374話 真砂名神社で元気じゃない白ツル 3
『アニタは、アストロスに生まれる前、L72に生まれている』
なぜか、リサがだれよりも熱心に聞いていた。
『アニタは男で、ふたりの娘の父親だ。娘は、クシラとニック。まあ、よく働くし、元気で気のいい男だったのだが、唯一の欠点は、酒グセが非常に悪いというところでな』
ルナたちは、顔を見合わせた。アニタも、酒グセが悪いと言えば悪いかもしれない。ふだんからハイテンションなので、あまり違いが分からないが。
『その、最悪の酒グセで、ふたりの娘の結婚を台無しにしているんだ』
夜の神の説明のたびにめくられていく絵本のページ。そこには、大酒乱のツルが結婚式場を大混乱に陥れている絵があった。
「これって――アル!?」
レディ・ミシェルが指さした絵本の新郎ウサギは、ベージュ色のウサギ。あんな大酒乱の父親を持つ娘とは結婚させられないと、ベージュ色のウサギは、自分の親戚たちに連行されていく。涙目で、それを見送る花嫁クジラ――。
『とにかく、この酒グセのせいで、アニタは仕事を三回もクビになり、クシラとニックの結婚を、一度ずつ邪魔している』
「……」
『幸運というべきか――彼は酒で身体をやられて長生きはしなかった。そのため、娘ふたりも婚期は送れたが、結婚はできた』
「わか、わかった!」
リサが、手を打った。
「つまりアニタさんは、その酒乱親父だったころの罪を抱えて上がっているのね? それで、二日酔いのときに上がる羽目になって」
「アニタさんがフラレ続けるのも、もしかして、娘たちの結婚を邪魔したから?」
レディ・ミシェルも聞いた。
『そうだ』
夜の神はうなずいた。
『男色家を好きになるというのは、三千年前、ニックと部下がともに倒れた姿を見て衝撃を受けたということからきている。だが、そもそも三千年前、ニックと結ばれることが叶わなかったのは、もとはといえば、そのまえの前世が原因だ』
「――!」
『アニタは結婚できないというわけではない。だが、一番に縁のあるもの、愛するものとは、なかなか結ばれない宿命にある』
三千年の輪廻の間、アニタは一度も結婚していないわけではない。ふつうに恋をし、結婚もしている。
けれども、それは、ニック以外の相手と、だ。ニックという運命の相手とは、決して結ばれない宿命を繰り返していた。
しかも、失恋のせいの八つ当たりや、酒におぼれての大失態で、身近な人間の恋や結婚をぶち壊しにしていることが、けっこうある。
そのため、来世も運命の相手と結ばれない。
そういうパターンの繰り返しが多いのだと、夜の神は言った。
幸せな人生がないというわけではなく、「運命の相手」に関して以外は、素晴らしい人生を歩んでいることも多い。幸運もたっぷり持っているし、偉大なことも成し遂げていたりする。
ルナは、夜の神の言葉を聞きながら、なんだか自分と似ているなあと思ったのだった。
ふと思い出す。
ニックはよく言っていた。ルナとアニタは、どこか似たところがあると。
「繰り返し」に、「運命の相手とは結ばれない宿命」。
――たしかに、似ているかもしれない。
『ようするに、アニタの恋が成就しないすべての原因は、そこにある――見ていなさい』
セルゲイの左手が、夜の神の黒衣になった。その黒衣が、階下の黄金の天秤にかざされると、天空から、ふわふわと白い羽が降りてきた。白鳥の羽のような、ひとひらの、真っ白な羽――。
その羽が、ルナたちから見て、左の天秤の皿に乗った。夜の神は、アニタのカードを指で弾き、天秤の右側の皿へ乗せた。
『“マァト”』
夜の神が唱えると、ガチャーン! と金属の扉が閉まるようなすさまじい音がして、天秤が傾いた。アニタのカードが置いてあるほうが、沈む。
『見ろ、すでに“転換”している』
「て、てんかん?」
ルナは夜の神の言葉に首を傾げた。
『“転換”とは、普段身体の奥で眠っている魂が表に出てくる現象だ。肉体が危機に陥ったり、負けるものかと闘争心を燃やすと出てくることが多い』
「火事場のクソ力ってやつか」
アズラエルもうなずいた。
「あ――うわあ!!」
黄金の天秤の一番近くにいたロイドが飛び上がって、離れた。
アニタのカードが乗っている皿に、真っ黒な瓦礫が山のように積み重なっている。
『これが、最初の状態』
夜の神が手をかざすと、瓦礫が、半分消えた。
『これが、今の状態だ』
アニタが一歩ずつ上がるたび、アニタの皿は浮き上がっていく。瓦礫がサラサラとこぼれ、砂となり、消滅していく。
『階段の半分まで上がると、だいたいの大きな罪が許されて、“転換”がはじまる』
罪の第三層――前世の罪の大部分が消え、次の段階、第二層に入っていると夜の神は言った。アニタの酔いどれ親父だったころの罪はすでに消えた。
アニタ自身は、真っ赤な炎に包まれていた。
「燃えてる――!?」
ロイドが真っ青になったが、
『“転換”が起こると、魂の姿が表れる。そうなれば、守護している神が力を貸す。アニタのツルは、太陽の神だ』
「おまえさんらも、はじめて階段を上がっとるときは、こうなっとったんじゃぞ? 神官あたりでものすごく“目”のいいやつは、こういった状態が見えたりする」
ナキジンが言った。カンタロウも、目を凝らして様子を見ている。
「わしも見るのは初めてや。今日は神さんがおるから、特別に見せてもろうたんかの」
第二層は、神の力が働くから、いったん楽になる――夜の神がそう言ったところで、
