20. 幸祐といずみ
「はは、やるなぁいずみ」
一際高い、杉の大木。そのてっぺんに立ち、手を丸めて筒眼鏡のように覗き、寅吉は笑う。
眼下に広がるは深い緑。青い、穏やかな空には、力強い鳥の声が響く。此処は、山人界。
さて、寅吉の今の姿。傍目には子供のお遊びに見えるが、千里眼発動中である。とはいえ、態々筒眼鏡を作らずとも視れるのだから、お遊びも入っているのは確かだろう。
「そう思わねぇか?青天坊」
『全くじゃ。些か足らん吉坊の言葉を、見事読み取りおった』
「足らんじゃなくて、どっちとも取れるように言ったんだよ。まー蓮条が消えた所で、どーって事ぁねんだけどな。呪物になっても、ガカに喰われる先しかなかったしな」
あっけらかんとした寅吉の言い様に、呵々、と笑う青天坊。
弱肉強食。その世界を生き抜き、強者として立つモノ共にとって、弱者が淘汰されるは自然の摂理なのだ。
『先見の力、すっかり使いこなせておるのぅ。吉坊』
「当ったり前だぁ。人間の頃は散々振り回されたんだ、もう御免だね。鍛えに鍛えて、視てぇ先を視れるようになってやった」
『流石は吉坊!転ばされてもただでは起きぬどころか、共倒れし泥に塗れさせようとは!』
「それ褒めてんだよな?多分。そうだろそうだろ!おいらはやられたらやり返すのが信条よ!」
呵ー呵々っ!寅吉と青天坊の、元気な笑い声が木霊する。因みに二人の会話は神通力である。
『マガツモノに名を付けさせたのは、より最悪な先を視たからであろう』
寅吉はぴたと止まり、真っ青な空にジト目を向けた。まるでそこに青天坊が居るように。
『やはりか。会わせろと騒ぐから、何かあるだろうとは思っておったが。儂が出る程か?』
「……馬鹿笑いして流しときゃいいもんを。ああそうだ、いずみは完全な呪物になって、お前に止め刺された先を視た。子孫共は見てらんねぇ姿だった」
いずみとマガツモノの意識は共有されている。けれどあまりに不安定で、曖昧な状態だった。
もしそのままで、幽月が呼びかけていれば。完全に意識は奪われ、呪物として戻っていただろう。造った親の元に。
そして再び、仙堂家に牙を向ける。
「目の前で奪われたってのもあるんだろうが、一回戻ったいずみを知ってるからな。あいつら全員、見事に苦戦する体たらくだ」
『然もありなん。いずみ坊は仙堂の縁も同然』
「重いんだよなー……」
いずみは仙堂家の恩人だ。寅吉は数多ある先を視、名付けが身を守るに繋がると探し当てた。
すぐに会いに行ければよかったのだが、先見を使い過ぎて悪酔いしていた初代である。間に合ってよかった。
『しかし、そのやりようはマガツモノに力を与えると同じ。諸刃の剣ぞ』
「よーく視てみろ青天坊、出れてねぇ。いずみの依代能力は元々高いんだよ。なんつっても神代……神をその身に宿し自在に操る器、だからな」
『名が付いた程度では、奪えはせんか』
「それもある。けどガカの奴、今の状態が気に入ってんぞ。素直じゃねーから認めねぇけど」
名付けで意識が別れたと言っても。
いずみは奪われたが、ガカは抵抗し自我を保っていた。
その時に乗っ取る事だってできたのだ。幽月の元へ戻ったと見せかけ始末し、完全な自由を手に入れる事も。
なのに、ガカがやったのは支配を断ち切るのみであった。なんなら、起きろ起きろと童子たちと騒いでいたぐらいだ。
『成程、これが遅れて来た反抗期…』
「いや、違ぇよ。……いずみの奴もよくよく、妙なモンに気に入られるというか、好かれるというか。でもって本人は妙なトコで鈍い。厄介な奴だ」
寅吉の呆れ気味な呟きに、青天坊は呵々、と返した。
『然り然り、いずみ坊は厄介ぞ。だがそこが、』
面白い。声を揃えた似た者同士は、にぃと笑った。
