも食べられることを大いに期待していた。


 とにかくロイドの辛味に関する味覚が破壊的だったとしても、キラがつくるカレーは美味かった。店を開いて客を呼べるレベルであるのは間違いない。はじめてキラのカレーを食べたときはさすがの彼も胃をやられたが、キラは普通の辛さのカレーをつくれないわけではないのである。


 アズラエルはじゃがいもとレンズ豆のシンプルなカレーが好きで、キラにリクエストしておいたから、鍋のひとつはそれだろう。


 昼食は、さっき、中央役所のカフェで、リサとセルゲイと一緒に取った。


 アズラエルだけが屋敷に帰らず、まっすぐにK07区へ向かっていた。ひさしぶりに自家用車を運転して。


 ナビをつかうこともなかった――店は、非常に分かりやすい場所にあった。山道の入り口、コンビニエンスストアとガソリンスタンドがいっしょになったつくりの、ずいぶん寂れた店構え。ドライブインというやつだ。


 ガラス張りの、店内がすっかり覗ける仕様の店舗は、入りにくいという印象は抱かないが、ほんとうにやっているのかどうか、疑わしい様子ではあった。


 乱雑に並んだ業務用テーブルと、パイプ椅子。会議室かここは、と口の中だけでつっこみながら、アズラエルは「営業中」の札が下がったドアに向かった。


 アズラエルは、外から、カウンターに立っているクシラのほかに二名、知った顔を見つけて、驚いてふたりの名を呼んだ。


「ペリドット――アントニオ?」

「やあ」

「時間どおりだ」


 カウンターに座っているのは、ペリドットとアントニオだった。店内には、ほかに客はいない。クシラが言ったとおり、夜からゲイバーと化すが、日中は客がほとんど来ないというのはほんとうらしかった。


「おまえら、クシラと知り合いなのか」


 アズラエルの問いには、クシラが静かに答えた。アズラエルの分のコーヒーをドリップしながら。


「ここ十数年ほどの、たいしたことない付き合いだ」

「俺たちは、そんなに生きねえからな」

 ペリドットが言い、「単位が違う。だが、俺たちにとっては、長いほうかもな」

「そうだね」

 とアントニオも言った。


 アズラエルは、その言葉で、クシラがおそらくナキジンたちと同様、寿命の単位が一ケタ違うであろうことを推測した。


「俺を呼んだ用件は?」


 アズラエルをこの店に呼んだのはクシラだったが、ペリドットとアントニオが同席しているところを見ると、やんごとない事情であろうことは伺えた。


「まあ、座れ」


 クシラはアントニオの隣の席を示した。ネルドリップで、丁寧にしずくを落とした、時間をかけて抽出(ちゅうしゅつ)した一杯が置かれる。

 アズラエルは座り、コーヒーを口にした。それがとにかく、びっくりするほど美味いことは、アズラエルにもわかった。


「あと何日で、受講は終わる?」

 クシラは聞いた。


 アズラエルを含む屋敷のメンバーが、宇宙船の役員になるために通っている講習のことだろう。


「俺は、あと二ヶ月くらいかな」

 地球に着くひとつきまえには受講が終わるように、予定を組み立てた。


「あと、二週間で取れねえか」

「!?」


 クシラの言葉に、アズラエルはせっかくのコーヒーを吹くところだった。


「二週間!?」


「一日八時間とか、ギチギチに詰めて、なんとか二週間で受講を終わらせられないかってこと。夜間講習も手配しておくから、なんとか」


 アントニオまでそんなことを言いだしたので、アズラエルはさすがに文句を言った。


「なぜ、そんなに急ぐ必要がある」

「おまえを、地球に着くひとつきまえまでには、役員にしたい。そのためには、受講をあと二週間で終わらせてもらわなきゃならないってことだ。――こっちにも、いろいろ手配しなきゃならんことがあるんでな」


 ペリドットも言った。


「俺がそんなに早く役員になると、なにかいいことがあるのか」

 特典はついてきそうにもなかった。それどころか、面倒なことが待っている。アズラエルは直感でそう思った。


「ひと仕事してもらいたい。グレンの件で」

 言ったのは、クシラだった。


「グレン?」


「仕事の詳細は、ギリギリまで教えることはできない。だが、おまえだってわかってるはずだ」


 クシラはカウンターに手をつき、アズラエルの顔を覗き込んだ。


「“すべてが終わった”んだってことは、魂がわかっていても、まだ心は引きずられてるってことがな」


「……」


 なんとなく、クシラの言わんとすることは分かった。

 その引きずられた心とやらのせいで、アズラエルはラグ・ヴァダの武神との決戦を前にして、宇宙船を降りた。アズラエルは、あの選択が間違いだったとは思っていない。

 だが、「最後のリハビリ」は終わった。アズラエルの心は、胸のど真ん中に落ち着いた。

 グレンはまだ、過去からひっかけられた糸が、解けないらしい。


「とにかく、君はなんとかして、二週間で受講を終えてくれ」

 アントニオは熱心に告げた。


「分かった」


 傭兵としてのアズラエルを雇うのではなく、「派遣役員」のアズラエルに仕事をさせたいのだということは、分かった。依頼金三百万デルそこそこの金額を、この三人が払えないわけがない。傭兵が必要ならば、傭兵出身の役員はいくらでもいそうなものだが、そちらではダメらしい。

