2:残るものは
ちょっと長くなりました(-_-;)
「おかえりなさい、エルバート……どうしたの? 何かあったの?」
「……ううん、ジュリア。何でもないよ」
明らかに何かあったはずなのに無理して笑おうとするエルバートにそれ以上聞くことは出来なかった。無理に聞き出そうとすればそれがエルバートを傷つけてしまうのではないかと思うと出来なかったのだ。
「大丈夫? エルバート。心がリラックスするようにしてあげようか?」
エルバートを心配したラフェリアがそう言ってくれたのだけれど、エルバートはありがとうとだけ言ってお風呂へと行ってしまう。
「どうしよう、ジュリア。エルバートおかしいよ?」
うろたえるラフェリアを見ていると私の方は逆に落ち着いてきた。
「きっと何かあったんだわ……ラフェリア、明日調べてみるから行きましょう」
「オッケー」
本当はラフェリアの力を使えば分かることだけれど、この力は簡単には振るうことが許されていない。人の心を覗くような真似はするべきではないのだから。
次の日、仕事に出かけたエルバートの後をこっそりとつけていく。エルバートは魔術師としていろいろな依頼を受けて生計を立てていてくれているからその日によっている場所が違う。
本当は私も魔術師として働けたら良かったのだけれど、ラフェリアなんて言う存在を連れている私が魔術師をやろうとすれば最悪精霊師と間違われかねない。私は精霊師ではないのだから
……今は何かいい仕事は無いか探したりしているわ。ただ、私が働くとエルバートが心配して見に来るし、そのエルバートを見に来る女性客でお店が儲かる反面、私は何故か男性に付きまとわれるの。そのせいもあって私は外で働けてはいなかった。エルバート曰くその方が安心するんだとか。
「ジュリア、あれ」
ラフェリアが指さす先にはエルバートがいつものように仕事をしているのだが、その隣に綺麗な赤い髪をした可愛らしい女性がいて何やらエルバートに話しかけている。
エルバートは相手にしていないのだが、その女性は諦めることなく何度も話しかけているようだ。
「もしかしてあの女性が原因かも」
ラフェリアの言う通りかもしれないが、ではなぜエルバートはあんなにも辛そうだったのだろうか。
しつこい女性に痺れを切らしたのかエルバートが何かを言っているようだ。その様子は強めの口調で話しているようで女性は悲しそうな顔をした後去っていく。
でも私には分かってしまった。女性が去っていく際にエルバートが悲しそうなつらそうな表情を一瞬だけ浮かべてしまったことを。
ああ、どうして気が付かなかったんだろうか……あの女性は魔族だ……エルバートの運命の伴侶なんだ。
仕事から帰ってきたエルバートをラフェリアと一緒に出迎える。帰ってきた彼はとても疲れた顔をしていた。
「おかえりなさい……エルバート、とても疲れた顔をしているわ」
「仕事がきつかったからかな?」
そうやって心配させないように振る舞うエルバートをもう見ていられなかった。私はエルバートに抱き着くと今日の昼見ていたことを話した。
「……そうか、知られちゃったんだね。そうだよ、彼女は俺の運命の伴侶だ」
そうでなければいいと何度も祈った。いつか出てくるかもしれないエルバートの運命の伴侶に怯えていた夜なんて数えきれないくらいだった。エルバートの血が薄いからと言う言葉に何度も縋ってきた…ああ、とうとうこの日が来たのね。
エルバートの話では一目見た瞬間に分かったらしい。急に目が離せなくなり強烈な独占欲が湧いてきたのだそうだ。
「でも、俺は彼女とこれ以上会う気はないよ」
「……エルバート?」
どういうことなの? 運命の伴侶はあなた達魔族にはとても大事なモノでしょう? それこそ命に係わるくらい!
