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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~恋の回転木馬篇~
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377話 アズラエルへの依頼と、ネイシャの悩みごと 3


 ルナはまた、返事ができなかった。


「でも、ピエトは、そういうのあまり興味がないから。――フローのことでいろいろあったとき、キスしたいっていったんだけど、断られちゃった」

 照れ隠しに笑うネイシャに、ルナは思わず「ごめんね」と謝った。ネイシャは笑った。

「なんで、ルナ姉ちゃんが謝るの」


 ネイシャは、焦ったのだと自分で言った。メルーヴァとの戦いが長引いて、母になにかあったなら、たとえアンやオルティスに止められても、戦場に(おもむ)くつもりでいた。


「そのまえに、一生に一度でいいから、恋みたいなことをしてみたかったの……」


 ビリーに誘われるまま、キスをして、寝た。ビリーは優しかった。彼とのつきあいは、居心地が悪くはなかった。けれども、彼を好きにも嫌いにもなれなかった。心はもちろん開けなかったし、これからつきあっていこうという気持ちにもなれなかった。


「待ってるつらさから逃げるために、ビリーを利用しちゃったのは、あたしかもしれない……」


 ネイシャの決意とは裏腹に、メルーヴァとの戦いは、ネイシャの出番を待たずして終結した。

 そのあとに残った感情は、後悔よりも、怖さだった。


「好きでもないヤツと寝て、ピエトに軽蔑されるんじゃないかってすごく不安だったんだけど、ピ、ピエト、のやつ、」

 急にネイシャがしゃくりあげた。

「だいじょうぶかって、す、すごく心配してくれて、あたしが、無理に、そういうことを、されたんなら、ピ、ピエトが殴りに行くって、ビリーを、」


「ネイシャちゃんは、携帯をなくしちゃって、よかったのかも」

 ルナは、自分より大きなネイシャを抱きしめながら言った。

「無理やりとかだったら、ほんとにピエトは、ビリー君を捜しだして、殴っちゃうかも」


 そういう行動力は、ピエトはすごいから、というと、ネイシャは泣き笑いをした。


「でも、ビリー君が、ネイシャちゃんのことを好きだったら、ちょっとかわいそうだったかもね」

「――かも。でも、どうかな。すぐ忘れるよ、あたしのことなんか。だって、信じられないくらいお金持ちのお坊ちゃまだもん」


 ネイシャは確信を込めて言った。


「やっぱりあたしは、ピエトが好きだ」

「――うん」

「すごく好き。でもきっと、ピエトは――すごい頭のいいヤツだから、傭兵にはならないんじゃないかって、どこかで予感がしてた」

「……」

「……あたし、離れ離れになっても、またピエトに会えるよね? ずっと仲良しでいられるよね? ピエト、あたしのことを忘れちゃわないよね?」

 

 ――ああ、そうか。


 ルナはやっとわかった。

 ネイシャは、ピエトと離れて、ピエトがネイシャのことを忘れてしまわないかどうかが、ずっと不安だったのだ。


 おそらく、それはピエトだけではない。


 メリーゴーランドで、離れたところにいるピエトを――そしてセシルとベッタラを、せつなげに見つめていたネイシャ。


 生まれたときから呪いに苦しめられ、セシルとずっと支えあってきたネイシャ。その母親とも、地球到達後は、離れ離れになるのだ。セシルはベッタラの故郷へ向かい、ネイシャはL18のメフラー商社で傭兵となる。


 いっしょにいくはずだったピエトは、別の道を歩み出している。


 きっとネイシャは、ひとりL18に向かうことが、不安になりはじめたのではないのか。


 ネイシャと出会ったころのピエトは、ネイシャに憧れ、アズラエルの養子になったこともあって、傭兵になると息巻いていた。ピエトがL85で暮らしていたころ、ピエトがいた集落は、L18の軍が派遣した認定傭兵が守っていた。傭兵は、ピエトにとって強さの象徴だったのだ。


