闇カジノからの脱出
貸付を依頼したら信じられないような表情をされたわけだが、客を前にしてこの表情とは、ここの従業員は躾がなってないですねぇ。
黒服なら黒服らしく、表情を殺してシステマチックにやらないと、オーナーやバックの怖い人にどやされるぞ、と他人事ながら心配する。
まあでも、私みたいな女性の一見客が、ためらいもなく借金をするとは思わなかったのだろう。これがもう少し病んでる風の女ならともかく、私は少なくとも外面は正気に見えるだろうから、余計に不思議だったはずだ。
人の良さそうな受付の黒服は、「本当に良いのですか?」と再三尋ねてくる。あまりにもしつこいので、私は小首をかしげながら言う。
「担保があった方が良いですか? 全裸写真とかはさすがに困りますけど」
「…………」
どうやら冗談は通じなかったらしく、仏頂面を返された。真面目か。こんな堅物だと裏社会で生きていくのは大変そうだなと他人事ながら思った。
そんなわけで、二十万。
借用書にサインして、お手軽手続きの闇金借金である。どう考えても正気ではない、ちなみに利子は十日で一割。利率も正気ではない。闇カジノに闇金がセットではあるけれど、ここまでの暴利はなかなか見られないものだ。どこの組織がバックに付いているかわからないが、あまり長く運営するつもりは無いんだろうと察した。
まあでも、これで資金は手に入った。
あとは的確に狙い撃つだけだ。
「おまたせしました」
八嶋の隣に戻ると、これからゲームが始まる所だった。
ディーラーがまとめたカードの最初の十数枚を抜いて、カットカードを入れた残りをカードシューにセットする。これは、カードに仕込みがなにもないことを客に見せるパフォーマンスだ。実際は何らかの仕掛けをしているはずだが、表向きはイカサマなど無いということをアピールしている。
そして賭けが始まる。
「今度は僕の番だったよね」
八嶋がプレイヤー側に一万円を張る。
強気だったはじめの五万円が最高額で、八嶋はそれ以降、一万円前後の金額しか賭けてきていない。それを慎重というべきか臆病と言うべきかは、人によるとしか言えないだろう。
ただ一つだけ確かなことは、今のままでは、彼が賭け金を上げることはないだろう。
だったら、その均衡を崩してやろうじゃないか。
「じゃあ、私はバンカーに」
ベット。
バンカーに二十万。
チップを両替したのなんて何の意味もない。私はついさっき貸付して支給されたチップを、全てバンカーに突っ込んだ。
二十万はこの卓のマキシマムベットだ。
これにはさすがに、テーブルの周りに居る全員が驚いた顔をする。
「なっ。どういうつもりだい、みやびちゃん。僕は一万しか賭けてないのに」
「なにか問題があります?」
素知らぬ顔をしながら、私はすっとぼける。
「確かに、先攻と賭け金を揃えるって話はしましたが、それ以上の金額を賭けちゃいけないって決め事はして無いと思いますけど」
言ってしまえば、八嶋との勝負は一万円分で、残り十九万は私が勝手に賭けているだけだ。屁理屈に近い言い分だが、しかし否定するだけの論拠はすぐに用意できないはずだ。
そもそも、私と八嶋の勝負は勝手にやっていることで、このバカラ台とは何の関係も無いのだ。故に、八嶋が納得しようとすまいとゲームは進行する。
「ノーモアベット」
ディーラーの宣言とともに、ベットタイムが終了し、ゲームがスタートする。
まず、一枚ずつ。
バンカーが絵札、プレイヤーが3。
次に、二枚目。
バンカーが5。プレイヤーは絵札。
勝負は三枚目にもつれ込んだ。
「ふ――ぅ」
私は小さく息を吐く。
現在、バンカー5点。プレイヤー3点。ここまでが私にとって最初の賭けだった。三枚目にもつれ込んだ時点で、この勝負の半分は制している。
そしてもう半分。
