第33話 禁足地を確かめる
潔斎が始まる前に、もう一度だけ見ておきたかった。
柚羽がそう言ったのは、前日の放課後だった。「橋から確認したい。川の状態を、自分の目で見ておきたい」。静馬は少し間を置いてから「行きましょう」と言った。直継は何も言わなかった。行く、ということだった。
御柱統祭まで、あと十二日。潔斎開始まで、五日以内。
* * *
川沿いの道を三人で歩いた。
今日の川は低かった。
冬に向かって水量が落ちている。川岸の石が、夏には水の中に隠れていた部分まで出ていた。乾いた石の色と、湿った石の色の境目が、今日の水位だった。
「先週より低い」と直継は言った。
「冬至が近いから」と柚羽は言った。「母が言っていた。冬至の前の夜に川が最も静まると」
「御柱統祭の夜が、それにあたる」と静馬は言った。
三人で歩いた。
川の音が今日は小さかった。水が少ないせいか、音が低く、遠かった。
* * *
橋のたもとで一度立ち止まる。
以前来た橋だった。あのとき橋の上から川面を覗いて、流れが遅い場所を見た。今日も同じ橋に来た。ただ今日は、川の水量がさらに落ちていた。あのときより川底が見えやすかった。
三人で橋の中央まで歩いた。
橋板が一歩ごとに微かに軋んだ。
欄干に手をかけて、川を覗き込んだ。
「あそこです」と静馬は言った。橋の下流側を指した。
大橋と小橋の中間あたり。川の中央に近い場所。水面が周囲より静かだった。流れの遅い、ほとんど止まっているような場所。三章のとき見た場所と同じだった。ただ今日は、水量が落ちているぶん、川底が少し見えた。
「石の並び方が」と直継は言った。
「おかしい」と柚羽が続けた。
普通の川底は、流れに沿って石が自然に並ぶ。流れが石を動かして、年月をかけて気まぐれな配置になる。
でもあの場所の石は違った。橋の上から見ても、意図を感じる並び方だった。緩い円を描いているような形。崩れている部分はあるが、自然にできた形ではない。
「木が切られた痕です」と静馬は言った。「根が川底に向かって張っていた。根が腐って消えたあとに、こういう形が残る」
「三本目の大木の」と直継は言った。
「そうです」
* * *
三人は橋の上から川底を見た。
光の角度が変わると、底の形が少し見えた。円の中央が、周囲より低くなっていた。窪んでいた。根が張っていた証拠だった。
柚羽が腰のあたりを手で確認した。小さな音がした。
稽古のとき使う鈴だった。柚羽が今日持ってきていた。「もしかして何かわかるかもしれないと思って」と前日に言っていた。
今日、川に来るとわかってから、持参していた。
「触れてみます」と柚羽は言った。
鈴を手に取って、欄干の外側に少し出した。川底の方向に向けた。
川風もなかった。柚羽の手も動かなかった。
鈴が、鳴った。
一度、澄んだ音で。
三人はそこで鈴の音の響きを伺う。
鈴の音が川面の上を渡った。川の音が小さいぶん、鈴の音がよく響いた。しばらく残って、消えた。
「鳴った」と直継は言った。
「聞こえました」と静馬は言った。
柚羽は鈴を欄干の内側に戻した。もう鳴らなかった。川底の方向に向けたときだけ、鳴った。
「何かが残っている」と柚羽は言った。静かな声だった。「橋の上からでも、届く。そこに、何かがある」
「根の痛みです」と静馬は言った。「切られてから何十年も経っているが、川底に刻まれた形は消えない。その痛みに、鈴が反応した」
* * *
直継は川底を見た。
橋の上から見える範囲で、石の円形が見えていた。
窪みの形は見えるか見えないかの境目だった。
でも、そこに何かがあることは、もうわかっていた。
「御柱統祭の夜に」と直継は言った。「ここに来る」
「そうです」と静馬は言った。「あの場所の上で、三人が揃う」
「川に入って」と柚羽は言った。
「そうです」と静馬は言った。「今日は橋から確認するだけです。入るのは儀式の当日だけでいい」
直継は川面を見た。水面が静かだった。
鈴が鳴った場所の水面は、今は普通に見えた。
でも底に何かがあることを、今日目で確かめた。
「見ておいてよかった」と柚羽は言った。
「そうですね」と静馬は言った。
* * *
三人は橋を渡りきって、東側の岸に出た。
川を振り返った。橋の下、少し下流の場所に、根の痕がある。鈴が反応した場所がある。御柱統祭の夜に三人が立つ場所がある。
「明後日から潔斎が始まります」と静馬は言った。
「わかっています」と直継は言った。
「今日確認できました」と柚羽は言った。「見ておいてよかった。御柱統祭の夜、ここに来るとき——今日の川底の形を覚えていると思います」
三人は川沿いの道を歩いて戻った。
川の音は、来たときより少し遠かった。
水量が落ちているせいか、風が変わったのか。川は静かになっていた。
冬至に向かって、少しずつ息を整えているようだった。




