ハートのお城には女王の影
(ああ、楽しいな)
霧雨ナツはしみじみと思う。
画面の向こうでは、会ったこともなければ顔も知らない女性が、ナツのアクションに一喜一憂している。アバターとしての演技も入っているはずだけど、過剰なまでのリアクションを見ていると、ナツの方も自然と気持ちが高揚してくる。
誘いに乗って良かった。
今更のように、そう思えた。
やみみと名乗るプレイヤーからメールが来た時、最初は断ろうと思っていた。
事情があって、ナツは顔出しをして誰かと対面をすることが出来ない。そのため、活動の場は自然とオンラインのみにしぼられた。それでも今までは問題がなかった。ポーカーのプレイ配信は一人で喋れば十分だし、誰かとのコラボ配信でも、オンライン上のやり取りだけで完結できる。
唯一、ポーカーのコラボ配信だけやれなかった。
その理由はいくつかある。まず、界隈でのポーカー人口が少ないため、相手が居ないという問題だ。ゲーム性の近い麻雀は何度か誘いがあったのだが、これは純粋にプレイ人口が多いため、配信環境も整っているのが理由だろう。
次に、ポーカーは対面での心理戦が主となるゲームなので、オンラインだと魅力が半減するというのがある。
もちろん確率論を中心としたロジカルなプレイも十分見応えがあると霧雨ナツは思うのだが、如何せんその面白さを伝えるにはリアルタイム配信というのは難易度が高い。
実際に海外で行われているポーカー大会の配信では、配られた手札を視聴者に公開した上で、プレイヤー同士の駆け引きを見せて楽しませているのだけれど、そういった編集は、配信者自身がプレイヤーである以上難しい。
最後に、ポーカーは心理戦なので、ちょっとした会話がヒントになったりするため、自然と無言になりがちという問題がある。
ガチでやろうとすればするほど口数が減っていくため、生動画ならともかく、アバターを使った声の配信だと、無言の時間という放送事故が発生する。
以上の理由もあって、よっぽどではないと誰かとコラボ配信なんて出来ないだろうと諦めていた。しかし、それをやみみが覆してくれた。
やみみは動画配信について素人だと言っていたが、人前で話をすることに慣れているのはすぐに分かった。
最初の打ち合わせの時に、オンラインカジノのリングゲームに二人で潜ったのだが、彼女は会話を続けながらぶれないプレイを続けていた。動画サイトでちょっとファンが居る程度の自分なんかより、よっぽど人前に立つことに慣れている人間だ。
何より、彼女の言葉に口説かれた。
「勝負がしたいんです」
コンピュータ越しの手札だけの相手ではない。たまたまリングゲームで一緒のテーブルになった世界中の見知らぬ誰かではない。
あくまで画面の向こうにいる霧雨ナツのリアルを見据えて、やみみは言った。
「霧雨さんと勝負がしてみたいって思ったんです」
そこまで言われて、断る理由はなかった。
そもそも、動画配信を始めたのも、ポーカーを楽しみたいのが理由だった。日本では残念ながらポーカー人口が多いとは言えず、実際にプレイするにはカジノ喫茶などのお店に行く必要がある。訳あって現実でも覆面を貫いているナツとしては、オンラインの場で仲間を作るしか無かった。今回はその初めての相手なのだから、楽しくないはずがない。
(まあ、それはそれとして――勝負は別だよね)
やみみの今のプレイスタイルは、ルースアグレッシブ。
プリフロップでのゲーム参加率は五割から六割ほどで、そこから積極的に攻めてくる。無論、生配信を意識してゲーム参加率を上げているだろうし、ヘッズアップはルースにならざるを得ないから、別に間違っては居ない。
ただ、一つ気になるのは、やみみはたまにギャンブルとしか言いようのない張り方をすることだ。
(ローカードのギャップでも、ストレート待ちとかフラッシュ待ちの張り方をしてくるから油断ならないよね。しかも、スーテッドとかコネクターじゃ無くても、ボード上で狙えそうな時には賭けに出てくるから本当に怖い)
しかも、失敗した時は素直にフォールドしてくるのでたちが悪い。一見すると引き際を弁えていないようにも見えるのだが、逆に言えば最後まで突っ張ってくる時はハンドが完成していると思うしかなくなるからだ。
