二十三章 わたしの光
「ちょっ、人魚さんとの約束はいいんですかっ?」
追っ手の一人に蛙の相手を押し付け、通路を奥へと走り出すヴィンスの護衛二人の後を追いかけながら、流衣は慌てて叫んだ。
約束を反故にするのは間違っていると思うのだ。
久しぶりに人間に会えたと喜んでいたティレナの笑顔を思い出し、自然と気分が沈む。
「約束も大事だが、ネルソフが追いついたんじゃ護衛の方が優先だ。蛙なら、後で手配しとくから平気」
が、心配は杞憂だった。あっさりリッツに返され、ちゃんと事後のことも考えていたのだと感心しつつ、考えの浅い自分が恥ずかしくなった。流衣ときたら、逃げるのだけでも手一杯なのに。
通路後方から、魔法での衝撃音か、もしくは蛙の攻撃音みたいな音が響いてくる。それから出来るだけ遠ざかるべく、ひたすら奥へと走る。靴音がいくつも通路に反響した。
やがて行き止まりに辿り着いた。階段があるが、天井は壁でふさがれている。
「開かないぞ、どうなってるんだ?」
天井を両手で押し上げてみても、蓋ではないのか開く気配がない。リッツは天井をガンガン叩いてみて、やはり開かないので苛立ち混じりの溜め息をついた。
「どこかに仕掛けがあるのではないか?」
ディルの言葉に、皆、壁や床に仕掛けが無いか探し始める。
「お、ここ外せるぞ」
壁をコンコンと叩いていたリドは、空隙の軽い音がした壁の煉瓦を剥がした。そこには輪のついた鎖があったので、それを手前にグイと引っ張る。
ガガガガガと音を立てて天井がスライドしていき、出口が顔を出した。
「流石!」
「やるではないか!」
流衣とディルは歓声を上げてリドを褒める。
リドは「まあな」とだけ答え、にやりと口端を引き上げた。
流衣達はそのまま出口から外へ脱出する。
途端、視界に飛び込んできた太陽の光が眩しくて、流衣は目を細めた。
「うわあ……」
徐々に慣れてきた視界で外を見ると、出口から出た場所はどこかのお屋敷の裏庭のようだった。
左には煉瓦造りの堅固な壁が見え、右にも壁があり、見上げると見張り用の塔が見えた。兵士が外を向いて屹立している。その壁沿いには木や低木、薔薇などが植えられていて、風に流されて甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「石像の下が入口だったんだな」
出てきた出口の方を振り返り、そこにあった女神像らしき石像をしげしげとリドは見た。髪の長い美しい女性が、祈るように手を組んで空を見上げている姿をしている。その台座は真四角だ。
「ここはもしや……」
周囲を見回し、ヴィンスは何か思い出したように呟く。
「この場所、知ってるの?」
流衣がヴィンスの横顔に目を向けると、そこで金属がガシャガシャと鳴る音と重い足音が聞こえてきた。
建物の影から、白い鎧を身に着けた男が二人出てくる。
「真っ昼間から堂々と城に入り込むとは、不届きな侵入者め! 見張りの目から逃れられるとでも思ったのか!」
「大人しく縛につけ!」
二十代半ば程に見える男達は、騎士のように見えた。兜は被っていないが、白で統一された制服と鉄製の鎧を身に纏い、腰の高さまでの短めの青い色をしたマントを着けている。彼らは流衣達がいるのを知っていたらしく、それぞれ警戒たっぷりの表情でスラリと剣を抜いた。
流衣は声を失くして凍りついた。
どうか切り捨て御免なんて言われませんように!
