表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
御岳信仰伝 ー分かつ御柱の行方ー  作者: ちとせ鶫
第4章 裂断の記録

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/33

第26話 裂断の記録

 二本目の巻物は、一本目よりも読みやすかった。


 字体が違う。一本目は崩し字が激しく、静馬でも七割は読めなかった。二本目は同じ崩し字でも、一画ずつの形が丁寧で、読み慣れた目には判別できる文字が多かった。書いた人間が違う、と静馬は言った。あるいは書かれた時代が少し後か。


「一本目の補足記録かもしれない」と静馬は言った。「一本目が儀式の当日の記録で、二本目がその後に書かれた整理されたものだとすれば、読みやすいのは当然です」


「整理した人間が何者かはわかりますか」と柚羽は聞いた。


「末尾を確認してから」と静馬は言って、巻物を広げ始めた。


     * * *


 二本目の巻物には、三者の役割が書かれていた。


 一本目では「東の宮より使者、西の宮より使者、中の者一名」という断片しか読めなかった。二本目には、それぞれが何をしたかが記されていた。


 静馬が読み上げた。


「『東の代、剣を川に向け、神の荒魂を封ず』」


 直継は少し動きを止めた。剣を川に向ける。影送り祭のとき、剣先が川に向くのを自分で感じた。意図して向けたのではなく、剣が向いた。あの感覚が、七十年以上前にも起きていた。いや——七十年以上前に行われた儀式の残響として、自分の剣が今もそちらに向いている。


「続きを」と直継は言った。


「『西の代、舞を止め、神の和魂を封ず』」


 柚羽が息を止めた。


 直継は柚羽を見た。柚羽の顔が少し変わっていた。変わったというより、何かが当たった顔だった。


「舞を止める」と柚羽は言った。「舞を踊ることじゃなくて、止めること」


「そうですね」と静馬は静かに言った。


「境界を開くための舞だと思っていた」と柚羽は言った。「母もそう教えていた。開く舞だと。でも——」


「裂断の儀式では、封じるための舞だった」と静馬は言った。「開くのとは逆の動きです。神の和魂が動かないように、舞の力で押さえ込んだ」


 柚羽は作業台の端に目を落とした。手が少し動いた。稽古のときに指先を使う癖があって、何かを考えているとき無意識に指が動く。今日も動いていた。


「止めるための舞の型が、どこかに残っていますか」と柚羽は聞いた。


「あるとすれば、西の家の記録の中に」と静馬は言った。「あるいは、原本断片の帖の未読部分に」


     * * *


「水無瀬家の役割は何と書かれていますか」と直継は聞いた。


 静馬は巻物を読んだ。


「『中の者、根に触れ、神の痛みを己の身に引き受く。痛みの通り道となることにて、裂断を完成せしむ』」


 直継はその文章を聞いた。


 口伝で聞いていた言葉は「神の痛みを身体で受け止める実行者」だった。巻物に書かれた言葉は「痛みの通り道となる」だった。意味は同じだったが、言い方が違った。「受け止める」と「通り道」は、少し違う。受け止めるのは壁になることで、通り道になるのは貫かれることだ。


 直継は静馬を見た。


 静馬は巻物を読んでいた。表情は変えていなかった。


「静馬さん」と直継は言った。


「はい」


「お祖父さんから聞いた言葉と、書かれていることは同じですか」


 静馬は少し間を置いた。「同じです。言い方が少し違いますが、意味は同じ」


「お祖父さんはこの巻物を読んでいたんですか」


「読んでいたと思います」と静馬は言った。「水無瀬家が代々この部室の管理をしてきた。この棚の鍵を持っていた。祖父も読んでいたはずです」


「それを、あなたに伝えた」


「断片的に」と静馬は言った。「全部は話せなかった。体調が悪くなって、続きを話す前に——」


 静馬は言葉を止めた。巻物を見た。


 直継は何も言わなかった。柚羽も何も言わなかった。


     * * *


 しばらくして、静馬が巻物の続きを読み始めた。


「『儀式の後——』」


 読むのを止めた。


 直継が見た。巻物のその部分が、虫食いで消えていた。「儀式の後」という字の次から、しばらくの間が欠けていた。虫食いの向こうに、また文字が見えた。


「虫食いの前後を読めますか」と柚羽が聞いた。


「前:『儀式の後』。後:『三者はそれぞれの家に帰り』——その次がまた消えています」


「三者は帰った」と直継は言った。「無事だったということですか」


「帰ったとは書いてある」と静馬は言った。「その後どうなったかは——この巻物には書いていない、か、消えている」


直継は「帰り」という文字を見た。帰れたのか。帰れたが何かが変わったのか。何も変わらなかったのか。その先が消えていた。


「他の巻物に書いてある可能性は」と柚羽が聞いた。


「三本目がある」と静馬は言った。


 三人は棚を見た。三本目の巻物は、まだそのままだった。


     * * *


「一つ確認していいですか」と柚羽は言った。


 静馬が柚羽を見た。


「今読んだ記録——東の剣、西の舞、水無瀬の身体。これは裂断の儀式の記録ですよね」と柚羽は言った。「三者が揃って神を分けた、そのときの記録」


「そうです」


「統合の儀は、逆のことをするんですか」と柚羽は聞いた。「分けたなら、合わせる。東の剣と西の舞と水無瀬の身体を、逆向きに使う」


 静馬は少し間を置いた。


「逆のことをする、という言い方は正確ではないかもしれない」と静馬は言った。「同じ三者が揃うことは必要です。ただ、裂断が『離す力』を使ったなら、統合は『引き寄せる力』を使う。同じものを逆向きに使うというより、別の使い方をする、という感じです」


「それが巻物のどこかに書いてありますか」と直継は聞いた。


「三本目の巻物か、原本断片の帖に」と静馬は言った。「どちらかに統合の儀の記録があるはずです。祖父が『戻す方法は残してある』と言っていたから」


「修験者の家系って——」と直継は言いかけた。


 柚羽が直継を見た。


「水無瀬家のこと」と柚羽は言った。静馬を見た。文字として確認した、という目だった。問いの形ではなかった。


「そうです」と静馬は言った。「私の家のことです」


「わかっていました」と柚羽は言った。「ここでいろいろと資料を拝見してからずっと。でも、こうして記録に書かれているのを見ると——違う感じがします」


「どんな感じですか」と静馬は聞いた。


 柚羽は少し考えた。「確かだ、という感じです。静馬さんが話してくれた言葉は、静馬さんの言葉だった。でも、書かれた文字は——書いた人が誰かに関わらず、そこにある。消えない。確かだ、という感じがします」


 静馬は柚羽を見た。何か言いかけて、止めた。


「そうですね」と静馬はやがて言った。


 直継は二人を見た。確かだ、という言葉を、自分の中に入れた。口伝は消えることがある。記憶は薄れる。でも書かれた文字は、古くなっても、ここにある。七十年前の誰かが残した記録が、今三人の前にある。


「三本目を開けますか」と直継は言った。


「今日」と静馬は言った。「開けます」


 棚の前に立った。三本目の巻物を手に取った。一番古い巻物とは違う、より大きな巻物だった。広げると、作業台では足りないかもしれない。


「床に広げましょうか」と柚羽は言った。


「そうしましょう」と静馬は言った。


 三人は作業台を少し片づけた。床の一角に場所を作った。三本目の巻物が、床の上でゆっくりと広げられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