 けれども、ピエトはふつうの子どもよりもずっと頭がよかった。IQだけでいけば、もしかしたらクラウドを越えるかもしれないとの結果が出ている。


 最近ピエトは、それを自覚し始めたのか――それとも、傭兵になるためには、ルナやアズラエルと離れなければならないということがイヤで、別の選択肢を見つけ出したのか。


 ルナにも、本当のところは分からない。ルナもアズラエルも、そして相談に乗っているクラウドもセルゲイも、ピエトの目標は聞いていないからだ。

 みんなは、ピエトの自由にさせたいと思っていた。ピエトがなにか言ってくるまでは、聞かないことに決めていた。


 ただ、おそらく、医者になりたいと思っているのかもしれないということは、見当がついている。


『医者になって、アバド病の特効薬を見つけ出したいと思っているのかも』


 セルゲイとクラウドはそう言った。


 しかし、ルナが見た、ZOOカードのピエトの運命は、そんな華やかなものではなかった。そして、ピエトは医者になるけれども、最終的な到達点はそこではない。


 ピエトの運命の相手――恋とは違う、ピエトなしではきっと生きてはいけない、運命の相手の存在がそこにはある。


「彼」は華やかな道を歩み、ピエトは生涯、彼の影となるだろう。そうだ。彼は、ピエトの存在なしでは、文字通り生きていけない――生命を維持できないのだ。


 陰と陽――昼と夜、月と太陽、切っても切れない、真実の運命の相手が、もうピエトのそばにいる。


 けれども。


 ルナは、それをネイシャに告げようとは思わなかった。アズラエルたちにも言っていない。それは、ルナの胸のうちだけに納めていることだった。


 なぜなら、運命は、ぜったいに変わるからだ。


 ネイシャとセシルの呪いが解けたように。ピエトが、アバド病で死ななかったように。


 だから、この先の未来は、だれにもわからないのだ。ほんとうは。

 でも、希望になることならば、ルナは大歓迎だ。


「――ピエトの運命の相手は、ネイシャちゃんなの」

 ルナは言い切った。

「きっとピエトは、ネイシャちゃんより好きになる女の子は、生涯、出てこないと思う」


 ネイシャは目を見張った。――ピエトがネイシャへの恋を自覚するのは、きっと、もうすこし先だろうけれども。

 ふたりが歩む運命は定まらないけれども、ネイシャとピエトが運命の相手であることはたしかなのだ。


「ネイシャちゃんも、たくさん恋をするよ! 自分でもびっくりするぐらい――だって、ネイシャちゃんは美人なんだもの!」


 ルナは両腕を広げた。


「この宇宙船の学校じゃ、ネイシャちゃんより弱い男の子しかいないだろうけど、これから軍事惑星に行けば、ネイシャちゃんよりおっきくて、強い男の子はたくさんいるよ! ついでに言えば、グレンやアズみたいに、口のうまい男の人が、いっぱいね!」


 ネイシャはついに笑った。


「アズラエルさんやグレンさん、そんなに口がうまいかなあ」

「うまかったよ? あたしを口説くときは」


 いきなりネイシャが真顔になった。


「あたし、あのふたりがどうやってルナ姉ちゃんを口説いたのか、ぜんっぜん、想像できない」


 ルナは、銀河色のサイダーを盛大に拭くところだった。「ぷぐっ!」とむせたルナの息が、炭酸の中でぶくぶくしただけだった。


「と、とにかく!」


 ルナは年上の威厳を取り戻すために、ぷっくらほっぺたをしてみせたが、逆効果だった。


「ネイシャちゃんの結婚相手だって、もう出てるんだよ! 見たい?」

「え? 見たい――けど、やっぱやめとく!」


 ネイシャは一瞬、誘惑に揺れたが、すぐに首を振った。


「今から知ったら、もったいないじゃん! ――でもそっか、あたし、恋、できるんだ」

「うん! 筋肉ムキムキのイケメンとね! 結婚するよ!!」

「け、結婚!?」


 ネイシャは飛び上がるほど驚いた。


「結婚までは、考えてなかったなあ……あたしって、一回くらい彼氏できるのかなとか、それだけが気になってて」

  

