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調査は、開始早々に暗礁に乗り上げた。
王都の夜は混沌としている。
幹部会議で私に発破をかけられた部下たちは血眼になって王都中の騒動を洗い出す。
だが、私の執務室に山と積まれていく報告書は、どれもこれもノイズばかり。
「西区画の酒場にて酔っ払い同士の殴り合い。原因は些細な口論です」
「南の市場裏で若い男女の痴話喧嘩が原因の傷害事件が発生」
「新市街の路地にて二つのチンピラ組織による小規模な抗争」
報告書を一枚めくるたびに、私の眉間の皺は深くなる。
どれもこれも、これまでの王都で日常的に起こってきたありふれた犯罪の記録。
そのどれもが、ウィリアムが描くであろう巨大な謀略の影とはかけ離れていた。
「……非効率だわ。これでは、砂漠の中から特定の砂粒を探し出すようなものよ」
私は報告書の山を苛立たしげに手で払いのける。
このままでは、部下たちの体力と時間を浪費させるだけだ。
そして何より、ウィリアムに無駄な時間を与えてしまう。
「もう一度、全員を集めなさい」
私のその一言で、再び幹部たちが執務室へと召集された。
彼らの顔には徹夜続きの疲労と、成果を上げられない焦りが色濃く浮かんでいる。
「あなたたちに、今一度、方針を徹底させるわ」
私は、集まった彼らに冷たく言い放った。
「網を広げすぎたせいで、本当に捕まえるべき魚が見えなくなっているわ」
私の言葉に、部下たちは戸惑いの表情を浮かべる。
「で、ですがリリス様。それでは、取りこぼしが……」
「いいのよ、取りこぼしても。今、私たちが追うべきは、ただの犯罪者ではないわ」
私は立ち上がり、壁にかけられた王都の地図を指し示した。
「いいこと? これからあなたたちが注視すべきは『不可解な事件』、ただそれだけよ。動機が不明な暴力、金品を目的としない襲撃、そして、常軌を逸した言動を見せる犯罪者。そういった、これまでの犯罪のカテゴリーに当てはまらない、奇妙な事件だけを徹底的に洗い出しなさい」
そして、私はもう一つの重要な指示を付け加えた。
「それから、治安維持部門だけでなく医療班も本格的に動かすわ。捕らえた不審者は例外なく医療施設に送り、その身体と精神の状態を徹底的に分析させなさい」
その指示に部下たちの目にようやく光が戻った。
「はっ! ただちに!」
敬礼と共に、彼らは執務室を飛び出していく。
その背中を見送りながら、私は静かに目を閉じた。
(あなたの狙いは『混沌』。ならば、その混沌の中から、あなたの指紋が残った駒だけを見つけ出してあげるわ、ウィリアム)
◇ ◇ ◇ ◇
方針を転換してからの調査は、驚くほど効率的に進んだ。
闇雲な捜査から解放された部下たちは、私が示した『不可解な事件』の痕跡だけを、鋭敏な嗅覚で追跡し始める。
そして、報告は数日のうちに、私の元へと届き始めた。
「リリス様、医療班からの第一報です」
報告に来たのは、私の組織が誇る魔導医師団の長だった。
その顔は、珍しく緊張にこわばっている。
「先日、新市街で確保した暴漢ですが……彼の体内から、異常な興奮状態を引き起こす強力な薬物が検出されました」
「まさか……」
「はい。先日、ウィリアム侯爵の屋敷で確認された『魔薬』の成分と、完全に一致します」
私の最悪の予測が、現実のものとして突きつけられた瞬間だった。
「他の被検体からも同様の反応が次々と出ています。瞳孔の異常な散大、意味不明なうわ言、そして、薬が切れた際の激しい禁断症状……」
医療班の報告は続く。
彼らの口から語られるのは、魔薬がもたらす地獄の惨状。
私はそれを、ただ黙って聞いていた。
そして、その報告は、決定的な結論へと繋がっていく。
捕らえられ、医療施設で禁断症状に苦しむ中毒者たち。
彼らの一部が、薬欲しさからか、あるいは理性がわずかに残っていたからか。
ぽつりぽつりと口を開き始めたのだ。
「カネが欲しかったんじゃない…… あの薬を買いたかったんだ……」
「夜、貧民街の第三水路に行けば、黒い外套の男がいる……。そいつが、カネと引き換えに『天国』をくれるんだ……」
「頼む……もう一度だけ、あの男に会わせてくれ……!」
点と点が、線で結ばれる。
金品目的ではないと思われた不可解な暴力事件。
薬代を手に入れるための、なりふり構わぬ犯行。
全ての報告書に目を通し終えた時、私は静かに立ち上がった。
「……ようやく尻尾を掴んだわね」
ウィリアムがばら撒いた毒は、すでに王都の暗部に静かに根を張っている。
衝動的な犯罪の連鎖は、全てがこの魔薬によって引き起こされていたのだ。
私の築き上げた秩序の足元で、知らぬ間に巨大な蟻塚が築かれていた。
その事実に、私は怒りよりも、むしろ冷徹な闘志を燃やしていた。
「リリス様、どうやら夜道は辻斬りだけでなく、薬物中毒者まで出るようになってしまったようですね」
その、あまりに緊張感のない声。
振り返ると、ハロルドが淹れたての紅茶をトレーに乗せて、そこに立っていた。
「夜間の外出は危険極まりない。ですがご安心を。俺の『ハロルドクリーンカンパニー』では、新たに『深夜の御用聞き及びお夜食デリバリーサービス』を開始いたしました。これでリリス様が小腹を空かせた際も温かいスープをお届けできます。つきましては――」
「結構よ」
私は彼の長々しい口上を、一言のもとに切り捨てる。
しかし、ハロルドは全くめげた様子もなく、にこやかに微笑んだ。
「左様でございますか。では、せめてこの紅茶だけでも。頭脳労働には糖分が不可欠ですから」
私は彼が差し出したカップを受け取ると、その温かい液体を一口含んだ。
甘い香りが、思考で飽和した脳を優しく解きほぐしていく。
カップを置き、私は改めて傍らに控える部下たちへと向き直った。
「売人の特定を急ぎなさい。そして、その背後にいる元締めも。……この毒の根は、私がこの手で完全に引き抜いてみせる」
私の声には、もはや迷いはない。
好敵手ウィリアムとの第二回戦が始まろうとしていた。