「でも!?」
「俺の大事な女性はジュリアだけだ! 他の女性なんかいらないし、ましてや運命の伴侶なんてお断りだ!」
力強くハッキリと言い切ってくれるエルバート。でも……いいの? あなたはそれで大丈夫なの? 嬉しさと不安に包まれた私をエルバートが抱き締めてくれた。
気を使ってくれたラフェリアがそっと席を外す。
「俺は本能なんかで恋人を選んだりしない。自分の意思で選んだ愛する人と一緒にいたいだけなんだ」
「エルバート……嬉しい」
そうね、私がエルバートを信じないで誰が信じるというのだろう。弱気なってはいけないわ。
その後、エルバートからいろいろと話を聞けたのだけれど、あの女性はある日いきなり現れてエルバートを運命の伴侶と呼んだらしい。さらに聞いてもいないのに自分の名前を告げてきたらしい。ラヴェンナ、それが彼女の名前だった。
それからというものラヴェンナはエルバートの周りによく現れるようになった。彼女の言い分は決まってこうだった。魔族なら運命の伴侶と一緒にいることこそが幸せだと。
エルバートは常にラヴェンナには事務的に対応してくれていたし、一定以上の距離まで近づけさせなかった。私がいるということもちゃんと伝えてくれているのに気にも留めない有様だ。
そして気が付くと二ヶ月が経っていた。最近エルバートの疲れが酷かった。夜もあまり眠れていない様だし、顔色も悪い。
「エルバート、無理をしないで。あなたは少し休むべきよ」
「そうだよエルバート。あなたが倒れたらジュリアが心配しちゃう」
「でも、仕事に行かないと……」
「そんなこと言っている場合じゃないの! いいから休んでて!」
私とラフェリアの二人で何とか休ませたのだが、寝ている間もエルバートは苦しんでいた。
「……エルバートはどうしてこんなに苦しんでいるの? ラフェリアは何か分かる?」
私の質問にラフェリアは悲しそうな顔をした後、エルバートの額に手をかざしながら答えた。
「今、エルバートは運命の伴侶を求める激しい本能の衝動とジュリアへの愛情がせめぎ合っている状態なんだ。魔族は運命の伴侶を求める本能に逆らうことは出来ない。なのにそれに逆らっているから……それは心を削ることに等しい行為なのに」
何ていうことなのか。それじゃあエルバートは命を削っているのと同じじゃない。私は余りにものショックで思わず倒れそうになる。それでもそんな場合じゃないと何とか踏みとどまったけれど。
ある日ラヴェンナが家に訪ねてきた。もちろん話題はエルバートのこと。
「お願いします、このままじゃエル君が壊れてしまいます。あなたじゃダメなんです術さん。エル君には私じゃないと!」
いきなりやってきて言うセリフがこれだからもう言葉も出なかった。失礼を通り越して笑いすら出てきそうになる。
「それは私とエルバートの間で決めることです。あと人の恋人を変な略称で呼ばないでください」
「だってエル君はエル君だよ。あなたはエル君がどうなってもいいと言うの?」
言葉は通じるのに会話が出来ないとはこういうことなのかもしれない。私はラフェリアに頼んでこのうるさい女性を何とか帰らせるとドッと疲れが押し寄せてきた。
こんなくだらないことで精霊の力を使うことになるなんて。
「大丈夫ジュリア?」
「ええ、私は大丈夫……今はエルバートの方が大変だもの」
……何か私に出来ることは無いのだろうか? そう思いながらも何も出来ないまま時間だけが過ぎていった。
一度ラフェリアに心の精霊術で何とか出来ないか聞いてみたのだけれど、本能は心で制御できるものではないらしく、魔族の本能に干渉することは出来ないということだった。
日に日にエルバートの状態は悪くなっていった。最近ではうなされていることが多く、起きているときは私を求め続けるようになった。私を求めているときはうなされることがないからだと思う。もっともその状態は一月も続かなかったけれど。
私を求めようとすると激しい苦痛に襲われるのか頭を掻きむしるようになったのだ。ラフェリア曰く本能の力が強くなってきているらしく、エルバートの理性がもう耐えられなくなってきているらしい。
今までは私に溺れていれば本能を忘れられていたのに、今はもう私への愛情を守るだけで精一杯らしい。
もう答えは出ていたも同然だった。苦しみながらも抗うエルバートをこれ以上見ていることは出来そうになかった。