「ネイシャちゃんは、L18に行っても、きっと、さみしくはならないよ」


 ネイシャの目が(うる)んだ。


「レオナさんも、バーガスさんもいる。それから、ザイールさんってゆう、アズみたいな、面倒見のいいかっこいいおじさんもいるよ。ネイシャちゃんにはすぐ彼氏ができるし、それにね、」


 ルナは、ふふっと笑った。――月の女神のように。


「あのお屋敷は、これから先もずっとあそこにある。あそこはみんなの実家なの。ふるさとなの。だから、いつでも帰れるの」


 ネイシャが、ルナの顔を見つめ、それから、うつむいた。ルナはネイシャの想いが分かった。それは、きっと、あのお屋敷から旅立つみんなが、思っていること。


 いくらあそこに屋敷があり、故郷だと思っても、地球行き宇宙船は、おいそれと乗れる船ではない。ふつうは、役員にならないかぎり、自由に乗り降りはできないのだ。


 つまり、帰りたくても帰ることができない場所になる――ネイシャたちには。


 だが、ルナは言った。


「あのね、ミシェルが――えっとね、ミシェルお姉ちゃんのほうなんだけどね、きっと、あと五年もすれば、株主になっちゃうの」


「――え?」

 ネイシャが、驚いて顔を上げた。


「たぶん、アンジェもね、地球到達後には株主になるの。それから、ピエロが成人したら、確実に株主になる。もしかしたら、――ピエトも」


「ウソでしょ」

 ネイシャは、にわかに信じがたい顔で言った。


「ピエトは、ちょっと――まだほんとのところは、分からないんだけども。でも、だから、あのお屋敷に住んでたひとは、いつでも地球行き宇宙船にもどってこれるの。アンジェもミシェルも株主になるから。ピエロは、まだ、もっと、二十年以上も先だろうけど。つまり、あたしもよくわかんないけど、かなりいっぱい株を所有してるひとでなくちゃダメなんだけど、ミシェルとアンジェがそうなるから、ふたりがいいってゆえば、ネイシャちゃんたちは、フリーパスで宇宙船に乗れるの。いつでも、帰ってこれるの」


「……!!」

 ネイシャの顔に、やっと笑顔がもどった。


「カレンも自分で株主になるってゆってたしなあ。お屋敷の中は株主だらけだね。あたしもお庭に畑でも作って、カブでも植えようかなあ。ぬか漬けにもいいし」


 いつもどおり、真剣に脱線しかけたルナだったが、ネイシャは吹き出し――それから、嬉しげに笑った。すっかり、安心しきったように。


「そ、そっかあ……そうなんだ。あたし、また、あのお屋敷に帰ってこれるんだ」

「うん。五年の我慢ね。でも、ネイシャちゃんはあっちにいったら、恋に傭兵仕事にって忙しいから、お屋敷のことなんてきっと忘れてるよ」


「そうかな」

 ネイシャは、笑いが止まらなかった。

「そうかな」


 何度も、「そうかな」と言って、「あーっ! なんか、すっきりした!」とオレンジジュースでできた木星カクテルを一気飲みした。もちろん、酒は入っていない、ジュースのカクテルだ。


「ミシェル姉ちゃんやアンジェ姉ちゃんが株主になって、ルナ姉ちゃんがカブを植える――そしたら、ルナ姉ちゃんがつくった、カブのスープが食えるのかな」

「そうかも!」

 ルナは叫んだ。

「今日はカブが入った、ごろごろ野菜のスープをつくろう!」

「あたし、ルナ姉ちゃんがおばあちゃんになるとこも、ぜったい想像できない」

「なんで!?」


 ルナにペちぺちされたネイシャは、ぺちぺちし返しながら、いつまでもおかしげに笑うのだった。ネイシャの中にあった小さなブラックホールは、すっかり消え去ってしまったようだった。




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