求めてやまなかったもの
――バシリア卿の一連の騒動。そして、4年に一度の大祭……。
それらの大きな事件を兎にも角にも乗り越えた王宮内は、これまでの慌ただしさから開放された反動か、それとも央都そのものに残る祭りの余韻と比してか……なお一層、静けさを増しているかのようだった。
それも、夕暮れ時となればなおさら……と思いきや。
後宮の一室――第四妃テオドラの私室は、むしろいつも以上の賑やかさの中にあった。
それもそのはずで……今日この日、そこには父母に娘も混じり、実に数年ぶりの団欒に花を咲かせていたからだ。
マール自身から、自分が実の娘でないと知っていることを打ち明けられたテオドラは、初めこそ戸惑い、深く謝りまでしたものの――。
変わらない愛情を注いでくれたことへのマールの真摯な感謝を受け、ようやく、これまでの肩の荷が下りたように……。
今では優しく微笑みながら、乞われるままに、マールの実の母の思い出などを語り聞かせている。
「……じゃあ、わたしのこの〈鳩の目〉は……実のお母様から受け継いだものだったのですか?」
「ええ、そう。
もっとも、あの方はそれを隠しておられたから……知っているのは、私と、ご夫君のラーゼス様ぐらいのものでしょうね。
でも、あなたはそれ以外のものもちゃんと受け継いでいるのですよ?
……ええ、お転婆で大胆、こうと決めたらひたすら頑固に真っ直ぐなところなんて、本当にそっくり」
「髪や瞳の色とか顔立ちより、そっちが先ですか!?」
「あら。だって見た目が似るのは、当たり前のことなのですもの。
わざわざ言わなくともね」
「もう、お母様……! 意地悪です……!」
和やかに談笑する母と娘……。
その様子を穏やかに見守っていた王は、話が一段落したのを見計らい、ふと立ち上がると――入り口のドアの方へ近付く。
「ふむ……。
そろそろ、約束の時間のはずなのだが……」
「陛下が特別にこの場に招かれたという、お客人のこと……ですか?」
ただ上体を起こすことすらままならなくなっていたテオドラは、ベッドの中から首だけを動かして王を、そして傍らに座るマールを続けて見やる。
「え、ええと……時間には正確なはずなんですけど……」
どう答えたものかと、困ったように笑うマール。
――と、それに答えて……
「当たり前だ――未だに寝坊なお前と一緒にするな」
この場にいない誰かの、ぶっきらぼうな声がした。
同時に、窓際のカーテンがふわりと翻り……。
その向こうから、目深にフードを被った黒装束の人影が姿を現す。
「お前は……まったく、どこから入ってきおるか」
「律儀に迎えに出ていたアスパルには悪いが、騒ぎにもなりたくないしな。
……それはともかく、王宮内の錠前については再考の必要があるだろうよ。脆すぎる」
近付いてきた王に、黒装束はすれ違いざま無造作に何かを投げ渡す。
……受け取った王が見てみると、それは、幾つかのいかにも厳重そうな錠前だった。
その間にも、黒装束は一歩、また一歩と……テオドラのベッドへと近付く。
「!? あ、ああ……!
まさか――まさか、あなたは……!」
目を大きく見開いたテオドラは、震える腕を支えに、必死に上体を起こそうとする。
慌ててマールが、そんな彼女を手助けしようとするが――。
それよりも早く、最後の距離を一気に駆け寄った黒装束の手が、その弱々しい背中をそっと支えた。
「……分かる、のか。
こうして顔を隠しているのに。
もう……何年も、会っていなかったのに」
「誰が……誰が見誤りましょうか、我が子を……!
愛しい息子を、誰が……!」
屈んだ黒装束のフードを、テオドラは自らの手でそっと外す。
そして――
「レオ……! ああ、レオ……! レオノシス……!
本当に、本当に――あなたなのですね……!」
その下から現れた、彼女が幾度も夢にまで見た懐かしい顔を……痩せ衰えたその両手で、ゆっくりと抱きしめた。
「……母上」
言いたいことは幾らでもあるはずだった。
蟠り、戸惑い、そして不安――そんな後ろ向きな感情も、まだまだ燻っていたはずだった。
だが――母の姿が、母の声が、母の手が。
幼心に求めてやまなかったものが、ようやくそこにあると気付いたとき――もう、そんなことはどうでもよくなっていた。
「母上――」
だからレオは、逆らうことなく素直に、ただ為されるがまま……瞼を閉じて、母に身を委ねた。
――8年の時を経て再会した母子の間に、それ以上の言葉はなかった。
ただ、母の頬を伝う涙が――。
8年前の喪失の時以来これまで、いかなる辛苦にあろうとも決して流すことのなかった涙が。
夕日の茜を受けて輝く、その涙が――。
何よりも雄弁に、その想いを語っていた。
――そして、その再会から、5日後の朝……。
後宮の自室で、多くの人が見守る中、この上ないほどに穏やかで安らかな――満ち足りた表情を浮かべて。
第四妃テオドラは、天へと召されたのだった。
その亡骸は通例通り王家の墓所に葬られ……。
かつて、国民のためにと様々な慈善施策に携わった彼女の人柄を表すように、多くの民が列を成してまで、花を供えに訪れた。
だが、そのさらに数日後……。
彼女の故郷、旧皇国領スフォレトス家の墓所で――。
碑文が刻まれただけの墓石の隣、寄り添うように人知れず建てられた、小さな名も無き新しい墓を詣でたのは――たったの2人。
眼帯の青年と、金髪の小柄な少女だけだったという。