……仙堂家には、相も変わらず退魔の仕事が舞い込んでくる。母屋の方は、退魔師達がひっきりなしに出入りし騒々しい。依頼を片付け終えたら、また依頼と、休む暇もないようだ。
そのせいか、今の所離れへの襲撃は無い。寅一と美虎の牽制が効いたのか、はたまた先代が恐ろしいのか……。
それもあるが、彼等が特に恐れているのは、当主に失望される事だ。
当主を守る為にと命に背き、それでマガツモノを始末できたのなら、まぁいい。だが返り討ちされた挙句、再び都を混乱に陥れようものなら。
間違いなく、責任は寅一にあると責められるだろう。一介の退魔師が、自分がやったと名乗り出てもだ。
……そう、真門と三馬鹿から懇々と説明された退魔師達。以来、離れへ敵意の視線を向ける事は、完全ではないが無くなった。中には青褪めて泣き出す者まで居たのだ、兄妹の人望が厚いのがよく分かる。
どうしようもない程、もう本当にどうしようもない程、長兄大好きな兄妹ではある。だが当主として、上に立つ者として兄妹はかなり優秀で、尊敬されている証明であった。
「勿論、君が簡単にやられるとは思っていない。だがいい加減抑えておかねば、また目論む者が出てきそうでな」
「構いません。イチ達の負担を減らすには、必要でしょうから」
「……君は変わらんな。ところでいずみ君、俺の事は思い出してくれたか」
母屋とは正反対に、離れはゆったりとした時間が流れていた。
いずみが朗らかに対応するは、真門弦次郎である。来訪は娘のユエから聞かされており、父なら心得ているから勝手に来るだろうと言われたが。
まさか、塀を飛び越え庭からやってくるとは思っていなかったいずみである。
隣で寝そべる幸祐は、客人を迎えても起きる素振りもない。
「全てではありませんが……いつも心配してくれていましたね、弦次郎様。綺麗な奥様と歩いているのを見た事があります」
「華恵だ。君と余り言葉を交わす事はなかったが、華恵も案じていた」
「……あの、恨んではいませんか。……わたしを」
「それはない。止められなかった事は悔やまれるが、断言しておく。誰も君を恨んではいないよ」
間髪入れずの弦次郎の断言に、いずみの目が丸くなる。
「寧ろ、全てを背負わせてしまった、押し付けるような形にしてしまった俺達を。……君は恨んでもいいんだぞ、いずみ君」
――私はお前を恨めないよ、いずみ。
再会した時に告げられた、幸祐の言葉が重なった。
いずみは、寝たままの幸祐に目を向ける。この人はずっと、自分のせいだと思っていたのか。
「……」
飄々として。
勝手で。
誰に何を言われても受け流して。
何も言わずに背負って。言ったとしても。
「……分かり辛いっ!」
「あいたっ」
いずみはとうとう、手刀を入れた。頭を擦りながら、しぶしぶ起き上がる幸祐。
弦次郎は黙って師弟の様子を見ている。
「…はっきり言います。わたしも誰も恨んではいません。恨もうとも思っていません。これはわたしが決めた事です。後悔もしてません。皆が無事だった事、生きていてくれた事、わたしはそれが嬉しいんです。嘘偽りない、わたしの本心です」
「……そうか。君らしいな」
「弦次郎様。今回の助力、ありがとうございます」
「いいや、大した事じゃない。……ところでいずみ君。君はこれから、どうする?」
幸祐を止められる貴重な一人なのだが、堅牢門番にとっては日常茶飯事と化していた。娘にも尊敬されている部分を軽く流し、改めて向き合った。幸祐には冷たい目を向けられたが、動じない。
「幽月という男に、君の存在がばれたんだ。これで諦めると楽観視などできまい。対策を立てる必要がある」
「それは、確かに」
「まずは此処を出て、他の場所に隠れるのはどうだ?」