私が『賭け』た結果を、ディーラーはカードで答えてくれるかどうか。
結果は。
バンカー 絵札
プレイヤー 絵札
「バンカー5、プレイヤー3。バンカーの勝ちです」
ゾワリ、と背筋を快感が駆け抜ける。
不確実だった狙いを的中させたカタルシスに陶酔して足元がおぼつかなくなる。外面こそ平静を装っているが、腰が砕けそうだった。
頭の中では脳内物質がドバドバと止めどなく溢れ出て、下腹部がキュッと締まり、思わず粗相をしてしまいそうな興奮が襲ってくる。
ああ、これが博奕だ。
この快感こそがギャンブルの醍醐味だ。
ただの運否天賦の勝ちでも十分に快感を得ることは出来るが、これほどまでに興奮できるのは、今の勝利が理詰めで得たものだからだ。
きっとこの勝負は勝てるという確信があった。
けれど同時に、その確信はもしかしたら虚像の可能性があった。その確信と虚像の狭間を制した快感は、何物にも代えがたい。
簡単な話だ。私をここで負けさせるのは惜しいと、ハウス側に思わせたのだ。
ためらいなく借金をして、負けを取り戻そうとする、自制も効かないような金銭感覚のゆるい女。
そんな奴は、闇カジノからすればカモでしか無い。
金を持っているやつ。
勝ちすぎているやつ。
そして―借金してでも勝負するやつ、だ。
だからこそ、これは賭けだった。
私というカモが美味しいと思われなければ、今の勝負はあっさり負けていただろう。こいつは勝たせて調子付かせた方が良いと思われたからこそ、敢えて勝たされた。
加えて、私を勝たせることにはもう一つメリットが有る。私は現在、八嶋と個人的な勝負をしている。つまり、私がレートを上げれば自ずと八嶋もレートを上げることになるのだ。八嶋に大金を賭けさせたいハウス側からすれば、私の暴走はちょうど良いきっかけになるはずだった。
無論、ここまでの話はあくまで私の推測でしか無い。私が都合よく考えているだけで、実際は全く違うかもしれない。けれど、だからこその賭け。それ故のギャンブルだ。
確かなことなど何もなく、不確かなものに確信を持つからこそ、これは博奕として成立する。
ああ、まったく。
これだからギャンブルはやめられない。
「いやあ、やられたなぁ……」
私の勝ちに、八嶋はあっけにとられたように驚いている。というより、若干引いているようだった。そりゃあそうだ。逆の立場だったら私でも引く。何を馬鹿なことをやっているんだこいつは、とドン引きするだろう。
けどこれで、私は八嶋と対等になった。
ステージに無理やり割り込んで、なおかつ八嶋を同じポジションに引き上げた。
だから、勝負はここからだ。
そんな風に――勘違いをしてしまった。
「仕方ないなぁ。みやびちゃんがそう来るなら」
と。八嶋はバンカーにチップを置く。
「だったら、僕も勝負をしないとね」
二十万。
マキシマムベット。
これには私も唖然としてしまった。八嶋は誇らしげな表情で私の方を見てくる。
「次は君の先攻だったけど、ごめんね、ここは勝手に賭けさせてもらうよ。君は賭けなくていいからさ。せっかくだから験を担がせてもらうよ」
彼の様子を見るに、対抗心と言うよりは純粋な見栄のようだ。女の私が大きな勝負をしたのだから、男を見せるチャンスとでも思ったのだろうか。嫉妬を向けられるよりは気が楽だが、しかしまさかこんなに早く乗ってくるとは思わなかった。
そして――カードが配られる。
バンカー ナチュラル8
プレイヤー 2
バンカーの勝ち。
「よっし!」
力強く、八嶋がガッツポーズをする。
二十万の勝負――勝ってしまった。
今の八嶋にとっては、私と勝負する過程で増やしたチップの中の二十万だから、負けてもそれほど痛くない勝負だったとは思うけれど、結果的に彼は勝って、更に資産を増やした。
これは、どうなる?
