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第一章 名前と職業と(5)

 以降は一方的だった。

 それまでも同じようなものだったのだが、戸惑いと恐怖に支配された兵士達はなす術もなく倒れていく。目の前にいる存在を否定したい、そんな現実逃避にも似た感情が容易に感じ取れる表情を見せている。私が逆の立場だったならばと思うと、正直その気持ちはよくわかる。

 人体とのバランスなど全く考慮されていない巨大な手甲は、短機関銃の弾丸をまるで豆鉄砲をあしらうように弾く。そしてそこから繰り出される拳は、大砲の一撃にも匹敵するだろう。流石に手加減をしているのか昏倒させるに止まっているが。

 最後の一人には戦意など欠片も見当たらなかった。

「ヒィッ!」

 腰が抜けたらしく這いずるように後退していく。しかし見逃すわけもない。胸倉を掴まれ引き寄せられた男に向けて、それだけで暴力と言えるほどに凶悪な笑顔を向けた後、帯刀さんは尋問を開始した。

「依頼主は誰ですか? まあ予想というか確信はありますが」

「……し、知らない」

 その言葉が依頼主への義理や、これまで培った兵士としての矜持から来るのかは目を見ればはっきりとわかる。そのどちらでもなく、真に知らないだけだ。

 ここまでやって(やられて)知らぬ存ぜぬを通せる道理も義理もないことくらいは、この男もわかっているだろう。ましてやここは日本だ。しかし水那上という権力はそれを隠した上で、こんなことをやってのける。帯刀さんの言う確信とはそういうことなんだろう。

 帯刀さんは男から手を離し、若干疲れの見える笑顔でこちらへと向き直った。

「いまさらですが申し訳ありません。やはりというか、巻き込んでしまいましたね」

 本当にいまさらだろう。しかしそれを責める気にはなれないし、理由もない。太平洋上で拾われた記憶喪失の男には、巻き込まれる以外の選択肢はなかったのだから。命の危機が二度に渡り去っただけでも僥倖(ぎょうこう)だ。

「仕方ありませんよ。こうなるより他になかったで──」

 刹那、空気が弾けた。

 これまで以上の暴力が迫っている。感覚がそう告げる。

「ッ!」

 帯刀さんが咄嗟に腕を交差させると、鐘を丸太で叩き付けたような鈍く重い音が響く。それと同時に、その体が構えた姿のまま後ろに引きずられていった。

「……まだ諦めていない方もいるようで。やってくれますね、対物狙撃銃(アンチマテリアル)ですか」

 驚くべきはそれすらも防ぎきって尚傷一つ見受けられない鉄塊だと思うのだが。

 と、そんなことを考えている間にも次の暴威が迫る。

 しかしパニックに陥りろくに狙いを定めていないせいか、タラップや地面を豪快に抉っていくだけだった。砕けたつぶてが飛び散る。まあ対物ライフルを人間に防がれるなどあってたまるかというのも頷けるので、そこはこの狙撃手の腕を疑うところではないだろう。かろうじて味方を打つには至っていない。

「下がっていてください!」

 守りきれない可能性を考慮したのか、彼の声には少しばかりの危機感が籠められているように聞こえる。


 しかし無情にも、次の軌跡はまっすぐ私に向かっていることを察知した。


 時が止まる。

 声を出す時間も惜しいと思っているのか、帯刀さんがこちらへと走りよって来る。だが流石に間に合わない。

 少し体を捻ればかわすことは十分に可能だろう。しかし今の私には、それをする気にはなれなかった。

 なぜかと言えば、他に選択肢が存在したからである。


 『斬る』という選択肢が。


 剣を振り上げる(・・・・・・・)。もちろん手にはなにも掴んでなどいない。だがこれは間違っていない。そこにはきっと、剣が()る。

 帯刀さんが見せたものとは違う、銀色の光。私の手の中に収束するそれは、一筋の斬線となって銃弾を断ち斬り、分かたれた軌跡が背後で破壊音を轟かせた。


 それはほんの一瞬のこと。そうして世界は思い出したように歩み始め、気付けば私の手には白銀に輝く剣が握られていた。

 その刀身は鋭く、夜を吹き飛ばすような輝きに満ち、吸い込まれてしまいそうな、そんな力強さを感じさせる。華美な装飾とは縁遠い、道具としての本質だけを追求した造り。

 手足の延長のように思えるそれにも不思議と疑問は浮かばなかった。ここに在ることが当然のことだと、自身の思考がそう誘導されていく。

「これは驚き……ましたね」

 帯刀さんは黒目がはっきりと確認できるほどに目を見開いていた。そして狙撃もこれまでの乱射が嘘のように静まり返っている。どちらに対しても有効たりえないとわかった今、あらゆる意味において手詰まりなんだろう。

