第6話―1 決断・後編
朝から雨に降られ、あたしは鞄を頭の上に掲げて靴が弾く雨粒を気にも留めず駆けていた。寮はもう目の前に見えている。寮についたらひとまずお風呂に入って、それから濡れた服を洗濯しなければ。寮の出入り口から、生徒たちが傘も持たずに雨避けの魔法を使って学園までの道を歩いているのが見えた。あたしはそれを見て、なぜだか足がもつれそうになる。
けれど、鞄の中で布から染み込んでくる雨に耐えているであろう魔物たちの存在を思い出して、あたしは足を速める。キャンバスは魔道具だし、防水性があるんだけど、それはそれとして気になってしまうから仕方がない。
景色に溶け込んで見えていた寮が、外壁の模様が見えるまで近づいてくると、ふとそこに人影があるのが見えた。あたしは視界をわずかに遮っていた鞄を少しだけ持ち上げて、反射的にその人影の正体を確かめる。
「……かい、ちょう?」
そのひとは膝を抱えて壁にぴったり背をつけており、膝に載せた腕に顔を埋めている状態だったから、顔を確かめられてはいないけど、その金髪はまぎれもなく会長であると言える。普段は少しくせのある金髪が、雨に濡れてまっすぐになっていた。恐らくずいぶん長い間雨に打たれていたんだろう。濡れていない箇所が見受けられないくらいに、服も髪も靴も余さずに水が滴っているようだった。
あたしが会長に近づいても、会長は気にも留めていないのかそもそも気づいていないのか、顔を上げようとしない。あたしはしびれを切らして会長のそばに腰を落とすと、着ていた制服のジャケットを会長の頭にかけた。
「あの、濡れてる服ですみません」
「……君、は……」
ふと、会長が顔を上げて、濡れた前髪の隙間から紫の瞳と視線がかち合う。
「おはよーございます、会長」
「……おはよう」
会長が真っ青な唇をわずかに震わせながら、あたしに返事をくれる。
「きょう雨降るの、会長知ってました?」
「……知ってたよ。魔法庁が出してる天候ニュース、聞いてないの」
「え、えー……、あはは……」
「笑って誤魔化してる……」
会長が呆れたように呟いた。
「あの、活動報告聞いてほしいので中入りません? 寒いし」
あたしは少しだけ腰を上げて、寮の入り口のほうを指差す。会長はあたしの動きを緩慢に視線だけで追いかけた。かんばしくない会長の反応に、様子をうかがうように再び身を屈めれば。
「わっ……!」
不意に会長に腕を掴まれて、あたしはバランスを崩す。そのまま、腕を掴んでいる会長の手があたしを導くみたいにして、会長の体の上に倒れ込まされた。
「ちょっと、なにするんですかー、かいちょ――」
慌てて立ち上がろうとすれば、あたしの背中に会長の両腕が回されて、その動きすら阻止される。
「……この寒さがちょうどいいときもあるって、君は思わない?」
「ええっと」
「思わないか、思うような人間ならそんな明るさ持ち得ないよね、うん、ごめん、変なこと聞いて」
早口でなにか言ったかと思えば、会長はあたしの視線から逃れるみたいにして俯いて、あたしに回していた腕をパッと離す。
「あたし、きのうの夜は……、ずっとではないですけど、この夜が明けないでほしいなって思ってました」
「……」
「夜が明けることばっかりが救いとは限らないですよね」
囁くように言えば、会長はわかりやすいくらいに目を丸くしていた。
「会長が寒いままでいたいなら、お付き合いします。あ、でも、風邪ひかない程度に……」
「……どうも」
会長の腕が、再びあたしの背中に回されて、先ほどよりもいっそう強く力が込められる。会長の腕にはぴったりとシャツが張りついていて、薄そうな皮膚が透けて見えていた。
「……ここを通りかかったのが君でよかったって、いま初めて思った」
「えへへ、でしょう?」
会長の両肩に手をおいてバランスをとりつつ微笑む。会長からは見えていないだろうけど、こういうのは気持ちが大事。
「……怒ってもらわないと調子狂うんだけど」
ふと、会長が顔を上げてあたしの顔を下から覗き込んできた。その目はどこか不安げに細められている。
「へ? なんでです?」
「……僕はいまも、いままでもたくさん、君に失礼なことを言ってきたのに、君全然怒ったりしないから……。どこまでゆるされるのかはっきり提示してもらわないと、僕は調子に乗って、君の朗らかさに甘えて、たぶんきっともっととんでもないことをやらかすよ」
「やらかすって、具体的にどんな?」
「……衝動に任せてもっとひどい罵詈雑言を浴びせたりとか」
「ふむ……」
全然想像つかないな。あたしの語彙が乏しいだけ?
「……いまだって許可なく、だっ、だきつ、……ハグしてるとか」
「会長がいやなことしてきたら、会長から離れるだけですよ。わざわざ怒ったりとかしないです」
関係をぱったりと切って、それでおしまい。寂しいけど仕方がないことだって、あたしは思う。




