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世界を裏で牛耳る 『悪役令嬢』──恋愛だけは迷走中【連載版】  作者: ぜんだ 夕里
自由の船は、彼女の港に寄ることはなく……

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「ウィリアムとの繋がりは汚れた帳簿を見ればすぐに分かることよ」


 そう言い放ち、私はボルコフの屋敷へと押し入った。

 埃と黴の匂いが鼻をつく。

 調度品は悪趣味なまでに豪華だが、手入れは行き届いていない。

 彼の精神性そのものを表しているかのようだ。


 書斎の机を漁り、隠し金庫から帳簿の束を引きずり出す。

 金の流れを追っていくと、私の口から思わず深いため息が漏れた。


「隣国の片田舎にある、しがない弱小貴族からの資金援助……ね」


 

 ただ没落寸前の男爵家が、一攫千金を夢見て彼に投資をしていた。

 それだけのことだった。


 ウィリアム・マセリンの影はどこにもなかった。

 ただ、愚かな男が、さらに愚かな男から金を借り、より一層愚かな夢に賭けていただけ。

 それだけの話。


 あの程度の男、ウィリアムが駒として使うわけはないわよね……


 私の好敵手はもっと狡猾で、もっと知的で、そして、もっと美しい手駒を選ぶ。

 こんな欲望に忠実なだけの醜い豚を、あの男が自身の計画に組み込むはずがない。

 私の読みは正しかった。

 正しかったけれど、だからこそ、この上なく時間の無駄だったという事実だけが残った。


 結局、ボルコフはディノの船団で、大洋の漁場へと送られることになった。

 もちろん、二度とこの港の土を踏むことはないだろう。



◇◇◇◇



 ボルコフが姿を消してから数日後。

 港町は、奇妙な熱気に包まれていた。


「おい、聞いたか! ボルコフの奴がついに北の海で財宝を見つけ出したらしいぜ!」

「本当かよ!? あのオンボロ船でか?」

「ああ! だから口封じのために海賊に襲われたって噂だ!」


 酒場のカウンターで、男たちが興奮気味にそんな噂話に花を咲かせている。

 「財宝発見」という、ありもしない物語だけが残っていたのだ。

 私はその光景を、宿の窓から冷ややかに見下ろしていた。


 愚かだ……。


 しかし、その滑稽な噂は笑い話では済まされなかった。

 港にはどこからともなく、一攫千金を夢見る男たちが集まり始めていた。

 彼らはなけなしの金をはたいて、頑丈とは言えない小船で北の氷河の海を目指そうとしている。


「俺も続くぜ!」

「財宝は俺のものだ!」


 活気、と言えば聞こえはいい。

 しかし、私には彼らが、自ら死地へと赴く愚かな蛾の群れにしか見えなかった。


 ――どうでもいい、と言えば、どうでもいい。

 彼らがいなくなろうと、私の事業には何の影響もない。


 けれど……。


(このくだらない一件のせいで、命知らずの男たちが大量に海の藻屑に消えていくのは、寝覚めは悪いわね……)


 貴重な『人的リソース』の非効率な浪費。

 私の経営美学がそれを看過することを許さなかった。

 私は静かに、付き従う部下の一人に命じた。


「ジェームズを至急、ここに呼びなさい。彼に作らせたいものができたわ」



◇◇◇◇



 王都から馬車を飛ばし、文字通り飛んできたジェームズ・ニット。

 彼の目には新たな開発への期待と、徹夜続きの疲労が混じった深い隈が刻まれている。


「リリス様。お呼びと伺い馳せ参じました。次はいかなる革新を?」


 技術の話になると途端に輝きを増す瞳に、私は小さく笑みをこぼした。


「ええ、ジェームズ。あなたに船を作ってもらいたいの」


「ふっ船ですか?」


 彼の驚きももっともだろう。

 私の組織も、この北の海は未開拓の領域だ。


「どんなに硬い氷河の海でもかき分けて航海できる船は作れないかしら?」


 私のその突拍子もない問いに、ジェームズは一瞬、目を丸くした。

 しかし、すぐに彼の頭脳は技術者としての思考へと切り替わる。


「……氷を砕きながら進む船ですか。前代未聞ですが……不可能ではありません」


「魔導エンジンの力を使えば、どんな硬い氷河でも突き進む船が作れないかしら?」


 私のその言葉が、彼の創造力に最後の火をつけた。

 彼の瞳が、見たこともないほどの輝きを放つ。


「魔導エンジン。 なるほど、その圧倒的な推進力と、船首に特殊な装甲を施せば…… できます。 やってみせます、リリス様」


 彼は堰を切ったように、頭の中に溢れ出る設計思想を語り始めた。

 船体の構造、最適なエンジンの出力、氷を最も効率的に破砕するための船首の角度。

 その姿は私の部下というより、未知の領域に挑む一人の探求者そのものだった。


「完全に安全な船は作れないでしょう。なにしろ、相手は自然ですから。ですが、従来では航海できない海をかき分ける船は作れましょう。リリス様のご期待に、必ずや応えてみせます」