 さて。どうしたものかな。

 もっとこの状況に対して考えることがあるんじゃないかとかそういうのは置いておこう。出てしまったものはしょうがない。結局のところ記憶が蘇ったわけではないのでアレコレ考えてもなにが変わることもない。ただ私にはこういう特技があったのだ、ということにして納得しておこう。

 なかば諦めの境地に達しはじめた気がするが、とにかくまずすべきことは狙撃手をどうするかである。そこは帯刀さんも同意見なのか、視線を狙撃手のいる方向へ向けなおす。

 残念なことに私も帯刀さんも長距離に対応する術はなさそうだ。すると、

『ウフフフハハハハハハハ敵はどこじゃー!』

 コブラに無理くり取り付けられた外部スピーカーからあまり聞きたくない声がハウリングを伴って聞こえてくる。

 どうやら特攻車両を殲滅し終えたコブラがこちらへと向かってきていた。気付くと既に帯刀さんの手甲は消え去っており、手信号でなにかやりとりをしている。

『──そこかぁー!』

 コブラが滑走路を挟んだ向こう側、山間部に機首を向けると同時。

『ファイヤー!』

 ありったけのTOW(対戦車ミサイル)が火を吹いた。

 もはや戦意があったのかも怪しい狙撃手に、私と帯刀さんは合掌を捧げていた。

 


 全てが片付き、ようやくこれで終わりかと溜息をこぼすと、剣は光の粒となって消え去った。そして待っていたようにすぐ傍から声がする。

「流石にこれほどまでとは思いませんでしたよ」

 まったく同感だ。彼に対してもそうであるし、自分に対しても。あとついでにお嬢も。

「記憶に変化はありますか?」

 それについても全く。静かに首を横に振る。

「そうですか……、しかしあれは……手掛りになりそうですね」

 帯刀さんは難しい顔をしてアゴに手を当てながら、なにか思案しているようだ。おそらくは、あの剣のことについてだろう。

 考えるべき事案は山積みだ。最たるものはもちろん記憶についてだが、焦ってどうにかなるわけでもなく、今回のように少しずつ切っ掛けを掴んでいくしかないだろう。それよりも私は救助される船を間違えたんじゃないだろうか。今後もこうやって水那上に関わる問題に巻き込まれるような予言にも似た予感がこんこんと湧き始めていた。

 しかしいくら考えてもラチがあかない。とりあえず今は、少し落ち着いて休みたかった。


 主に帯刀さんに痛めつけられた兵士達は全員言葉通りにお縄に付いている。

 これだけの人数をどうするのか、ひっ捕らえて護送するだけでも結構な手間になるだろう。それにしても上が喧しかった。

 さっさと降りてくればいいというのになぜコブラは上空を漂い続けているのだ。それに心なしか黒スーツ達の顔が青ざめているような気がする。

「主任……、ヤバイです……」

「ん? どうしました?」

「お嬢様が──」

 嫌な予感しかしない。帯刀さんが顔を手で押えて苦悩の表情を見せているだけでも十分なのだが、振り返るとそこには──

『まだ居たのね、敵が……』

 スピーカーからハウリングに加えてエコーを伴ったお嬢の声が、コブラの駆動音など全く気にしないほどの音量で届けられた。

 なるほど。目は血走り、瞳孔は開ききり、何かヤバイ薬か茸の類でも摂取してしまったのではないかという喜悦に歪んだ顔だった。

 ハハ、いやまさかな。底部でカラカラと回転し続けているのはコブラの機関砲。そしてその照準は縛られている三十余名を含む私達に向けられていた。つまりだ、弾切れしていなければ今頃アレで蜂の巣にされている、なんてことはないよな。

 だがどうやらその予想は間違っていなかったようで、膝の上に悪魔を乗せてしまった本来の砲手が縦筋の入った情けない顔で泣きながら万歳──お手上げ──していた。

『フフフ……、逃げなさい逃げ惑いなさいそう死にもの狂いでお逃げなさいな』

 一呼吸で言い終えたお嬢は最後に高らかな笑い声をスピーカーから響かせ──

私達を含めた動くモノ全てを対象にグレネードを乱射し始めた。

 確か日本は法治国家、治安の良い国だったはずだ。蜘蛛の子が散る様子というのを自分も含めてリアルにピンチな状況ごと体験しようなどとは思いも寄らなかった。

 日本に対する認識を改めなくてはならないだろう。右から左から襲い来る爆音と爆風と衝撃と、耳障りな笑い声をなんとかやり過しながらそんなことを考えていた。



 かくして。

 今ここに全員が五体満足でいられる奇跡を神というものが本当にいるならば感謝する。ロマンチストでもなければなにがしかの信仰を持っているわけではないが、それほどに激しい(味方サイドからの)攻撃だったということをご理解頂ければこれ幸いだ。