「お騒がせして申し訳ありません。火急につき、姉上にお会いしたいのですが」
ヴィンスがやんわりと取り成すと、男達は怪訝な顔になった。
「姉上……?」
そこでヴィンスが誰かに気付いた二人は、慌てて地面に膝を突き、礼を取った。
「ややっ、これは王弟殿下ではございませんか!」
「気付かず無礼を致しました。どうぞこちらへ、ご案内致します!」
そしてすぐさま立ち上がり、キビキビとした足取りで先に立って歩き出す。
(権力ってすごいなあ)
王族の権威の凄さを目の前で見て、流衣はそんな風に感心を覚えた。
その後、ヴィンスが事情を簡単に話し、そこから退く前に男達のうちの片方が仲間の兵士を呼びに走った。
* * *
流衣達が出た場所はお屋敷ではなく王城の裏庭だったらしい。
お陰様で、ヴィンスを城まで送るという予定も終わった。が、だから、「はい、さよなら」というわけにもいかず、城の兵士の詰め所で待機することになった。事情についてはビィやリッツが説明してくれるらしいので助かる。どうも流衣が説明すると、分かりやすく言おうとして逆に回りくどくなってしまうのだ。流衣とリドとディルなら、リドが説明した方が一番分かりやすいのではないだろうか。大雑把に要点だけで纏めてくれそうだ。
今は、流衣達がびしょ濡れだったこともあり、兵士達がタオルを貸してくれたので、それでオウムの姿に戻ったオルクスの水を拭ってやっている。濡れそぼっているオルクスは不機嫌丸出しで、あのオウム怖いと兵士達にまで言わしめる程である。
「アンジェラさん達、どうしてるのかな……」
待っているうちに、残してきたアンジェラやエドガー、それからエルナーのことが気になってきた。
「無事なら来る。安心しろ」
ビィが素っ気なく言った。
心配じゃないのかなあとそちらを見ると、ビィは言葉に反して落ち着かない様子である。六人掛けの四角い木のテーブルやベンチが、部屋の半分に二つだけ並んでいて、その一つに流衣達は腰掛けている。そのテーブルの盤面を、ビィは指でカツカツと鳴らし、誰かが入ってくる度に戸口を凝視している。
これは待たされてイラついているのと、アンジェラ達を待っていて不安なのと、どっちなんだろう。
リッツの方はそれ程心配していないのか、兵士の出してくれた茶をのんびり飲んでいる。といっても、目が閉じているに近い細目なので、流衣には表情が読めなかっただけだったりする。
流衣も茶を飲み、何とも渋みのある味に顔をしかめ、さりげなくテーブルに置き直す。それから所在なく待っていると、やっと待ち人が到着した。
アンジェラとエドガーだった。何故かエルナーの姿はない。
「アンジー!」
二人が入ってきた瞬間、ビィがガタッと騒々しく立ち上がった。そして、アンジェラの愛称だと思われる名を呼ぶ。完全にエドガーは眼中にないようだ。
アンジェラは全員を一瞥し、落ち着いた笑みを浮かべる。
「皆、怪我はないようね。公爵様を無事にお連れしてくれてありがとう。二人とも、途中で大役を押し付けてごめんなさいね」
「それが仕事。仕方ない。アンジーは怪我は?」
「ビィ、俺には訊いてくれないの?」
エドガーが横から問うと、ビィはさらりと返す。
「エドのは見れば分かる」
「………そうだね」
全くもってその通り。三角巾で右腕を吊っているから、とても分かりやすい。肩を落とすエドガーを横目に見て、クスリと笑い、アンジェラは言う。
「怪我はしていたけど、治療したわ。ただのかすり傷だったから」
「そう。ならいい」
ビィはその返事で満足したのか、あっさり引き下がった。
「アンジェラさん、エルナー君はどうしたんです? 一緒じゃないみたいですけど」
流衣が意を決して会話に加わると、アンジェラはにこりと微笑んだ。
「彼は杖連盟の方に行ったわ。そのことも含めて報告があるから、今から話しましょう。勿論、あなた達の報告も聞かせてね」
結局のところ、襲撃者である三人組のネルソフのうち、グドナーというのっぽだけが捕まり、他の二人は逃げおおせた。
水路から出てきたシーリーを兵士達が捕らえようとしたが、一歩間に合わず転移魔法で逃げられてしまった。もう一人の老人は、水路には来なかったようで、足取りは掴めなかった。危機を察知して逃げたのではないかというのが杖連盟の人達の意見だ。
二手に分かれていた時のグループ同士で報告し合っていたら、水路の蛙退治を頼まれた兵士達が帰ってきて、蛙はすでに死んでいたという話をしてくれた。多分、シーリーが片付けたのだと思う。
これでひとまず、問題点は全部無くなった。
「あなた達、この後はどうするの?」
アンジェラの問いに、流衣は元々の予定を話す。
「風の神殿の近くにあるっていう魔法学校を目指す予定です」
するとアンジェラは目を瞬いた。
「魔法学校?」
流衣は頷いて、転移魔法の権威の先生に会いたいという話や、転移や召喚について知りたいという話をした。
「そういう魔法について知りたいのなら、〈塔〉を訪ねてみるといい」
横からエドガーが口を挟んだ。思案気に顎に手を当てている。
「〈塔〉って何ですか?」
「杖連盟の本部のことだよ」
流衣が疑問を口にすると、今度はリドが口を出した。魔法のことなのに分かるのかとリドを振り向くと、ひょいと肩を竦められる。そして一言。
「常識」
「あ、そう……」
小さく苦笑いする流衣。その常識が分からないから困るのだ。
「ではしばらく滞在予定なのだな? その間、姉上にお会いしてきても構わないだろうか? 王都に来たのに立ち寄らないで通り過ぎると、後で小言が酷くてな」
ディルが神妙な表情で切り出すので、流衣はきょとんとする。一拍後、そういえば、ディルには王都に住む貴族に嫁いだ姉がいるのだったなと思い出した。