例えば、ターンまで進んでボードが以下の状態。
♠A ♠6 ♡8 ♢9
この状態で、リバーに♢7が落ちてきた。直前までは、5と10のどちらかを持っていればストレートが狙えた。
そこに、ちょうど真ん中の数字である7が落ちてきたので、ガットショットと呼ばれる状態になっていた。ここでやみみは、スタックの半分以上をレイズしてきた。
ナツのハンドは♡A♡8のツーペアだったが、さすがにやみみ側にストレートが入っている可能性が濃厚すぎたので降りた。この『後一枚』の状態が整うまで突っ張って、その一枚が落ちてこなかったらあっさり降りる、というのをやみみは当たり前のようにやってくるため、仮にブラフだったとしても危険過ぎて勝負ができない。
(フラッシュとかストレートを過信するような素人には見えないから、ある程度はブラフなんだろうけど、それにしても挑戦しすぎだよね)
上級者が見たら一発でミス扱いするようなアクションを取ってくるので調子が狂うが、それでもやみみがそれなりの実力者なのは間違いない。
まあ、それでも――
(僕の方が強い、けれどね)
現在のスタックは、ナツが六二〇〇点、やみみが三八〇〇点。
もう少しでダブルスコア。配信時間も三十分経ったので、そろそろ勝負をつけても良い。
そんなところに、絶好のハンドが来た。
♡A♡K
ビッグスリック。
当然のようにコールして、フロップが開かれる。
♡J ♣2 ♡5
ボードだけでフラッシュがリーチだった。
ターンとリバーで一枚でもハートが来れば良い。ハートの残り枚数は九枚。見えていないカードは、相手のハンドと山札を含めて四十七枚。
単純に引ける確率は、ターンが十九%、リバーが十七%。およそ三六%の確率でフラッシュが完成する。
(押して良い場面。だけど―やみみさんの方はどうだろう)
やみみはと言うと、「わー、ハートがいっぱい。楽しみですね♪」などと甘えたような声を出しながら、チェックを選択した。ナツの反応を見ている。少なくとも、現時点で降りるつもりは無いらしい。
ナツが様子見で一〇〇〇点をレイズしたら、やみみはコールしてきた。
続く四枚目。
そこで、♡Qが落ちてきた。
ナツのハンドで♡のフラッシュが完成した。
(よし、ナッツ。ボードを見る限り、フラッシュ以上のハンドはない。もしやみみさんが同じハートのフラッシュだったとしても、こちらはAハイのフラッシュだから絶対に負けない。あとは、どうすればやみみさんを勝負に誘えるか)
理想を言えば、やみみにオールインさせて勝つことである。
仮にやみみ側に何かしら勝負に出られるハンドができていれば、誘いに乗ってくれるだろう。しかし、このフラッシュの可能性が見えるボードで、果たして誘いに乗ってくれるか。
「時間も後半戦になってきましたし、そろそろ勝負手が欲しいよねぇ」
『そうですね! やみみは今負けてるので、勝てる手が来てほしいですぅ』
とか言いながら、やみみはまたしてもチェックを選択した。スロープレイにしても、何を目指しているのか分からない。
強く押すと降りるだろうか?
だとしたら、決着を早めるためにも、ここは敢えて様子見するというのも手かもしれない。
(でも、今のやみみさんのスタックは、二三○○点だから、どっちにしろ今降りるか次に降りるかの違いでしか無いのか。なら――)
ナツはレイズの選択をする。
「レイズ、一〇〇〇点」
『コール』
間髪入れず――だった。
少しは迷うと思ったのに、まるで最初から決めていたかのようにコールしてきた。これで彼女のスタックは一三〇〇点。あと少ししかない。
ポットは五○○○点。中々の大勝負になった。
勝負は五枚目にもつれ込んだ。
リバーで落ちてきたのは、♠Q。
ボード:♡J ♣2 ♡5 ♡Q ♠Q
ボード上でクイーンのワンペアが完成しているが、それ以外に問題点があるわけではない。
ナツのハンドがハートのフラッシュなのは確定しているので、負けることは――いや。
(クイーンのワンペア――ちょっと待って。だったら、このボードのナッツは!)