 アズラエルにしか、できない仕事だというわけだ。


「それから、これはルナへの伝言だ」

 ペリドットはついでのように、口にした。

「黄金の天秤は、たしかにおまえのものだが、そうそう、気安く扱うなよ、と」





「ぴげっ!」

 ルナはくしゃみをした。

「ぴ、ぽぺっ――っぷし!!」


「ルナ姉ちゃん、だいじょうぶ?」


 ネイシャが心配そうにのぞき込んだが、ルナの顔色は見て取れなかった。なにしろ、店内は暗いのだ。

 

 ひとの顔が見えなくなるほどではないが、ここはK12区、銀河商舎(ぎんがしょうしゃ)店内にある、プラネタリウム・カフェ。

 

 キラキラと天井からこぼれてくる星屑(ほしくず)の光が壁やテーブルに映ってとても美しかったが、顔色まで伺える明るさではないのだった。


「だいじょうぶ――だれかが噂をしてるかも!」

 ルナは言いながら、鼻をかんだ。


 そういえば、今朝、サルビアが出かける前に、

「ルナ、黄金の天秤は、ゆめゆめ、軽々しくあつかってはなりませんよ」

 とかつてのサルーディーバを彷彿(ほうふつ)とさせる口調で、ルナに言った。

 ルナは「うん!」と元気よく返事をした。そうしたら、アンジェリカまでが、でかける間際、

「ねえルナ、黄金の天秤には、ちゃんと役目がくるときまで、触らないほうがいいと思う」

 と言ったので、ルナはびっくりして、「……うん」とうなずいたのだった。


 そもそも、黄金の天秤はクローゼットにしまいっぱなしだった。

 先日、アニタが真砂名神社の階段を上がったときに、夜の神様に言われて持ってきた以外は、ずっと段ボールに入れたまま、クローゼットに置いてあって、ルナは触っていない。


「……」


 ルナは、そんなに心配しなくても、つかいかたも分からないし、うさこが来たときしか、きっとつかえないのに、と思いながら、惑星カラーのpi=poウェイトレスの声を聞いた。


『食後のお飲み物をお持ちしてよろしいですか?』

「はい!」


 ほどなくして、ルナは銀河サイダー、ネイシャには、木星カクテルが運ばれてきた。ふたりはキレイだのステキだのと言いながらはしゃぎ、ルナは瞬く間に、天秤のことは忘れた。

 

 ネイシャをこのプラネタリウム・カフェに連れて来たのはルナで、ピエロは本日、中央区のマンションで、ツキヨとリンファンに、もみくちゃに可愛がられているはずだった。


 あまり元気のなかったネイシャが、店内に入るなり顔が明るくなったのを見て、ルナは連れて来てよかったと思ったのだった。


 新しい屋敷に引っ越したその日に、相談に乗ってとネイシャに言われてから、ずいぶん経っていた。 


 日々をピエロの世話に追われていたことや、みんなが講習に通いだしたこと。アニタとニックのことも含めて、なんだか妙に気ぜわしくて、ゆっくりネイシャの話を聞いてあげることができなかったルナだったが、気にはなっていたのだった。


 今日は土曜日。学校も休みだったし、ルナはやっと、ネイシャを連れてでかけることができたのだった。


 銀河商舎の雑貨をあちこち見て回ってから、店内のプラネタリウム・カフェに腰を落ち着け、ふたりでキッシュだのパスタだのが乗ったランチを食べ、おなかもいっぱいになったころ、ルナはおもむろに切り出そうとして、盛大なくしゃみをした。

 

「あたしが恋の相談に乗れるかなあ。たぶん、恋はリサが百戦錬磨だと思うのだけども」

「え?」

「え?」


 ネイシャが「え?」と言ったので、ルナも「え?」と聞き返した。


「え? ――あ! そか」

 ネイシャは焦り顔で、あわてて言い直した。

「あの、えっと、あたしがルナ姉ちゃんに相談に乗ってほしかったのは、恋のこととかじゃなくって、」


「ちがうの!?」


 ルナの早合点(はやがてん)だっただろうか。ルナは、あの夢を見たこともあって、ピエトとの恋愛相談かと思っていた。それとも、新しくできた彼氏のことか。


 ネイシャは顔の前で両手を振り、


「ちがうの――あ、このあいだできたっていったカレシはね、――カレシっていうか、その人とはもう、別れたから。あたしがルナ姉ちゃんに相談したかったっていうか、聞きたかったのは、あの、」


