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6. 過去 【二】




一之進はふてくされていた。

じとっ、と見る先には、いずみの膝で眠る妹。美虎はすっかり兄を気に入ったのか、ずっと離れないのだ。何をするにも、後ろをついて回る。

これには一之進も焦り、兄を取られまいと妹を止めたが……大泣きする二歳には、敵わなかった。そして現在、この通りなのだ。


 「そろそろ戻らなきゃ、心配してるんじゃないかな」


 「え、せっかく来たのに!」


 「だって、何も言わずに来たんだろう。今頃探していると思うよ」


五歳と二歳が忽然と消えたのだ、使用人達は泡を食って駆け回っているだろう。一之進はますますふてくされた。なんせ、今日のいずみは美虎の世話ばかりで、こっちには少ししか構ってくれなかった。ここでも、兄なのだからと言われているようで、嫌な気分だ。

口を尖らせて他所を向いていると、不意に頭を撫でられる。


 「心配しなくても、美虎のお兄さんはイチだよ」


 「え、」


いずみは、一之進の不機嫌を、妹を取られて怒っていると解釈したらしい。


 「イチはえらい。ちゃんと妹の面倒見て、優しい子だ」


そうじゃない。そう言いたかったが、いいこいいこ、と撫でてくる笑顔と手が優しいのでよしとした。

美虎はすやすやと深く寝入っているようで、揺さぶっても起きる気配が無い。余程、心地いいのだろうか。


 「そういえば、美虎、よるねないんだって」


機嫌を直した一之進は、乳母から聞いた話を思い出す。嫌がって、泣いて暴れて眠らない。うっかり忘れていたが、その理由を美虎に訊いている最中だった。いずみは眉を顰める。


 「美虎は、いたいのがイヤだからねないっていってた」


 「痛がって泣いてるのか?早紀恵様はなんて言ってた?」


 「母さん、あってないよ。きぶんがわるくてねてるって。うばの人がおしえてくれた」


 「イチ、美虎の泣き声、聞こえた事ある?」


美虎は母の隣の部屋。一之進は離れているが、同じ母屋だ。何も聞こえない、というのはおかしい。考えてみると、今まで聞こえた事が無い。子供が痛がって泣くのだ、異常を感じる泣き方であろうに、一之進は聞いた事が無かった。


 「わたしも無いよ。庭を挟んでるとはいっても……」


 「そのうばの人も、なんか、いやだった」


いずみは考えながら、母屋へ視線を遣っている。


 「乳母は、どんな人?」


 「おまきって名前の人。変なこというんだ。おれはおれなのに、父さんになれるって。そっくりだって」


 「おまき、って」


いずみが驚きの声を上げる。膝で眠り続ける美虎が、身動いだ。


 「おまき様は、体を壊して家に戻されたと聞いたよ?」


 「おまき、さま?」


一之進は、すぐに言葉の違和に気付いた。あ、と口を塞ぐいずみだが、もう遅い。話すまで戻らないぞ、と一之進は強い視線を送る。無言の戦いはしばらく続き。


 「……気分のいい話ではないと思うんだよ。それに、わたしも人から聞いただけだし…」


負けたのは、いずみだった。一之進は座り直し、聞く体制に入る。


 「幸寅様には、早紀恵様の他に……親しくしていた女の人が居てね、」


 「しってる。あいじんだ」


 「どこで覚えたんだい?!」


使用人らが話すのは、屋敷の中と、外の事。

一之進は遊びたい盛りなのだが、まだ数える程しか外に出た事がないので、彼らの話には興味津々。声を掛けると、必ずはぐらかされるので、自然と耳を澄ますようになった。それでいずみの事を知れたし、また両親の昔を知れたりもしたのだ。壁に耳あり障子に目あり、とはよく言ったものだ。


 「ん-じゃあ、あの人は父さんのあいじんなんだ」


 「いや、うん、そうなんだけど……。…言った通り、おまき様は此処には居ない筈なんだよ。わたしを引き取って程無くして、早紀恵様とおまき様に子ができた。でも、おまき様の子は流れてしまったらしくて。それが元で体を壊したと、そう聞いたからね」


