破門される魔術師
――どうしよう、どうしよう、どうしようっ!
師匠の部屋から追い出されたわたしは、自室に戻ろうか否か、迷っていた。つい先程のことだ。師匠はわたしにある宣告をした。
――「お前は破門だ」と。
当然、わたしは絶句した。そして、頭のなかでは、ゆっくりと思考をはじめた。
師匠に破門されるということは、上級魔術師の道が閉ざされたに等しい。しかも、わたしはようやく下級魔術師に手が届いたくらいの半人前だ。師匠に破門されれば、当然、行くところもない。紹介状なしでは他の師匠を探すのは難しいだろう。
つまりは、はじまってもいないわたしの魔術師人生の終わりを示している。
どうにかならないか、わたしが食い下がったとき、師匠はまたまた人の悪い笑みを浮かべた。
――「ただし、フルグライトとのけじめをつけられれば、破門は取り消す」
一度、「破門」という地獄のような言葉を受けたため、その言葉は救いのように感じられた。わたしはその提案にすがるしかない。「けじめ」の意味をたずねると、師匠はますます笑みを深くした。
――「話はこうだ。あの男、つまりはアルダス・フルグライトと結婚しろ」
――「そ、そんな無理です!」
フルグライト様はわたしと恋仲(口に出すのももったいない)である。2日に1回はわたしの部屋で過ごしているし、たまの休みにはフルグライト様と街へ出てみたりしている。だからといって、結婚なんてまだ早い。フルグライト様が旦那様なんて、嬉しすぎるし、とにかくおそれ多い。
――「エリアル。これは決定事項だ。破門されたくなかったら、フルグライトをものにしてこい。そうすれば、城のなかの我らの地位は安泰だ。愛のある政略結婚……素晴らしいではないか」
師匠は良からぬ企みをしているようだが、わたしは正直、「結婚」のことで頭が一杯だった。白い結婚衣装に身を包んだわたしの隣に騎士服姿のフルグライト様が立つ。そんな夢が実現できるとは思えない。
それに、破門はされたくないとの思いで結婚するのは違う気がする。すべてをぶちまけてフルグライト様が結婚を許してくれるわけがないと思う。でも、魔術師の道も諦めきれない。その気持ちが少なからずあったから、師匠を前にして「わ、わかりました」なんて返事をしていたのだろう。
返事はしたものの、現在、師匠の部屋の前でここから動くべきか迷っている。幸が不幸か、自室にはフルグライト様がくつろいでいるのだ。
今朝、師匠に呼ばれていることを伝えると、彼はものすごく不機嫌な顔に変わった。眉根をこれでもかと寄せて、敵に剣先を向けるかのごとく真剣な眼差しをしていた。わたしの背筋が真っ直ぐに伸びるくらい。
――「今日はずっと一緒にいるはずだっただろう」
そんなことを言って顔をそらすフルグライト様は、すねていた。こういうとき、歳上の男の人に可愛らしさを感じてしまう。
――「フルグライト様」
彼の頬を手で包むと、わたしはそっと額に口づけを落とした。何であんなことができたのか自分でもわからない。それでも、彼は強く抱き締めて「待っている」と言葉で約束してくれた。
そんなフルグライト様のためにも、ずっと悩むわけにもいかない。意を決して、自室の中に入る。まるで、戦場に足を踏み入れるかのように堂々としていなければ、立ち向かえない。大きな壁は目の前にいる。わたしは敬礼するような勢いで背筋を伸ばした。
「フルグライト様、ただいま帰りました」
言葉が返ってくる代わりに太い腕がわたしを抱き上げる。子どもではないのに、彼はたびたびこうする。彼の腕にお尻を乗せて、首に抱きつくと、「よく戻った」と背中を撫でてくれる。フルグライト様の子どもじゃないのに、ほめられたような気がして嬉しい。
「エリアル、寂しかった」
大きな手のひらがわたしの背中からうなじを撫でて、髪の毛をすいてくる。
この甘い雰囲気は……と予想したとき、すでにわたしの唇は彼の唇と重なっていた。角度を変えて何度も吸いつかれる唇がしびれてくる。
どんどん深くなる口づけに苦しくなって、わたしは顔を離した。でも、フルグライト様は追いかけてくる。逃がさないというように後頭部が支えられた。フルグライト様が寝台に倒れると、わたしも必然的にその上に乗る格好となった。
「いい眺めだ」