「ホゲアアア!!!」
奇声が階下まで聞こえて来たと思ったら、アニタが頭を抱えてぶっ倒れた。
「もうだめ……あたしはだめ……」
あと二十段というところで、やる気に満ち満ちていたアニタをどん底に突き落としたのは、頂上でアニタを見下ろしているクシラとアルベリッヒだった。仲がよさそうなふたりを見たら、急にやる気が萎えたのだ。
「イチャイチャしないで……そこでイチャイチャしないで……やる気マジ失せる」
アニタは絶望的な顔でつぶやいたが、小さな声は、ふたりには届かなかった。
「チッ! 根性ナシが」
急に動かなくなったアニタを見て、クシラは吐き捨て、なにを思ったか、いきなりアルベリッヒの胸ぐらをつかみ、「ブッチュウウ♡」という擬音でもしそうなキスをした。
「悔しかったら、上がってこい――」
そう言って、アニタに向き直ったクシラだったが、アニタは完全に倒れ伏していた。
「うあああああん!!! ばがあああああああなんであだぢをいじめるのぼおおおおおう!!!」
そして、ついに号泣した。
「しまった、逆効果だったか」
クシラは舌を出した。隣では、アルベリッヒが真っ赤な顔でひっくり返っている。
「どうぜあだじなんがむりでずようづみなんがぎえまぜんよううう……がれじだっでいっじょうでぎないんだああああ!!!!!」
「……!」
クシラの「しまった」という顔。
アニタは泣きながら、ついに、トボトボと降りだした。
「アニタさん!!」
レディ・ミシェルが叫んだ。
「せっかく、あそこまでがんばって上がったのに――」
「ヒギイイイイ!!! ブベエエエエエ!!!」
すさまじいアニタの泣き声が、階下まで聞こえてくる。
『第二層まで消えているが、最後の第一層が一番難しい』
夜の神は冷静に言った。
『魂が表面化するだけ、魂のキズが表れる。それを越えるのが、ひと苦労だ』
ひと苦労と言いながら、たしかにあと二十段なのだった。天秤には、こぶし大のガレキが残っているのみだ。
「ア――アニタさんがんばって!」
「あと、たったこれきりなのに……」
「あとちょっとよ!!」
リサたちは励ますが、アニタはまったく聞く耳を持っていない。遠吠えのような泣き声を響かせ、一歩、一歩と降りて来てしまう。
「……」
それを見ていたルナが、勢いよくセルゲイの膝から飛び降りて、シャイン・システムに走った。
「ぴぎっ!!」
ルナはまっすぐ駆け、扉に激突した。夜の神が「あ」という顔で見ていた。
アズラエルが冷静に、装置にカードを差し込んでやり――扉が開いた。ルナがそのまま、べちょっとシステム内に倒れ込んだところで、扉が閉まった。
「ほんとに――期待を裏切らないな、ルナちゃんは」
メンズ・ミシェルが、呆然とつぶやいた。
階段の中腹で座り込んだアニタは、絶望の淵にいた。涙が止まらない。
「どうぜあだじは、おんなのごじゃないでずよう……!!」
未確認生命体ですよ……! Tシャツしか持ってませんよ――ジーンズ一週間履きつづけてますよ――リサちゃんたちみたく可愛くありませんよ――。
「そうだ。あたし、一度も可愛いっていわれたことないんだった」
アニタは一瞬正気に返り、自分の言葉に傷ついて、ふたたび汽笛を鳴らした。
「ボエエエエエ!!!!」
元気がいいねとか、明るいねと言われることはあっても、そこが可愛いよねとは、一回も言われたことがないアニタだった。
「アルみたいに可愛くありませんよおおおおおお」
アルベリッヒが可愛い系に属するかは謎だが、とにかくアニタは吠え続けた。
「そんなことないよ。アニーちゃんは、可愛いよ」
いつのまにか、アニタのひとりごとには、返事が返されるようになっていた。アニタは幻聴だと思っていた。
「あたしだっていっぺんくらい、お姫様抱っこされてみたい……!!」
「え? お姫様抱っこがよかった?」
アニタは、だれかの背で泣きじゃくり続けていたのだった。
あったかくて、広くて、大きな背――見慣れた、グリーン☆マートの制服。
「ニッグ――ひゃん」
ずびっと、アニタは鼻を啜った。ニックの優しい笑顔が、そこにあった。
「お姫様抱っこするまえに、上がりきっちゃったね」
アニタは、ニックに背負われたまま、拝殿にいた。
よく考えたら、いつしかクシラの暴言も消えていたし、リサたちの応援の声もなくなっていた。
「到着~!」
ニックの明るい声が、聞こえた。
階下の黄金の天秤では、最後の瓦礫が、クズすら残さず消えうせ――羽を乗せた皿とアニタのカードを置いた皿が、平行の位置を取りもどしていた。
アニタは、ニックの背にしがみついたまま、降りようとしなかった。ニックはコンビニの制服のままだ。最初はいなかった。だれかが、呼びに行ってくれたのだろうか。いつ来たのだろう。
アニタは、階下とニックを交互に見たが、下では、リサたちが手を振っているだけだった。ルナが、さっきぶつけた鼻の頭をさすりながら、「ぺげっ!」とくしゃみをした。
アニタは手を振り返すことも忘れて、ニックに聞いた。
「ニッグじゃん……あだぢをおんぶじで……あがっでぐれだの……?」
ニックは満面の笑顔で言った。
「うん。天使の羽よりずっと軽いよ! お姫様みたいだった!」
「……!」
お姫さま。
アニタは、お姫様なんて、言われたことはなかった。
「ホゴオオオオオオオオ!!!!!!」
アニタは泣いた。ニックにあやされながら、泣いた。およそ、お姫様とはあまりにも遠い咆哮を上げて。