 とにかく酷い有様だった。一番生きた心地がしなかったのは痛めつけられた上に両手足を縛られ放置された捕虜達だろう。まあいい薬だとは思うが、芋虫状態のまま爆風に煽られ続けた奴らの中には、虚ろな目で空に向けて笑いかけている者も少なくなかった。

 その可能性は限りなく低いと思うが、狙ってやったのだとしたら大した腕前だ。先も述べたように奇跡的に死傷者ゼロ、捕虜の精神的被害を(かんが)みればそれなりの被害は出ているが、ごっこで済まない実戦の数字としては驚異的だった。

 それもこれもグレネード攻撃が明後日(あさって)の方向に向かってくれたことに由来するのだが、捕虜からしてみれば軽いトラウマになりそうなお嬢のあの顔は、間違いなく当てる気だったろう。

 元々帯刀さんにも黒スーツにも殺意はなかったようで、実は黒スーツ達の持っていた拳銃は特殊ゴム弾を使用したものだったらしい。相手は殺すつもりだっただろうが、色んな意味で相手が悪すぎたと言えよう。詰まるところお嬢のグレネード乱射(毎分四百発)がどちらにとっても真の脅威だった。

「……酷い目に遭いましたね」

「……返す言葉もありません」

 決して帯刀さんに責任は無いのだが、いや、監督不行き届きなのか、深々と頭を下げている。

 なにはともあれ無事である。ここで私までもが精神的負担を()いるわけにはいかない。

「気にしないで下さい」

 彼のトレードマークとも言える笑顔も、流石に疲れたようで疲労の色が濃かった。

「有り難いお言葉です。……さて、お迎えが来たようですね」

 コブラはとうに空の彼方に消えていた。お嬢を降ろした後の砲手の顔は晴れやかで、まるで無罪判決を勝ち取った冤罪被害者のように活き活きとしていたことを覚えている。

 新たにやってきた、今日一日で鼓膜がバカになってしまうんじゃないかと思うほど繰り返し聞いていたヘリの飛行音。形状からしてお迎えは輸送ヘリだろう。さっさとあの危険物を引き取って頂きたい。

 そのお嬢だが興奮冷めやらぬようで、平手を両側に展開した黒スーツ相手にワンツーを繰り出している。ただお嬢がその手を叩くとは限らず、さっきから可哀相なほどボディに良いのを何発も喰らっていた。

「バタバタしてしまい申し訳ありません。私とお嬢様は先にあのヘリで水那上邸へと引き上げます。後のことは部下に任せてありますので、彼らと行動を共にして下さればなんの心配もいりません」

 帯刀さんは名残を惜しむように苦笑していた。

「ありがとうございます」

 本当に世話になった。最後の最後で揉め事に巻き込まれはしたものの、彼の真心は世界に取り残された私にとって、どれだけ礼を述べても足りないもので、出会いは到底得難い貴重なものだった。

「またお逢いしましょう」

 寂しそうな、それでいて親愛が感じられる表情と声だった。真に別れを惜しんでくれている。

 たとえ記憶が戻っても、彼とのこの出会いを大切にしたいと思う。たった二日のことだったが、記憶の片隅に追いやるには濃すぎる内容だったし、なにより返すべき恩がある。そんな決意にも似た意思を籠めて言葉を返す。

「ええ、また」

 お嬢にも一言、と思ったが一瞥(いちべつ)もくれずにヘリに乗り込んでいく。

まあいい、帯刀さんへ向けた感謝に比べたら砂粒に等しく、逆に文句を言いたい気分だ。代わりに帯刀さんへと一礼し、私は黒スーツ達が待つ格納庫へと、腹を押えた一人と共に足を向けた。


                ▼


 そうして、格納庫に納められていた車に乗り込む。すっかり戦闘に時間を取られていたようで、辺りはもう夕焼けの朱に染まっていた。それまでの喧騒を全く感じさせないドライブの中で私は願う。帯刀さんが手配してくれる医師が、彼女から遠く離れた場所に居を構えていることを。


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