「駄目だ。マガツモノは封じられている事になっている。まず移動は不可だ」
「牢にそれらしく作っておけばいいだろう」
「他にやって、まんまといずみを奪われでもしたらどうする?私はそいつを生かしてはおかんぞ」
笑っているようだが、目に光が無い。弦次郎は静かに見返した。
前々から、うっすら気付いてはいた。普段、全く執着を見せない男だが、弟子に関しては違ったのだ。お気に入りを取られまいと、必要以上に牙を剝く。そしてそれは、子供らも同じらしい。
「重要なのは、いずみ君の意思ではないか?」
重そうな感情を一心に向けられている、傍目には大変そうな弟子に問う。
いつか圧し潰されるのではと、弦次郎は心配でずっと様子を見に行っていた。しかし。
「わたしが出ていったと分かれば、周りが黙っていないと思うんです。それでイチが責められたらと思うと……。此処を出るのは、最終手段にしておきたいです」
弟子はいつも、平然と受け止め、平然と返していた。堅牢門番もびっくりの、鋼の精神力。
……大丈夫?隣に激重な師匠が居るけど大丈夫?
弦次郎は何度も、そう問いたい衝動に駆られたものだ。今現在は、悟りの境地に立っているので、取り乱す事なく頷くのみだ。
「そうだな。君を一人にするよりかは、寅一様の膝元に居た方が安心か。あの男の呪物は、生半可な腕では倒せないだろう。となると、どうする?」
「今はまだ、なんとも。十年と間が開いていますし……学び直してみようかと」
「それはいいな。私もそうしようか。五年程空白があるんだ」
幸祐は頷いた。空白の五年は、結界の外に流されていた時期である。弦次郎は承知していたので驚かなかったが、いずみもちらと見るだけで訊ねる事はなかった。いつ知ったのやら。
「居てくれるなら、安心ですね」
「おや、いずみは私に傍に居て欲しいのか」
「行先も告げずにふらっと姿を消されて、探し出すこっちの身にもなってください。その手間が無いのなら、一安心という事です」
弦次郎は深く、何度も頷いた。幸祐の自由人ぶりに振り回され続け、そこにいずみも加わり、門番と弟子の間には他とは違う絆があったのである。
「……、…そういえば幸祐様。行かなくていいのですか?」
「何処へ」
「愛人の方ですよ。一人、居るんでしょう」
「居ないよ?」
きょとんと返す幸祐に、いずみは首を傾げる。
確か、一人囲っていると断言していなかったか。それとももう、過去の事だったか。
その疑問に返したのは、弦次郎だ。
「それは君の事だぞ。広義の意味では君は囲われているからな」
「……え?」
ぶっっほうぅぅ。と、ガカが思い切り吹いた。
「君を連れてきた幸祐の第一声が、囲ってきたー……だった。言い方変えろと厳重注意を続けて、ようやく養子と言うようになったんだ。あぁ、幸祐に悪気は一切ない。こいつは保護したと言っているつもりだったんだ」
幸祐の『囲っている』は、『保護している』という意味であった。
まぁ確かに、いずみは養子として、幸祐に保護されていた。
「そもそもなんだが……こいつの親があちこちに愛人作っていたせいで、仙堂家の正統な跡取りだと名乗る輩があちこちから現れてな。あぁ、全部幸祐が物理的に黙らせたから禍根はない。だから、色々言われていたが、幸祐が愛人作るなどはありえんのだ」
後々起こる面倒な問題が、全て降ってくると幸祐は身を以て知っていた。
爆笑するガカの声を聞きながら、いずみは師と元門番を眺める。
「初めて見たな、その顔。いずみ、お前は今どういう気持ちなんだ?」
「なんとも……表現し難い、な。大丈夫か、いずみ君」
虚無顔。
今で言う、チベットスナギツネ顔を晒すいずみ。ガカの大爆笑は割と長く続いた。