確かに私は、八嶋の賭け金を釣り上げれば、ハウス側が喜ぶだろうという算段を立てた。そして、ここまで立て続けに勝ってきた八嶋は、仮に大きなレートで負けたとしてもゲームを続けるだろう。むしろ負けたとしても、取り戻そうと熱くなるはずだ。だからハウスとしては、このタイミングで八嶋を負けさせようとするはずだった。
しかし、ここで彼は勝った。
前提として、利益を追求するハウス側にとってのベストは、私と八嶋の両方からお金を巻き上げることのはずだ。
そういう意味で、勝ちの経験を先に味合わせるのは理にかなっている。今彼は、見事にギャンブルの罠にハマったのだ。
問題は、ここからだ。
私と八嶋は個人的な勝負をしている。そしてここから先は、おそらく互いに賭け金を下げられないだろう。必然的にマキシマムベットに近い金額を賭けることになる。低くても十万が限度だ。そうなると、今度はどちらを勝たせるかという問題になる。
(いや、違うか)
どちらでも良いのだ。
私と八嶋が同じ金額を賭けていくのなら、金額の移動は二人の間で行われるのと同じことだ。
厳密にはバンカーが勝てばコミッション分だけ儲けが出るので、操作するとしたらバンカーに偏らせるかもしれないけれど、それも何度も行うとは思えない。
つまりここからは、私と八嶋、どちらかが音を上げるまで、カジノ側はイカサマをせずにヒラでゲームを進行しても問題ないということになる。
この考えが合っているかは分からないけど、ある程度の確信はある。
そもそもイカサマにしても、カードシューから抜く時のすり替えには限度があるので、リスクを考えるとそう多用できるものではない。だから、ヒラでやれるうちはヒラでやるはずだ。
あとは私と八嶋のどちらかが諦めるまでの勝負になるが――さて、どこで切り上げたものか。
「じゃあ、賭けますね」
勝負の意識をカジノ側から八嶋の方に向け直す。先程の彼の賭けに怖気づいたふりをして、少しだけ賭け金を落として、十万をプレイヤー側に。
それに対して、八嶋はまたしてもマキシマムの二十万を突っ込んできた。
マジかこいつ。
いや、先に同じことをやったのは私の方なので、文句を言う筋合いは無いのだけれど、それにしても思い切りが良すぎやしないか。
「ふふ、ツイているうちは波に乗らないとね」
キメ顔でうそぶいているけど、今あなたが感じている流れは作られていますよ、なんて言えるはずもない。
むむう。こうなると、私の予測は少し狂いを生じる。八嶋を勝たせてより肥えさせるか、それとも敢えて負かせて更に熱くさせるか。先が読みづらいので、確信が持てない。
素直に考えると、八嶋はもう十分ノリに乗ってるので、ハウス側がこれ以上彼を勝たせる理由はないはずだ。ならばそろそろ八嶋を負かせて、より熱くさせようとしてくるのではないだろうか。
そう思って、私は勝負の行方を見守った。
カードが配られる。
勝負は最初の二枚でついた。
バンカー ナチュラル9
プレイヤー 1
「バンカーの勝ちです」
八嶋が勝った。
私は目を丸くして勝負の結果を見る。
なにか見落としがあったのか、それとも、そもそもの予測が間違いだったのだろうか?
ここで八嶋を勝たせるメリットが果たしてカジノ側にあるのかを考える。いや、もしかしたらこの回はイカサマなしで、純粋に勝ったのかもしれない。どちらなのか確信が持てない。くそ、分からなくなってきた――
「あっはっは、こんなにツイてるのは初めてだよ」
八嶋P、ごきげんである。
仮にハウス側がイカサマをしておらず、純粋に運否天賦の勝負だった場合、今の八嶋は完全に波に乗っているので、大きく賭けるのは理にかなっている。ここで萎縮するようならそもそもギャンブルには向いていない。行ける時は大きく打って、負けたら潔く身を引く。それこそがギャンブルの鉄則だ。
だからこそ、八嶋は当たり前のように次もマキシマムベットを突っ込んでくる。
八嶋が張ったのは、またしてもバンカー。
現在、バンカーが二連勝中。ツラを追うならここはバンカーだ。そして、その流れは得てして正しい。ここはきっと八嶋が勝つのではないか
。
八嶋が先攻で二十万を張ったので、私も同額をプレイヤーに賭ける。
結果は―私が勝った。
「あー! くそ、さすがにそうは続かないか! いやあ、でもこれぞギャンブルだよね」