「それには及びませんよ、カイゼル伯爵。あなたの姉君も招待することになっていますから」
詰め所に入ってきたヴィンスが、さらりと言った。
「招待、ですか? 何のお話です?」
すっと自然な動作で椅子を立ち、ディルは丁寧に訊ねた。
皆がベンチから立ち上がったので、流衣も慌てて真似つつ、ヴィンスを見る。
ヴィンスは服を着替えたようで、貴族然とした格好をしていた。白いブラウスを着て、その襟元には絹製のビラビラとしたタイをつけている。ブラウスの上には金糸の細かい刺繍が施された青色の上着を着ていて、下は黒いかっちりとしたズボン、靴は茶色い皮製の靴を履いている。更に上着の上には肘を覆う程度の短いマントを纏い、正面で紐でとめ、赤色の宝石のブローチを付けていた。
どこから見ても王子様だ。今までもどこかキラキラしていたが、綺麗な顔をしているだけに、幻覚だろうが本当に光り輝いているように見える。眩しい。
「皆さんに助けて頂いたと姉上――陛下にお話しましたら、陛下は大変感激されて、一週間後に予定していた夜会に招きたいと。勿論、神官殿方だけでなくあなた達もです」
その一言に、一般庶民の流衣とリドは揃ってたじろいだ。思わず顔を見合わせてしまう。
不安そうにしたのを見てとり、ヴィンスは小さく笑う。
「ふふ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。フォローなら私もしますから」
……フォローすること決定事項なんですか。
流衣は思わず胡乱気にヴィンスを見やる。しかしヴィンスは楽しげに笑って取り合わない。
「それでは、また後で」
様子を見に来ただけだったのか、ヴィンスは優雅に一礼し、戸口に立っているお供の騎士とともに去っていった。
お供だ、お供。城の中なのに。流石、元王子様ってだけはある。
どうやら姉弟仲はすこぶる良いみたいだ。王子様でないのに周りが破格の扱いをしているのは、きっとその為なのだろう。女王が大事にしている弟を手荒に扱ったら、女王が怒るのは目に見えているし。
それにしたって、ヴィンスのお姉さんってどんな人なんだろう。
流衣は首を傾げた。
ヴィンスみたいな金髪と青紫色の目をした綺麗な人なんだろうか。お姉さんならきっと優しそうな雰囲気に違いない。
そう一人納得したところで、ヴィンスの残していった言葉に気付く。
「ん? 後で?」
後でって、どういう意味?
* * *
蛙がいなくなったので、ティレナは水路を遡って銀鏡湖まで泳いだ。
湖はずっと前に見たのと同じで、水面に光を反射して銀色に輝く美しい湖だった。
懐かしくて、嬉しくて、涙が出てくる。
人魚は水底に沈んだ魂の運び手だ。精霊みたいなもので、寿命なんてものは端から存在しない。
ずっとずっと、あの闇に沈む水路に居続けると思うと苦しかった。
ただいま。お帰り。久しぶり。
色々と呟いてみたけれど、返ってくる言葉はない。
一つの湖に一人の人魚。海も区分分けされていて、仲間と会ったことはない。
ティレナの友達は、ずっと前にいた赤い髪をした人間の王様だけだ。
――赤い髪。
そういえば、あの子、王様に似てた。
王様の末裔と共にいた少年を思い出して、ティレナは心の内で呟く。
いや違うわ。王様じゃなくて、王様の弟の……。
名前はなんだったかしら? 風の精霊に好かれていた優しい人だった。
でもその疑問もすぐにどこかに追いやった。
嬉しい気持ちが勝って、ティレナは千年と少しぶりに湖を泳ぎ回る。魂が水底に幾つも沈んでいるし、とても仕事のしがいがある。
ティレナは水面下から太陽の光が煌くのを見つめ、静かに目を閉じた。
ねえ、王様。
あなたはわたしを日の光のようだと言ってくれたけれど、わたしにとっての光はあなただったのよ。
大好きよ、わたしの大切なお友達。
だからわたし、ずっとここで見守るわ。
あなたの築いた国と、子孫と、人々を。
・蛇足的後書き・
第四幕終了です。
第三幕と第四幕は一つのくくりって感じなのもあるし、一話完結部分もあるから何となく纏まりが悪かったように思います。
あと、登場人物増やしまくって申し訳ないです; 主要キャラはあくまで、流衣とオルクスとリドとディルなので~。サブ辺りがヴィンスで、神殿メンバーはむしろオマケというか。(目立つオマケですね;)
悪役はまあ、組織名だけ覚えておいて貰えれば大丈夫です。悪役が二つあるんで、ちょっとごたごたしてる。それに、この世界ではあくまで流衣は「おまけ」の存在なので、勇者よりは表に出てこないです。
私の書き手としての腕ではこれが精一杯だなあ。修行を積まねばですねっ。続きもさくさく頑張りたいと思います。
第五幕は、流衣の王都での話です。
神殿で開いている魔法を教える授業に紛れ込んでみたり、杖連盟本部を訪ねてみたりと、帰る為に魔法を勉強しようと奮闘する流衣だが、ひょんなことで知り合った少女と関わった為にまたもや厄介ごとに巻き込まれ!?
もしかして上手くいけば勇者が出てくるかもしれません。
そんな感じを予定してます。
まだまだ話は続きます。これで序章くらいかも? 相当長いので、お付き合い頂ければ幸いです。では、これにて失礼致します。
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追記。
目次を作り直しました。ここまでを、物語の序盤として第一部でひとくくりにしました。
●第二部はこちら⇒http://ncode.syosetu.com/n0897l/
もしくは、作者名から作品一覧をご覧下さい。