 ネイシャはおずおずと言った。ルナのほうを見ずに。


「その――ZOOカードで占って欲しかったの。あたし――あたしにも、その、運命の相手って、いるのかなって――」


「え?」


 ルナが聞き返すと、急に、ネイシャの声色が、沈んだ。


「こんなあたしでも――恋なんて、できるのかな」


 ルナはやっぱり、恋愛相談だと思った。でも、ネイシャが、ほんとうに聞きたいことはなんなのか、まだ分からなかった。


 ちいさな騒めきと、星屑がきらめく店内で、ルナはネイシャの話を聞いた。


 ネイシャがあのとき――新しい屋敷で再会したとき、「彼氏ができた」といった相手は、アストロスでほんの一週間つきあっただけの、マルカ出身の少年だということが分かった。


 ネイシャが、オルティスやアンと一緒に、アストロスのメンケント・シティに避難していたときに出会った、同じホテルに宿泊していた十七歳の少年、ビリー。


 彼と関係を持ったことも、連絡先を交換したことも、ネイシャは母親に話せなかった。

 いまも話せていない。このことを知っているのは、アンだけ。


 みんながアストロスや宇宙船を守るために戦っていた。はじめての恋人に浮かれている場合ではないと、思ったこともあった。

 しかし、アンはネイシャの行動を止めなかった。オルティスは鈍いから気づかなかったが、アンは気づいていた。そして、ネイシャの恋を応援してくれた。


「ビリーはたぶん、軽いタイプのヤツだと思う。おっきくなったら、ミシェル兄ちゃんみたいになるかも」


 ルナは、メンズ・ミシェルが軽いタイプに見えているということに驚いたが、ネイシャが、そういうタイプの男性と、あっさり関係を持ったということも驚いた。


「口説きなれてたもの。たぶんね、あたしは、避難先での暇つぶしだったんだと思う――でも、そうでもないのかな? あのあとも、何回か連絡が来たし」


 けれども、ネイシャは、ビリーが寄こした電話に、一度も出なかった。


 ビリーという十七歳の少年は、マルカ生まれの裕福な少年で、アストロスへは家族で旅行に来ていたのだった。運悪く、メルーヴァの到来という災難に巻き込まれたが、交通が回復したあと、すぐさま両親とともにマルカに発った。


 ネイシャの話を聞くかぎりでは、ビリーは本気でネイシャと付き合いたいと思ったのかもしれない。けれども、ネイシャはビリーの連絡先が入った携帯電話を、捨ててしまった。


 アストロスに避難する前に、母親に買い与えられた携帯電話を、ネイシャは宇宙船にもどる前に捨ててしまった。恐ろしくなったのだという。

 

「よくわかんない。あたし、おかしくなってたのかも。だって、いいヤツだとは思ったけど、ビリーのこと、好きなわけじゃないし。でも、――べつにどうしても、だれかと寝てみたかったとか、そういうんじゃないんだ」


 カッコイイと言われることが多いネイシャは、学校で憧れられはするが、女性として口説かれたことはないとルナに言った。ネイシャはピエトが好きだったし、ほかに好きになれる男はいなかった。


 そんなネイシャを、「キレイだ」と言って、積極的に近づいてきたビリー。


「ちょっとうれしかったのは、ホント。あたし、ピエトにもキレイとか言われたことないしね」

「……」

「……流れで寝ちゃったっていったら、ルナ姉ちゃんは、軽蔑する?」

「う、ううんっ!!」


 グレンやセルゲイとの関係も微妙といえば微妙、ライアンともイチャつくような真似をしてしまったルナの前科を考えれば、ネイシャを責めるどころではない。


「避難先は退屈だったよ。メルーヴァのことを知らないひとたちは、ふつうに観光を楽しんでたけど、あたしは、そんなことできなかった。でも、ずっと部屋にいるんじゃ身体にも悪いって、オルティスさんやアンさんが、外に連れ出してくれたんだ。そのとき、会ったの。ビリーに」


「……」


「みんなが無事でもどってくるかなとか、母ちゃんたちには反対されたけど、やっぱり、着いていけばよかったかもしれないとか、あたし、けっこうぐるぐる考えてて――ひとりで部屋にいると、爆発しそうになっちゃって、それで、よくビリーに会いに行った。任務のことは話せなかったけど、……すくなくとも、アイツと話してるときは、よけいなことを考えずに済んだから」


 ネイシャは、重いため息を吐いた。


「……あたしは、ずっと、男の人に苦しめられる呪いがあったでしょ?」


 ネイシャの言葉に、ルナのウサ耳がぴこたんと、立った。


「ずっと一生、あたしは、恋なんかできないと思ってた。おとなの男の人が怖かったし、……ピエトも、今は優しくても、おとなになったら、あたしのことを殴るようになるのかなって」


「ネイシャちゃん」


「でも、そういう呪いを、ベッタラさんや、マミカリシドラスラオネザさんや、ペリドットおじちゃんや、バジおじさんや、ルナ姉ちゃんやみんなが、なくしてくれた。あたしと母ちゃんを、救ってくれた」


 ネイシャはつづけた。


「あたしが一番好きなのは、ピエトなの」


 困った顔で言った。


「あたしはきっと、ずっとずっと、好きだと思う。ピエトより好きなヤツなんて出てこないと思う」




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