 そう言って深く頭を下げる彼に、私は満足げに頷いた。


 それから、ジェームズはまた何日も徹夜をした……

 この港町に臨時の工房が設営され、王都から最高の技師たちが呼び寄せられる。

 槌音と魔導エンジンの駆動音が、昼夜を問わず港に響き渡った。


 そして数週間後。

 一隻の船が作られた。

 その船体は鋼鉄で覆われ、船首は巨大な刃のように鋭く尖っている。

 心臓部には最新式の魔導エンジンが搭載され、静かな咆哮を上げていた。


 名付けて、『砕氷船』


 ボルコフは多くの債務者を生贄にして、死へと向かう調査船を出していた。

 だが、その船は違う。

 この船によって、生贄ではなく、北の海の調査に『帰る算段』や『勝算』という、新たな価値を追加したのだ。


 「まったく、金にならない投資をしてしまったものね……」


 完成した船を前に、私の口から思わず深いため息が漏れる。

 愚かな男たちの命を救うためだけに、これほどの最新技術と資金を投入する。

 我ながら、非効率極まりない。慈善事業は私の専門外だというのに。



 ――だが。

 この『砕氷船』は、気まぐれが生んだ、ただの慈善事業の象徴では終わらなかったのだ。


 数年後、この革新的な船は、分厚い氷に閉ざされた北の大地で、歴史の闇に埋もれた古代王国の遺跡を本当に発見することになるのだ。

 そして、そこに眠る莫大な財宝がまたしても懐へと転がり込み、資産をさらに桁違いのものへと膨れ上がらせる。


 その逸話から、後世の冒険者たちの間では、一つの格言が語り継がれることになる。


【真の冒険とは、無謀な挑戦にあらず。緻密な準備の先にこそ、その扉は開かれる】と。


 もちろん、その格言の元となった『悪役令嬢』の名が歴史の表舞台に出ることはないのだが……



◇◇◇◇



 私は完成したばかりのその船を、埠頭から見上げていた。

 その隣に、いつの間にかレイヴンが立っていた。


「……たいしたもんだな。こんな化け物みてぇな船、見たことがねぇ」


「ええ、私の自慢の技術者たちが腕によりをかけて作ったものよ」


 私は、隣に立つ、この海で最も自由な男に、ふと問いかけた。


「ねえ、レイヴン。この調査船の船長にならない?」


 私のその申し出に、彼は一瞬、驚いたように私を見た。

 そして、船と私の顔を交互に見比べると、やがて静かに首を横に振った。


「……お前はいい女だ。この船も、確かにいいもんだ」


 彼は、砕氷船の鋼鉄の船体を、愛おしむような、それでいてどこか寂しげな目で見つめている。



「だが、海は広い。この広い海を、自分の力で航海する。風を読み、波を乗りこなし、時には嵐に翻弄されながら、それでも自分の腕と勘だけで進んでいく。この自由が無くなるならば、俺は海の藻屑と消えたって良い」



 その、あまりに真っ直ぐな言葉。

 私の胸に、ずしりと重く響いた。


「自由ね……」


 ウィリアムとの一件で、少しだけ私も敏感になっていた言葉。

 彼が掲げる、破滅さえも許容する過激な自由。

 私はそれを否定し、管理された秩序こそが善だと信じてきた。


 今、目の前にいる男が語る自由は、ウィリアムのそれと似ている。

 だが、もっと純粋で、原始的で、そして、何よりも気高いもののように思えた。


(自由。それも、ある程度認めなければならない考えかもしれない……)


 私は彼の生き方を、そして、彼の選択を、尊重したくなった。

 そして、無理強いすることはあまりにも野暮だと思った。


「……そう。分かったわ」


 私は、ただ短くそう答えた。

 レイヴンは、そんな私を見て、ニヤリと笑う。


「ま、達者でやれよ、リリス」

「ええ、あなたもね」


 短い別れの言葉。

 彼は軽やかに踵を返すと、自分の海賊船へと戻っていった。

 私はその背中を、ただ黙って見送ることしかできなかった。



◇◇◇◇



 帰りの馬車の中。

 窓の外では、北の荒涼とした風景がゆっくりと後ろへと流れていく。

 私はレイヴンにまるで振られたかのような、不思議なもの悲しさを感じていた。


 恋愛感情ではない。

 ただ、彼の生き方が、彼の自由が、あまりにも眩しくて。


 私の築き上げる秩序。

 それは完璧でも、どこか息苦しくなっていないだろうか?


 私の船はどんな氷の海でも進める。

 けれど、彼の自由な心は、私の作り出した完璧な港に寄ることはない。


 ――そんな、らしくない感傷に浸りながら、私はゆっくりと外を眺めながら、王都への帰路につくのであった。



自由の船は、彼女の港に寄ることはなく…… 完

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― 新着の感想 ―
タイトルに納得! レイヴンさん、格好いい! 今回は関係なかった魔薬王。 にしても、無駄な投資が意味のある投資になるとは…。やっぱり恋愛と引き換えに資産が増える呪いが…w 今回も面白かったです!
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