愛している人なのだ。誰よりも大事な人がこれ以上苦しむ姿は見ていられなかった。苦しんでいるということはエルバートが私を愛してくれている証拠だ。でも、その愛がエルバートを殺してしまう。
もう耐えられそうになかったのは私だった。
エルバート……許してとは言わないわ。
あなたの愛を疑ってなんかいない。
ただ、私が苦しみから逃れたいだけ……だからあなたは悪くないわ。
苦しむエルバートに私はラフェリアの力を借りて精霊術をかける。私に関する記憶を全て消してしまえばこれ以上エルバートは苦しまずにすむ。
愛してくれて本当に嬉しかった。私はあなたを愛しているわ。
だから……どうか……生きて。
エルバートの記憶を消してから私は彼の下を去った。エルバートがラヴェンナと愛し合う姿なんか見たくも無かったから。
逃げるように転々としながら二年程経った後、私はようやくある国に落ち着くことが出来た。元々いた国とはまるで違う文化に驚かされながらも新しい生活に少しずつ馴染もうとしていた。この国では精霊のことはあまり知られておらず、ラフェリアは変わった女性としか認識されなかった。
もはや一族の追手なんかもう来ないことは分かっていた。それでも言いようのない不安に駆られてしまうのは心にポッカリと開いた穴のような寂しさのせいかもしれない。ラフェリアは側に居てくれることだけが救いだった。
エルバートの記憶を消した時に私の中にあった暖かな何かもまた消えてしまったのだ。いっそ私も記憶を消そうかと思ったけれど……それだけはどうしても出来なかった。愛おしいエルバートのことを忘れることが出来るはずも無かったのだ。
ただ惰性で生きているようなそんなある日普段誰も鳴らすことないベルが鳴った。玄関に付けてある来客用のベルの音だ。この国に移り住んでからは人とあまり関わらないように生きてきたのに誰だろうか?
「どちら様です……か」
誰が来ても何も変わらない。そんな思いで開けた玄関の先には赤が広がっていた。印象的な赤い髪に優しい瞳。忘れることなんかが出来るはずも無い人。
「エルバート……どう……して」
「忘れられなかったんだ……何か大事な物を亡くしたという強烈な喪失感がどうしても消えなかった。運命の伴侶であるラヴェンナと一緒にいてもそれは変わらなかった。だから必死で思い出そうとして君を探し続けたんだ……ジュリア」
有り得ない! ラフェリアの力で消した記憶が元に戻るなんて! どうして!?
それに体は大丈夫なのだろうか? 私にはどうすることも出来なかったのに……。
「……でもエルバート。あなた体は? あんなに苦しんでいたのに!?」
「前みたいに苦しい思いはしていないよ。きっと俺の愛が本能に勝ったんだよ」
そんな……なら私がしたことは……余計なことだったの? あなたは自分で乗り越えて来たというのに……私は……あなたを信じることが出来なかった……そういうことなのね。
「ごめんなさい……私があなたを信じられなかったから」
「あんな状態の俺を信じられるとか信じられないとかそういう話で考えるのはダメだろ。恋人が苦しい思いをしているのならそれを何とかしたいと思うのは当たり前のことだ。だから俺はジュリアの選択を否定しない。俺だけはジュリアの愛を疑わない!」
「エルバート……私……」
「もういいんだよ、ジュリア。やっと会えたんだ、もう離さない……愛してるジュリア」
抱き締めてくれるエルバートの温もりに涙が零れてくる。前よりも少しやせたエルバートの体が懐かしかった。ああ、私はあなたに愛してもらえるのならそれで幸せだわ。もう……私も離れない。
……例えどんな結末が待っていようと……愛しているわエルバート。
エルバートとまた暮らし始めてから穏やかな日々が続いた。一緒に朝食を作ったり掃除をしたりしながら穏やかな日々を過ごしていた。ラフェリアもそんな私達を見て優しい笑みを浮かべてくれていた。
エルバートにはラヴェンナさんをどうしたのかとかは聞いていない。彼女は運命の伴侶を失ったのだ。そんな魔族の未来など決まりきっている。そうだとしても私は興味が無かった。人一人の命に関わる話だと理解している。それでも私は自分の愛を優先したのだ……何よりも時間が無かったから。
分かっていたことだった。あれだけエルバートは苦しんだのだ。なんの代償も無く元に戻ることなど有り得ないと。運命の伴侶を失ったのはエルバートも同じなのだから。でも、打てる手はもう……無かった。
「ちょっと疲れたかもな、ごめんな倒れちまって」
