表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を裏で牛耳る 『悪役令嬢』──恋愛だけは迷走中【連載版】  作者: ぜんだ 夕里
禁断の果実は、国境を越えて愛を囁く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/64


 数日後、王都でも最高級と名高いホテルのスイートルーム。

 その一室が、私とウィリアム・マセリン侯爵の初顔合わせの場所に選ばれた。


 私の屋敷でも、彼が借り上げた邸宅でもない、中立の場所。

 その選定一つからも、彼の抜け目のなさが窺えた。


 私の目の前でウィリアムが、穏やかな笑みを浮かべて座っていた。


「リリス様、本日はお時間いただき、誠に光栄です。あなた様が開発を主導された『魔導エンジン』と『魔導調速機』、我が商会でもいち早く輸入させていただきましたが。その革新性には驚かされるばかりですよ」


 彼の声は、落ち着いていて、理知的だった。

 社交辞令にありがちな空虚な響きはない。

 純粋な商人としての興味と、技術への敬意が感じられた。


「光栄ですわ、侯爵。あなたの商才も、我が国では高く評価されております。変化の波をいち早く捉え、事業を拡大するその手腕、見事なものだと」


 私もまた、ビジネスライクな微笑みで応じる。

 探り合うような、それでいて心地よい緊張感が二人の間に流れた。


 これまでの男たちとは違う。

 彼は私のことを、ただの公爵令嬢としてでなく、対等な事業家として見ている。


(……悪くないわ。これなら、まともな会話ができそうね)


 私の期待に応えるように、ウィリアムは本質を突く問いを投げかけてきた。


「あなた様の改革は実に興味深い。奴隷制度廃止に伴い、その労働力を魔導エンジンで代替する。そして教育を施し、より高次の『人材』へと転換させる。まさしく社会構造のトップダウンによる再設計。その大胆さと効率性には舌を巻きます」


「ええ。社会とは無駄なく管理され、安定した成長軌道に乗せるべきもの。放置すれば必ず淀み、腐敗しますから」


 私の言葉に、ウィリアムは面白そうに唇の端を上げた。


「なるほど。実に合理的だ。けれど、リリス様。それは本当に『進歩』と呼べるのでしょうか?」


「と、仰いますと?」


「真の進歩とは混沌から生まれるもの。規制なき過酷な競争の中で、無数の挑戦と失敗が繰り返される。その中から淘汰の果てに生き残った一握りの『本物』だけが、時代を塗り替えるのです。あなた様のやり方は、確かに安定はするでしょう。しかし、それは予定調和の世界。予測不能な、爆発的なイノベーションは生まれにくい」


 彼の主張は、私の経営哲学とは真っ向から対立するものだった。

 私は、管理された庭園のように、全ての要素を完璧に配置し、無駄なく育てることを是とする。

 彼は自然の荒野のように、弱肉強食の果てに最も強い種が生き残ることを是とする。


(面白い。けれど、気に食わないわね……)


 私の内心のささくれを、彼は見透かしたように話を続けた。


「個人の自由についても、同じことが言えます。あなた様は、民に教育と職を与え、飢えや無知から解放した。それを『自由』と呼ぶのでしょう。しかし、それは安全な檻の中で与えられた自由に過ぎない」


「飢えや貧困に喘ぎ、明日の命も知れない状態が『自由』だとでも? 私は、彼らに選択肢を与えているのよ。生きるための、最低限の選択肢を」


「私が言う自由とは、『自己破産する自由』さえも許容する、完全な自己決定権のことです。成功して富を築くのも、失敗して全てを失うのも、全ては個人の選択と責任。国家や誰かが、そのセーフティネットを用意すべきではない。過酷な環境にこそ人間の真価は発揮されるのですから」


 過剰な自由主義。

 だが、その瞳には狂信的なまでの確信が宿っていた。

 彼の論理は冷徹だが、一本の筋が通っている。


(いちいち腹立たしいことを言う男。でも、理解はできる。そして、何より退屈しないわ)


 思わず、議論に熱がこもる。


 人間の価値とは何か、という根源的な問いにまで話は及んだ。


「人の価値とは、時間をかけて育み、引き出すものよ。磨けば光る原石を見つけ出し、最高の輝きを与えるのが上に立つ者の務めだわ」


 孤児たちを育て、組織の礎としようとしている私は言う。

 ウィリアムは、しかし、静かに首を横に振った。


「いいえ、リリス様。価値とは、自ら証明するもの。競争の激流を泳ぎ切り、自らの力で対岸にたどり着いた者だけが、価値ある存在として認められる。泳ぎ切れなかった者は……ただ、沈むだけ。それが自然の摂理です」


 ――言葉の応酬。

 それはまるで、知性という剣を交える決闘のようだった。


 私たちの思想は、水と油のように決して交わらない。

 けれど、互いの知性が放つ火花は、奇妙なほどに心地よかった。

 こんな風に私と対等に渡り合える男など、この国にはいなかったから。


(面白い男。気に食わないけれど、私にないものを全て持っている。……婚約者としては、これくらい正反対の男の方が、案外うまくいくのかもしれないわね)


 私は初めて、政略結婚の相手に個人的な興味を抱いている自分に気づいた。

 私は彼との婚約を、前向きに進めることに決めた。


「ウィリアム様、あなたとの会話は、実に有意義でしたわ。前向きに今後のことを考えさせていただくわ」


 会話の合間、夕日が彼の横顔を照らす。

 その時、私はふと、彼の瞳の色に奇妙な違和感を覚えた。

 聡明な光の奥に、どこか現実感のない、虚ろな色が混じっている。

 その瞳は、まるで何かに依存し、陶酔しているかのようだ。


(この目は……どこかで……)


 私の記憶の糸が、過去の光景を手繰り寄せる。


(そうだわ。地下の尋問室での捕虜の目に似ている……)


 私は小さく首をかしげた。

 焦点が合っているようで、どこか遠くを見ているような瞳。

 自白剤を投与された人間の雰囲気に、どこか似ている気がしたのだ。


 だが、それは一瞬のことで、彼の知的な微笑みの前に、その違和感はすぐに霧散してしまった。


 こうして、何から何まで私と相容れない男との婚約の話は、私のささやかな好奇心に後押しされる形で、本格的に進められていくことになったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
一見素晴らしい婚約者候補…。理想は水と油でも、それもむしろ良いかも!とリリスさんは思ってるけど…。相変わらずの不穏な気配!w 彼は何に依存してるのか?もしくは狂信者ってやつなのか?危ない薬でもやってる…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