 「おなじ名前、とか?」


 「さぁ…。でもイチは、嫌な感じがしたんだね?」


 「うん。なんかぞわっとして、いやだった」


警戒しておいた方がいいかもね。そう言って、いずみは美虎を膝に乗せたまま向きを変えると、文机の小箱を手に取る。それを渡され、一之進は首を傾げながら、中を覗く。


 「身守りの符。イチは、使った事はない?退魔の仕事は…流石にまだだよねぇ」


 「まだ、ぜんぜん。これ兄さんが作ったの?おれも作れるかな」


 「イチなら、すぐに作れるようになるよ。しばらくは、これを持っておきなさい。必ず、だよ」


 「みこも!」


 「あ、おはよう。よく眠れた?」


いつの間にやら起きていた美虎は、手を伸ばしている。兄だけずるい、と頬を膨らまして。

符は小さく折り畳まれ、巾着に入れられる。その巾着も、端切れを貰っていずみが作ったらしい。

器用だ。一之進はしげしげと眺め、懐に大事にしまう。美虎は失くさないようにと首に掛けられ、両手で握って嬉しそうだ。


 「寝る時も、つけておくんだよ」


 「あい!いじゅ、あーがと!」


 「こちらこそ、ありがとう。美虎はいいこだねー」


頭を撫でられ、美虎はにっこにこだ。一之進の機嫌がまた少し、下降する。


 「美虎、いずみ兄さん、だぞ。よびすてはダメだ」


 「う、いじゅ、にーしゃま?」


 「そうだ。おれの兄さんなんだから、美虎もそうよばなきゃ」


 「あい、いじゅにーしゃま!」


気にしなくていいのに、と笑ういずみだが、どことなく嬉しそうに見える。ありがとう、と撫でてくれたので、一之進は満足気に頷いた。

……ドタドタと足音が近付いてくる。使用人達が、穴の存在にようやく気付いたようだ。






…すっかり夜も更けた。

遅くまで働いていた使用人達も、眠りについたらしく、屋敷は静まり返っている。

一之進はむくりと身を起こした。目が冴えて、眠れない。

離れに居たのが母の耳に入り、こっぴどく叱られたのだ。

何故そこまで、と五歳の一之進が困惑するほど、早紀恵はいずみを毛嫌いしていた。もう二度と近付くな、離れに続く廊下を塞いでしまえと命じる始末。早紀恵の剣幕に泣いてしまった美虎は、早々に部屋へ連れていかれ、一之進は無理矢理、『もう行きません』と口にする羽目になった。

言わなければ、何時まで経っても終わらない。それだけは分かったからだ。自分の身を守る為に、兄を使ったようで悔しかった。情けなかった。


 『貴方は仙堂家の跡取りなのよ!貴方は強く、賢くあらねばならないの!幸寅様と私の子が、あの子に劣るなんて絶対に許しませんから!!』


早紀恵は跡取りの座を、渡したくないのだ。いずみに、血の繋がらない他人に。


 『いずみは当主になりたいのよ。いいえ、あれは傲慢にも、自分が相応しいと思っているわ』


そっと障子を開け、縁側に出た。そのまま座り込み、離れの方を眺める。兄は、どう思っているのだろう。今の状況を。


 『いいこと、一之進。あれに何を言われても、信じては駄目よ。隙を見せれば、あれが飼っている妖魔に喰われてしまう…!もう二度と近付かないように、いいわね!』


恩人だと、感謝していると言ったのは嘘ではない、と思いたい。自分や美虎に優しいのは、跡取りだからなのだろうか。少しでも自分に優位に動いて欲しくて、仙堂家を継ぎたくて、一緒に居たのだろうか。

どちらを、何を信じていいか分からず、一之進は膝を抱え、丸くなる。


 ―――あー…、……ま、


何か、聞こえる。

顔を上げ、一之進は耳を澄ます。


 ――……い、……しゃま、


美虎の声だ。泣いている。そんなに遠くない筈なのに、どうしてか声が聞き取り辛い。

泣き止む様子がないのに、少々焦りながら部屋へ向かう。嫌な気配があるのだ。

近付くにつれ、それは濃くなっていく。一之進は、思い切り障子を開けた。


 「――な、んだよ、これ……」


部屋中に、蛇が居た。天井に、壁に、床に、布団の中にまで、びっしりと。

うねうねと、黒い鱗を鈍く光らせ這い回る。鎌首をもたげ、一之進を睨み据える。

その、足の踏み場も無い部屋の奥に、美虎は居た。小さくなって、泣いて震えている。


 「美虎っ!」


 「っ、にー、しゃまっ」


 「ま、まってろ!すぐ、もどる!」


助けたいが、無謀に飛び込めない。急いで、両親の元へ。しかし、呼ぶまでもなく、幸寅と早紀恵が此方へ来る所であった。一之進は安堵した。


 「一之進、此処で何をしている」


 「それより美虎がっ!父さん、美虎をたすけて、」


 「あれはあのままで良いのだ。美虎は、お前の身代わりなのだから」


幸寅は無表情に言い放った。訳が分からず、早紀恵を見るも、溜息を吐かれただけ。


 「お前はまだ、未熟だ。あれを祓う事はできん」


 「なにを、」


 「お前が祓えるようになるまで、美虎に代わりをさせている。幼くとも、あれの霊力は大したものだ。あんな素人の呪詛程度、抑える事はできる」


 「どうしておれなのっ?!父さんはなんで何もしないのっ?!美虎ないてるっ!たすけてってないてるんだ!!」


確かに、自分にはまだ出来ない。やったとしても、跳ね返される。それが分かっているから、助けて欲しいのに。

しかし、見上げた父の目は、冷たかった。


 「助けてと言えば、必ず助けてくれるとでも?仙堂家が相対するは、人ならざるモノ。道理は通用せん。アレはお前に来た呪詛だ、一之進。お前がどうにかせねばならん」


父も、母も。分かっていて、放っていた。

妹が泣き叫んでいても、助けてと手を伸ばしても。

すぐに祓えるのに、助けられる力を持っているのに。


 「跡取り、というだけで狙われる。そんな甘い考えでは、生き抜けんぞ。私がお前くらいの時には、もう祓えていたのだがな。私の子だ、できない訳はないだろう?」


なにも、してくれないんだ。

一之進は拳を握り締めた。


 「わたしが、祓います」


 「っ、」


いつの間にか、いずみが庭に立っていた。

鳶色の目で、幸寅を見据えながら。






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