「……………」
八嶋は負けてもご機嫌だったが、私は目の前に積まれたチップを見ながらじっと黙っていた。
勘が鈍っている。
私は手を横顔に当てて、こめかみをコツコツと指で叩く。努めて冷静に現状を確認する。
現在、私と八嶋は、客観的に見て非常に良い勝負をしている。私はそれを、カジノ側に作られたものだと言う予測を元に立ち回っていた。
その予測自体は大きく違っていないはずだ。
けれども、なにか違和感がある。
当たり前の話として、確率を完全に予測できないのと同じで、他人の思惑を完全に把握できるわけがないので、私が積み立てた理屈は全て机上の空論だ。それが当たるかどうかも含めて、私にとってはギャンブルと言える。
だから――予測がうまく出来ないということは、勘が鈍っているに他ならない。
その上で、次にどう動くべきか。
「では、次は私の先攻ですね」
次に賭ける方は、バンカーとプレイヤーのどちらでも良かった。ただ、急に鈍った勘の理由を確かめたくて、大きく二十万を賭ける。
と、その時だった。
「――ッ!」
ああ、負ける。
そう思った。
私が賭けたのはバンカーだった。必然的に、八嶋はプレイヤー側になる。
「さて、じゃあ勝負と行こうか、みやびちゃん」
と、彼は楽しそうにうそぶいている。八嶋にとって、今は一番気持ちが乗って熱いタイミングだろう。しかし、彼のテンションに相反するように、私の気持ちは急激に勝負から離れていった。
負ける、と確信した。
この勘はきっと正しい。このままでは最終的にハズレくじを引く。これまでの人生における博奕経験が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
ゲームが開始する。
バンカー ナチュラル9
プレイヤー 6
「バンカーの勝ちです」
私の手元に、チップの配当が送られてくる。
ゲームには勝った。
けれど、その勝ちすらも私にとってはどうでも良かった。強烈な違和感が肩を掴んで離さない。ハウス側の思惑、八嶋のツキ、そんなものはもはや考慮に入れる必要がない。それよりももっと大きな確信に突き動かされて、私は席を立った。
「ん? どうしたんだい、みやびちゃん。せっかく勝ったのに、浮かない顔して」
「はは。少し勝ちすぎちゃって緊張してきました」
愛想笑いを浮かべつつ、さっと周囲を見渡す。
思い立ったら行動は早い。
チップは―置いていくしか無いだろう。勝っている今の状態で精算をして帰ろうとしても、八嶋やハウス側が承知しないだろう。
今は一刻もはやく去りたいので、できるだけ波風立てずにしたい。
「少しお手洗いに行ってきますね」
私は八嶋に愛想笑いを贈り、緊張をほぐすふりをしてトイレに向かった。
リビングから出て奥のトイレに入る。個室の中で小さく一息ついてから、乱暴にウィッグを外した。ヘアネットでまとめていた黒髪をほどき、一瞬で黒髪ショートヘアの普段の自分に戻る。髪を手櫛で軽く整えながら、カバンの中から太ぶちの伊達メガネを取り出す。メガネに黒髪のモブ女の完成だ。後はコートを着れば、だいぶ印象は変わるはずだ。
準備を整えると、私はバカラテーブルのある部屋には戻らず、受付へと向かった。
おっと、受付の担当の人が代わっている。いつもだったらタイムテーブル制なのだろうかとしか思わないけれど、この短い時間での交代に、ますます私は確信を深めた。
「ごめんなさい、急用が入ったので今日は御暇します。チップの精算は結構です」
「は、はぁ?」
「あと、これは心付けで取っといてください」
軍資金とは別に財布の中に入れていた一万円を、私は受付の人に強引に押し付けた。
怪訝そうな若い黒服の兄ちゃんにそれ以上構わず、私は闇カジノの部屋から出た。
廊下に出て左右を見る。―エレベーターは直感的に避ける。となると非常階段か。
あくまで平静を装い、駆け足になること無く階段を降りていく。無事にエントランスについた。帰宅する住人や、用事を済ませて出ていく来客がちらほら居るので、それに紛れるようにして玄関口を出る。その時に、スーツを着た厳つい男性数人とすれ違ったが、視線を合わせること無く済ませる。
「ふぅ」
マンションの外に出てようやく、私は一息ついた。
こうして、私はマンションバカラからほうほうの体で生還したのだった。




