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第五章 初めての闇任務

 山間に差しかかる交易路は、宵闇の訪れとともに深い沈黙に包まれていた。 木々の隙間から差し込む月光が、湿った土と鬱蒼とした葉を濡らす。その街道を見下ろす崖の上の影に、二つの影が息を潜めて潜伏していた。 二一五センチメートルを超える巨躯を岩の陰に完全に消し去っているカシラと、そのすぐ傍らで呼吸すら殺しているシルカだ。「……カシラ。ターゲットが来る」シルカがかすれた低い声で告げる。 視線の先、暗い山道を進んでくるのは、表面上は一般的な商人の馬車を装った三台の隊列だった。だが、その周囲を固める護衛の男たちの歩破能力と、馬車の車輪が刻む深すぎる轍は、それが普通の交易品ではなく、密造された兵器と違法な鉱石を運ぶ「闇ルート」の輸送隊であることを明確に示していた。「見立て通りだな」カシラが短く呟く。 今回の任務は、近郊の交易路を裏で仕切り、カシラたちの縄張りを侵し始めていた闇商組織の拠点を突き止めるための現場捜索と強襲だった。これまでアジトの周囲での警備や泥棒の撃退しか経験のなかったシルカにとって、カシラの側近として本格的な現場任務に同行するのはこれが初めてだった。「シルカ。お前の役目は分かっているな」 「……後方の警護を叩き、馬車を止める。合図と同時に」 「そうだ。逃がすな。一人でも逃せば、敵の本体に警戒される」カシラはそう言い捨てると、巨大な漆黒の長斧を引き抜いた。 次の瞬間、巨躯からは想像もつかない爆発的な踏み込みで、カシラが崖の上から直接、先頭の馬車へと飛び降りた。



「襲撃だ――ッ!?」



 激しい着地音と同時に、先頭車両が木砕となって弾け飛ぶ。 護衛たちの悲鳴が上がるより早く、カシラの振るう長斧が夜風を切り裂いた。一閃。それだけで、鎧を固めた二人の護衛が馬ごと胴体から両断される。



(……速い。そして、無駄がない)



 シルカはその圧倒的な暴力の奔流を目に焼き付けながら、自らも疾風のように動いた。 カシラの着地によってパニックに陥った後方の護衛たちへ、闇の中から滑り込む。手にした刃は、鍛錬によって研ぎ澄まされた精度で敵の隙を突いた。「ガキが――ぐあぁっ!?」一人目の護衛の膝裏を鋭く斬りつけ、崩れ落ちた首筋へ即座にトドメの突刺を叩き込む。二人目が剣を振り上げる前に、シルカはその懐へ潜り込み、相手の肘関節を支点にして短剣を顎下から脳へと突き立てた。 死線を潜り抜け、カシラから与えられた肉を貪り食って鍛え上げた肉体は、完全に殺戮の道具として機能していた。手際よく後方の三人を無力化し、馬車の車輪に楔を打ち込んで逃走ルートを完全に遮断する。シルカが後方を制圧し終えた時、前方の惨劇はすでに終わっていた。 カシラ一人によって、十数名の凄腕の護衛たちが血の海の中に転がされている。だが、シルカの目を奪ったのは、その圧倒的な破壊力そのものではなかった。



(……単なる野獣じゃない)



 血煙が収まる中、シルカは冷徹に状況を観察していた。 カシラの一見破天荒に見える暴行と無差別の破壊。しかし、殺された男たちの配置と立ち位置を見直せば、男が初手で潰したのは「合図の笛を持っていた指揮官」と「魔法のスクロールを懐に忍ばせていた術士」だった。 カシラは襲撃のわずか数秒前、相手の装備や目線、立ち振る舞いから危険度の高い人間を完璧に優先順位付けし、最小の行動で敵の組織的抵抗を無力化していたのだ。圧倒的な暴力の裏に隠された、底知れぬ計算と戦術眼。 この男は、ただ力で暴れているのではない。深い計算と冷酷な合理性によって、無法地帯の秩序そのものを一人で支配し、維持しているのだという事実に、シルカは背筋が凍りつくような衝撃を覚えた。「終わったか、シルカ」血を吸った長斧を肩に担ぎ、カシラが振り向く。 月光を背に浴びるその巨体は、まさにこの世のあらゆる理を超越した悪魔のように雄大で、美しかった。「……手際が良い。後方もしっかり止めたな」カシラが低く笑い、シルカの頭にポンと重い掌を置いた。 血と鉄の匂いが混ざり合う夜風の中、シルカはその掌の圧倒的な熱量と重さを直に感じていた。その瞬間、シルカの胸の奥深くで、何かが静かに、しかし決定的に弾けた。



(……この男だ)



 シルカは呼吸を忘れ、じっとカシラの広い背中を見つめた。 かつて路地裏のゴミ箱を漁っていた時、この男の首はただ自分の存在価値を証明するための「高額な切符」に過ぎなかった。 だが、今は違う。 この圧倒的な強さ、冷酷な知性、世界を支配する暴力。そのすべてを目の当たりにした今、シルカの中で殺意の質がドロリとした歪な感情へと変質していくのを自覚していた。



(この男を超えたい。この男の太い首を刈り取り、その命を終わらせるのは――私だ)



 強烈な殺意。しかしそれは、もはや単なる復讐や生存競争ではなかった。 他人にこの男を触れさせたくない。この男の首を刈る権利を、世界の誰にも渡したくない。カシラという圧倒的な存在を、自分の手だけで終わらせ、自分のものとして独占したいという、狂気にも似た「執着」と「独占欲」。



「どうした、シルカ。腰が抜けたか?」



先を歩くカシラが、足を止めて振り返る。



「……ううん。何でもない」



 シルカはボロ布の袖で頬の返り血を拭うと、前を見据えた。 赤い瞳の奥で揺らめく焔は、もはや消えることのない苛烈な狂愛の域に達していた。



「すぐ行く。……カシラ、あなたの後ろは、私が守る」



 あなたが私以外の誰かに殺されないように。あなたの首を刈るその日まで、私があなたの唯一の隣であり続けるために――。


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