第5話 三人の距離
第5話では、東・西・中間の三人が、
初めて同じ部室で同じ時間を過ごします。
交わらないまま育ってきた三つの家系が、
ひとつの机を囲むとき、
その沈黙の中に何が生まれるのか。
古地図、三本の木、禁足地。
御岳町の“語られない部分”が、
少しずつ輪郭を見せ始める回です。
翌週、三人が揃って部室にいる初めての放課後が来た。
静馬は作業台に古地図を広げていた。
大きな地図で、紙がかなり古い。
山の稜線が手書きで描かれ、川の流れが細い線で記されている。
御岳町の全体図だった。
直継と柚羽は少し離れた場所に座って、それぞれ資料を眺めていた。
互いを意識していることは明らかだったが、
話しかけるきっかけがなかった。
東の子と西の子が同じ場所にいること自体が、
なんとなく不自然なのだ。
慣れていないというより、そういうものとして育ってきたから、
いざそうなるとどう振る舞えばいいかわからない。
「直継さんはなぜ郷土史編纂部に」と柚羽が、作業台の方を向きながら言った。
直継に直接話しかけてはいないが、聞こえるように言っている。
「単位のためです」と直継は答えた。
「柚羽さんは?」と静馬が問う。
「......気になることがあって」
「どんな?」
「うちの古文書に、おかしなことが書いてあって。霞沢家の由来の話なんですけど、東の神社の由来と少し矛盾していて」
「矛盾、と思ったんですね」
「はい。どちらかが嘘をついているか、どちらかが間違っているか。
でも、うちの親に聞いても、神社に行っても、誰も話してくれなくて」
静馬は地図から顔を上げた。「そういうことは、よくあります」
「よく?」
「この町の記録は、東と西で食い違う部分が多い。
どちらかが正しいというより、どちらも一部だけを言っているのだと、
私は思っています」
直継は思わず顔を上げた。「一部だけ?」
「三分の一ずつ、というのが正確かもしれない」
静馬はそれ以上言わなかった。
意味深な言い方だったが、
続きを求めても来そうになかったので、直継は黙った。
窓の外で、中間川が、巨大な絹の帯を互いに擦り合わせるような、
重く湿った音を鳴らしている。
夕方の光が部室に入ってくる。
東の光ではない。
正確に西に傾いた夕日の光が、斜めに窓を通って、
棚に並んだ資料を照らしていた。
「あ」
柚羽の声が小さく上がった。
作業台の地図を覗き込んでいる。静馬が広げた古地図。
「この木、三本ある」
直継も立ち上がって地図を覗いた。
東御岳の尾根の近く、中間川を挟んで西の山の裾——
その中間、川の上流に近い位置に、確かに木の記号が三つ描かれている。
二つは川の東西に一本ずつ。
そしてもう一本が、川の真ん中に。
「大木が三本だったことがあるんですか」と直継が聞いた。
静馬は答えなかった。
地図を見た目を、ゆっくりと鍵のかかった棚に移した。
その視線は一秒もしなかったが、直継はその動きを追った。
「三本目の木があった場所」と柚羽が言った。「禁足地、って書いてある」
川の流れが、一段、低くなった気がした。
三人は何も言わなかった。
窓の外で、夕日が西の山に沈んでいく。
東の尾根の影と西の山の影が、
中間川の水面の上で、ゆっくりと向かい合っていた。
〔序章 了〕
——御岳口伝 水無瀬家蔵
むかしのこと、御岳の神はひとつにて在りき。
生を司り、死を守り、間を保ちたまひき。
しかるに、人の手、神を二つに裂きたり。
裂かれし痛みは川となりて、今もなほ流れゐたり。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
三人が同じ部屋に揃ったことで、
これまで別々に存在していた“東・西・中間”の線が、
わずかに触れ始めました。
古地図に描かれた三本の木。
川の真ん中にあったはずの大木。
そして“禁足地”という言葉。
まだ断片ばかりですが、
物語はここから、川の底に沈んだものへと向かっていきます。
次の章も、静かに読んでいただけたら嬉しいです。