「気にしないで、そういうこともあるわ」
エルバートが倒れた。一緒に洗濯物を取り込んでいるときに急に倒れたのだ。少し前から疲れやすくなっていたり体調を崩しやすくなっていたりといった兆候はあった。でもそれには触れないようにしながら日々を過ごしていた。私もエルバートも分かっていたのだ。もうどうすることも出来ないと、それよりも二人でいられる時間を増やしたかった。
「ラフェリア……何か方法は無いの?」
そうと分かっていても……どうしても聞いてしまう。ラフェリアだってもうどうしようもないのは分かっているのに。
「ごめんね……心の問題しかどうしようも出来ないの。本能は心で抑えることは出来るかもしれないけれど……魔族の運命の伴侶を求める本能は強すぎるの。心では逆らえないくらいに……」
「……まるで呪いね」
心まで侵食する強烈な本能なんて呪いと何も変わらない。今もエルバートの本能は彼の心を侵食する代わりに体を蝕み始めている。エルバートは少しずつ衰弱しているのだ。このまま行けばそう長くは無いだろう。
「ごめんね、何も出来なくて」
「ううん、ラフェリアは悪くないわ。これは誰が悪いとかそういう話じゃないのよ」
残された時間は多くない。私がエルバートに出来ることは……もう側に居るだけだ。
「ねぇ、エルバート。元気になったらどこに行こうかしら?」
「そうだな、隣の国にある虹が常にかかっている滝とか見に行きたいな」
「だったらそこの名物も食べたいわ」
「ラフェリアも楽しみだろ?」
「うん、凄く楽しみ。やっぱりご当地名物は外せないね」
三人で他愛もない話を続ける。どうでもいい話だけれど優しい時間を共に過ごす。まるで魂に刻み付けるかのようにしっかりと一言一言噛みしめる。伝えたいことは山のようにあった。でも伝えることが出来る言葉なんてごくわずかにしか過ぎない。
エルバートに優しく愛されて寝る時間が幸せだった。彼の腕の中で心臓の鼓動に耳を澄ます。トクントクンと聞こえてくる音はまだエルバートが生きていることを教えてくれている。この鼓動を後何回聞くことが出来るのだろうか……叶うならせめてあと一年の時間が欲しかった。
エルバートが倒れてから半年経つ頃にはもうエルバートは自分で起き上がることも出来なくなっていた。それでも彼は優しい笑みを浮かべて私を見ている。
「なぁ、ジュリア。俺は最高に幸せだよ。愛する人と過ごす時間を今感じていられるから」
「なぁに、エルバートったら。これからもっと幸せなことが待っているわ」
「だったらさ、それをこれから先の子供達に分けてあげてくれないか……そうだろジュリア」
知っていたのね。最近体調が少しおかしかったし、来るモノも来ていなかった。だからそうじゃないかなと思って命の精霊に教えてもらったばかりだった。
「……あなたに似てやんちゃかもしれないわよ?」
「ジュリアに似て美人だといい……な」
どちらでもいいけれどあなたはきっと親馬鹿になりそうね。そうなる未来が見える気がするわ。あなたは子供達を相手していて私はそんなあなた達を見ながらご飯の用意をするの。ちょっと汚れて帰って来たあなた達に怒りながらそれでも笑っているの……ねぇ、だからエルバート……そうだねって言って……。
いつものように笑いながらお話してよ……そんなに優しい顔で眠っているあなたを起こすことなんて出来そうにないわ。
おやすみなさい……エルバート。次目覚めることがあればあなたが思うように愛する人を愛せますように祈り続けるわ。だから後は任せておいて。私にはラフェリアもいるし、あなたが残してくれたこの子がいるから。
あなたは運命に勝てなかったのかもしれない。でも決して屈しはしなかった。あなたは負けることだけは無かった。私はあなたが忘れてくれるならば幸せになると思い込んで運命から逃げたわ。でも……忘れることは救いでも……それが幸せになるかどうかはその人次第なのね。だから逃げなかったあなたを誇りに思うわ。
子供にはあなたがどれだけ凄いのかを語りましょう。
ねぇ、ラフェリア。私の夫は凄いでしょう?
だからあなたも笑ってあげて。
私の大好きな人が安心して寝ていられるように
この話は呪いシリーズの中でも呪いを打ち破る話の直前の話です。
なので呪いの効果も絶対ではありませんでした。
打ち破る話は気が向いたら書くかもしれません。
別作品も連載中です。よろしければ読んでみてもらえると嬉しいです。