フルグライト様を見下ろすなんてはじめてだ。しかも、彼は眩しそうに目を細めている。わたしはその視線を追って、気づいた。彼の手によって、魔術師のローブがたくしあげられていたのだ。ただでさえ不健康そうな白い股がさらされてしまっている。恥ずかしい。
すぐに裾を直そうとしたのに、フルグライト様のささやきがわたしの全身の力を奪った。
「抱きたい」なんて、卑猥な言葉なのにフルグライト様の口からなら許せてしまう。求められることが素直に嬉しいと感じてしまう。すべてはこの人のせい。
「い、いいですよ。フルグライト様なら何をされたって平気です」
きっと、わたしの顔は赤い。彼に比べればまだまだ小娘なわたしに、余裕なんかない。ずっと、好きでいてほしい。だから、何をされたって構わない。
フルグライト様は目を見開いて固まっていた。やがて、眉根が寄っていくのを見て、わたしは後悔した。この顔は不機嫌だととらえたほうが無難だと思う。おそらく彼に対する気持ちが重すぎたのかもしれない。
やってしまったと自己嫌悪に陥っていると、大きなため息が聞こえてきた。
「もう無理だ」
「えっ?」
フルグライト様の表情を読み取ろうとしても、腕で目元を隠していて、わたしを見てくれない。
「ずっと、考えてきた。エリアルにこのことを告げるときはどこがいいか、どの場面がいいか。しかし、我慢ならん」
「無理だ」、「我慢ならん」が示しているのはわたしとの関係だろうか。もうお付き合いが無理だとか我慢できないほど嫌だとか、そういうこと?
「エリアル、俺は弱い。中でも、お前のことに関してはまるでダメだ。年甲斐もなく焦っている、他の男にとられはしないだろうかとか、俺が先に死ぬとか」
「そんなこと!」
「そんなことで悩み、落ちこむくらいに俺は弱い」
苦笑を浮かべたフルグライト様は、上体を起こした。
「寝台から降りてくれないか。そして、立ってくれ」
意味はわからないものの、彼の声が固く感じたので、言われた通りにする。ローブの裾を直し、たたずんでいると、フルグライト様は右膝を立ててしゃがみこむ。これは騎士などが目上の人の前でする体勢だ。なぜ、こんなことをするのだろう? 彼の表情はうつむいているせいでわからない。
「手を」
フルグライト様の言うがまま、わたしは筋肉質な手に自分の貧相な手を重ねた。すぐに震える彼の手が強く握ってくる。彼はわたしを仰ぎ見た。快晴を思わせるはずの瞳が揺れている。
「エリアル。俺と、こ、れから、ともに」
後半から声が小さくなりすぎて聞き取れなかった。首を傾げると、フルグライト様は深呼吸をした。彼と繋いだ手がとても熱い。固くつむった瞼が開かれる。
「……俺の妻になってほしい。俺のそばにいてほしい。頼む」
彼はわたしが手を離すのではないかと気が気ではないようだ。額を手の甲に当てて「頼む」と唱えている。離すわけないのに。むしろ、こちらから頼みたかったのに。
「フルグライト様」
呼びかけると彼の肩が跳ね上がった。
「何だ?」
どうしても告げなければならないことがあった。
「わたしは今、破門されそうになっているんです。それで、フルグライト様と、けじめをつければ、破門は取り消すと。師匠の話はそういうことでした。だから、わたし、破門されたくなくて、あなたに結婚してくれませんかって言うつもりでした。だからもし、ここでうなずいてしまったら、ずるい気がするんです。あなたは真っ直ぐな気持ちで伝えてくれたのに」
「真っ直ぐではない」
「えっ?」
「俺はエリアルより歳をとっている。うまい言葉の1つも吐けないこんな男よりも、もっといい相手がいるに決まっている。だが、俺はお前を離したくはない。他の男になど渡したくはない。結婚というものでお前と結びついていたかった。そんな自分勝手な理由で求婚したのだ」
わたしのほうこそ、他の女性にフルグライト様を渡したくない。破門などという理由がなくても、あなたのそばにいたい。
「それで、だ。エリアル、答えは?」
わたしの心はすでに決まっている。
「フルグライト様、喜んであなたの妻になります。ずっと、わたしのそばにいて」
フルグライト様の顔に、普段は隠されている笑いじわが浮かぶ。彼は、「ああ、しあわせにする」と言って、わたしの手の甲に口づけを落とした。
おわり