ナツがそのことに気づくのとほぼ同時に、やみみが食い気味に言った。
『オールイン!』
全額を――賭けてきた。
当の本人は、自信満々で力強く宣言した。
『さあ、勝負ですよ、ナツさん!』
やられた、と思った。
ついさっきまでは間違いなく勝っていた。Aハイのフラッシュ。同じフラッシュが相手でも絶対に勝てるハンドだったので油断していた。このボードで、フラッシュよりも強いハンドが完成する可能性があったことを失念していたのだ。
フルハウス。
あるいはフォーカード。
やみみのハンドがQのポケットペアか、あるいは、プリフロップでスリーカードが出来る組み合わせだった場合、ナツは負ける。
(いや、そんな都合のいいことがあるわけ――)
それがあるのが、ポーカーという競技だ。
そもそも四枚目と五枚目で立て続けにQが落ちてきたのがご都合主義すぎる。けど、確率的に起こりうることはいつか起こるのだ。
やみみだって最初に勝機がなければ一〇〇〇点のレイズにコールなんてしない。フロップ以降のどこかでスリーカードという勝機があったからこそ、こちらの様子を見ながら攻めるタイミングを見計らっていたのだろう。
なら――ナツのやるべきことは一つだ。
「いやごめんね。フォールドだわ。勝てないもん」
あっさりと降りた。
こちらの方がチップは多いとは言え、オールインして負けを増やす必要もない。勝ちの確信より負けの可能性の方が高いのなら、素直に降りるのもポーカーにおいて大事なスキルだ。
配信としてはあんまり面白くない展開なので、コメント欄は不満で埋まる。さて、どうやってフォローしたものかと口を開こうとした。
その時だった。
『やった! ナツさん、降りてくれてありがとう』
「え?」
『だって、私のハンドこれですよ』
そう言いながら、やみみはリセットボタンを押す前に、カードの公開ボタンを押した。
開かれたのは――♡2♡3。
フルハウスではなく、フラッシュ。それも3ハイの弱いものだ。
思わず――ナツは叫んでいた。
「え、どうして……フルハウスは!?」
ナツの動揺に、やみみは愉快そうに声を弾ませた。
『やっぱりナツさん、そう思ってくれたんですね。だったら、やみみの作戦勝ち♪』
ナツが唖然としていると、コメント欄は『え、どういうこと?』『フラッシュならやみみちゃんが勝ちでいいんじゃないの?』と言った疑問符が飛び交っている。
それらのコメントに対して、やみみがニッコリ笑いながら言った。
『それがですねー。たぶん、ナツさんのハンドはAハイのフラッシュですよね?』
「……はは、バレたら仕方ないね」
画面上の編集を消して、自分の手札が視聴者に見えるようにする。♡A♡Kのビッグスリック。フラッシュではやみみより上位のハンドだ。
バツの悪いナツに代わって、やみみが確認をするように言う。
『ナツさんは、やみみの手をフルハウスかフォーカードだと思ったんですよね?』
「見事にしてやられたけどね」
まだ視聴者の中には理解できていない人がいるようだったので、ナツは先程のゲーム中に考えたことを説明してみせた。その後、やみみも自身のアクションについて解説してくれた。
『四枚目のフラッシュドローで「やった!」とは思ったんですけど、でも、ナツさんにもスーテッドが入っていたら負けるなって思ったんです。なにせ、こっちは3ハイフラッシュですから、どのフラッシュにも負けちゃいます。だから、別の勝ち筋が見えないか、ボードをずっと見てて、フルハウスのブラフを思いついたんです』
ブラフはただ闇雲に掛ければいいというものではない。対戦相手が負けを意識するような明確なシナリオが必要だ。
そういった意味で、やみみが仕掛けた最後のオールインはうまかった。
四枚目と五枚目でQが二枚落ちてきたのは全くの偶然だが――それを利用しきったのは純粋に実力である。スロープレイで最後までボードを開き、勝ち筋と呼べる幻想を浮かび上がらせた。
本当に――油断ならない。
これだから、ポーカーは面白いのだ。
二人が心理戦の様子を言語化したことで、コメント欄は大いに盛り上がる。『やみみちゃんすげー』『でも、なっちゃんも考えすぎじゃない?』『考えすぎないとポーカーは勝てないよ』『識者はどう思う?』『バッドビート狙いのスロープレイは推奨しない』『いや、この場合フルハウスは出来てないんだから、バッドビートじゃないでしょ』『ごちゃごちゃ言っても、結局勝ったのはやみみちゃんでしょ?』『いや、カードではなっちゃんが勝ってたでしょ』『それを覆したから面白いんでしょうが』
(あー、あー。盛り上がっちゃってまあ)
しかし、動画としては良い撮れ高となった。
漫画みたいに心の声が見えれば別だろうが、現実の心理戦なんてものは往々にして地味なものだ。理解するには相応の知識が必要だし、素人に理解できる程度の心理戦は往々にしてしょぼい。
素人にも理解できる範囲で盛り上がる良い塩梅を、やみみは実演してくれた。
『さ、これでまたチップは互角になりましたよ!』
当のやみみは、次のゲームを急かしてくる。
ああ――本当に、楽しいな。
「負けないよ、やみみちゃん」
『こっちこそ!』
配信時間は残り二十分。
二人はその時間を、存分に楽しんだ。




