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感傷に浸っている暇など、一秒たりともなかった。
この『魔薬』は、私がこれまで築き上げてきた、そしてこれから築き上げようとしている、秩序と安定の全てを根底から腐らせる劇薬だ。
私は即座に、執務室から矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「ウィリアムの屋敷は完全に封鎖。生存者は全員、私の組織が管理する医療施設へ極秘裏に移送しなさい。治療と同時に、薬物の影響に関する詳細なデータを収集するのよ。彼らは貴重な症例サンプルでもあるわ」
――人道的な観点など二の次だ。
まずは敵を知る。
そして、管理下に置く。
それが私のやり方だ。
「それから、諜報部門は総力を挙げて、ウィリアムが王都に滞在していた間の足取りを洗い出しなさい。彼が接触した全ての貴族、商人、その末端の使用人に至るまで、一人残らずリストアップするのよ。時間はかけられないわ。今すぐに動きなさい」
私の命令一下、巨大な組織の歯車が凄まじい速度で回転を始める。
ウィリアムが王国に滞在していたのは、わずか1~2ヶ月。
その間に、彼がどれだけ深く、この国に毒の根を張ったのか。
報告は数日のうちに私の元へと集まってきた。
「リリス様、ウィリアム侯爵と密会していた貴族五名、商人三名の身柄を確保いたしました」
「いずれも、侯爵から『気分が高揚する素晴らしい香』として、魔薬のサンプルを受け取っていた模様です」
幸い、ウィリアムの滞在期間が長くなかったこと。
そして、彼が慎重に相手を選んでいたことから、汚染の範囲はまだ限定的だった。
私は、拘束した貴族や商人たちが収容されている部屋へと足を運んだ。
彼らは私の姿を認めると、一様に恐怖に顔を引きつらせる。
だが、私が魔薬について尋ねた途端、その表情は一変した。
「あ、あの薬は素晴らしい! まさに神の恩寵です!」
「リリス様、どうか我々をウィリアム様にお取次ぎください! あの薬を安定して供給できるのであれば、我々はどんな協力も惜しみません!」
「そうだ! あれほどの品、貴族たちの間で流行らせれば、莫大な富を築ける! これは、かつてない商機なのですぞ!」
彼らの瞳は恐怖ではなく、狂信的な欲望で爛々と輝いていた。
魔薬がもたらす快楽と、それが生み出すであろう莫大な利益。
その二つの魔力に、彼らは完全に取り憑かれていた。
(……仕方ないわね)
私は心の底から冷たい溜息をついた。
彼らに、もはや道理は通じない。
薬の恐ろしさを説いたところで、馬の耳に念仏だろう。
「この者たちは、使用者として先の者たちと同じ施設に合流させなさい。商人たちには、今後一切、この件に関わらないよう、我が組織の『名』において、最大限の圧力をかけること。もちろん、四六時中、監視の目もつけなさい。少しでも不審な動きがあれば即座に報告を」
力には力で蓋をするしかない。
私は部下に淡々と命じ、部屋を後にした。
執務室に戻り、新たに作成された『魔薬関係者リスト』を睨みつける。
そこには、拘束した者たちの名が並んでいる。
しかし、私の胸の内には、晴れない霧が立ち込めていた。
(これでも、全ての痕跡をたどれたわけではないでしょうね……)
ウィリアムほどの男が、これほど浅い根回しで終わるとは思えない。
水面下には、まだ私の知らない人脈が、毒のネットワークが潜んでいるに違いない。
私にとって、その「不確定要素」の存在は何よりも不快だった。
◇◇◇◇
拡散ルートの封じ込めと並行して、私は製造拠点の特定を急がせた。
ウィリアムが残した屋敷には大した資料は残されていなかった。
彼の頭脳は重要な情報を紙媒体で残すほど迂闊ではない。
だが、手掛かりがゼロというわけではない。
私は王国の広域地図を執務室の壁に広げ、思考を巡らせた。
(報告によれば、魔薬の原料は特殊な植物。つまり、大規模な栽培には人里離れた広大な土地が必要になる)
(そして、秘密裏に製造し、完成品を流通させる必要がある。隣国にいるウィリアム本人とのアクセスも考えれば、国境付近かつ人の目が届きにくい場所……)
いくつかの条件を重ね合わせていく。
候補地は、ある程度限られてきた。
「この、三国国境にまたがる山脈の麓。古くから痩せた土地として打ち捨てられ、開発も進んでいない。ここなら、大規模な農地を開墾しても、王家の目に届くまで時間がかかるわ」
「そして、ここ。西部の湿地帯の奥にある、旧時代の砦跡。こちらも誰も近寄らない広大な場所」
私は地図上の数箇所を赤いインクで囲んだ。
「この候補地を今すぐ徹底的に調査なさい。どんな些細な変化も見逃しては駄目よ」
私の指示は絶対だ。
組織の調査能力が試される。
そして、その答えは三日も経たずに、私の元へともたらされた。
「リリス様! ご指定の山脈麓にて不審な大規模開墾の跡を発見いたしました!」
「現地に潜入させた工作員によりますと、土壌から見たことのない植物が栽培されているとのこと。間違いありません。ウィリアムはこの地に巨大な魔薬農場を建設しようとしていました」
報告を聞きながら、私は静かに目を閉じる。
(……間に合った)
最悪の事態は、まだ防げる。
だがこれは、長い、長い戦いの始まりに過ぎない。
ウィリアム・マセリンという、最も厄介で、最も相性の悪い宿敵との。
私は、ゆっくりと目を開き、傍らに控える部下へ静かに告げた。
「出発の準備を。その毒の根は、私が直々に断ち切ってあげるわ」




