ステラ・ロワーヌの不可解な貢献
――わたくしはステラ・ロワーヌ。
愛するアレクシス殿下の隣に立つべき、ただ一人の妃となるはずだった令嬢。
それなのに、今わたくしがどこにいるかというと……
王城の、冷たくて薄暗い地下牢の中。
信じられない。
信じたくない!
あの日、わたくしたちは愛と正義のために、勇気を振り絞って高らかに宣言したというのに。
『悪役令嬢』リリス・ヴォルテクスとの婚約破棄。
これこそこそが、アレクシス様と、そしてこの国の未来のためになると信じていた。
なのに国王陛下は、わたくしたちの純粋な愛をまったく理解してくださらなかった。
「お前たちのせいで、国が滅びかけたのだぞッ!」
そう言って泣き崩れる陛下の姿は、今でも目に焼き付いて離れない。
アレクシス様は、リリスに逆らった罰として『アイドル』などという、よく分からないお役目を与えられてしまった。
そしてわたくしは、「王国に多大な損害を与えた」という罪で、この地下牢に禁固処分となった。
「私がこんな目に遭うのも、全部あの悪役令嬢のせいよ! きっと裏で、汚い手を使って陛下を脅したんだわ! アレクシス様は、今頃どうしていらっしゃるかしら……」
独り言を呟きながら、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
幸い、アレクシス様が必死に情状酌量を訴えてくださった。
そのおかげで、牢内での生活は想像していたよりずっとマシだった。
食事は温かいものが日に三度運ばれてくるし、寝台には清潔な毛布まである。
……たまに差し入れられる本を読むくらいしか、やることもないけれど。
それでも、この薄暗い場所で、ただじっとしているなんて、わたくしの性には合わなかった。
「……めそめそしていても仕方ないわ。わたくしがこんな所で腐っていたら、きっとアレクシス様も悲しんでしまう」
そうよ、こんな時だからこそ、わたくしが元気を出さないと!
遠くにいらっしゃるアレクシス様を、ここから元気づけるのよ!
わたくしはぐいっと涙を拭うと、すうっと息を吸い込んだ。
そして、子どもの頃に習った、一番得意な恋の歌を、朗々と歌い始めた。
「――♪」
最初は、ただ自分の心を奮い立たせるためだった。
しかし、わたくしの澄んだ歌声は、静かな地下牢によく響いた。
反響した自分の声に気分が良くなったわたくしは、毎日、時間を決めて歌うことを日課にした。
そんなある日のこと。
食事を運んできた牢番が、どこか照れくさそうに、一枚の花を差し出してきた。
「あ、あの、ステラ様……! いつも、素晴らしい歌声をありがとうございます……! よろしければ、これを……!」
それが、始まりだった。
わたくしの歌は、いつしか牢番や城内の兵士たちの間で評判になっていたらしい。
一人、また一人と、わたくしの歌を聴きに城内の人が地下牢まで足を運ぶようになった。
「本当に歌ってらっしゃるぞ!」
「なんと美しい声だ……! まるで天使のようだ!」
鉄格子の向こうから聞こえてくる囁き声に、わたくしは少しだけ得意になる。
見られるからには、もっと上手に歌わなければ。
わたくしは、歌だけでなく、身振り手振りも交えて、聴衆を魅了しようと試みた。
すると、どうだろう。
見物人の数は日に日に増え、今や地下牢の前は毎日人だかりだ。
ある日、兵士の一人がどこからか木箱をいくつか持ってくる。
そして、牢の中に小さなステージのようなものまで作ってくれた。
「ステラ様! どうか、この上でお歌いください!」
しまいには、夜間にこっそりと持ち込まれたランプがステージを照らすようになる。
もはや、ここは牢獄というより、小さな観劇場のようだった。
「ステラ様、今日も素敵です!」
「その笑顔に、日々の疲れも吹き飛びます!」
差し入れは花だけにとどまらず、可愛らしい髪飾りなど、日に日に豪華になっていく。
わたくしは鉄格子の隙間から、彼らと握手を交わし、笑顔を振りまいた。
気がつけば、この牢獄での生活は、わたくしにとってかけがえのない、充実した毎日へと変わっていた。
そんな中、どこからともなく、新たな噂が流れ始めた。
「王子様は今や『アイドル』として、舞台の上から我々に夢を与えてくださっている」
「だが、ステラ様は違う! 俺たちのすぐ目の前で、この地下で輝いていらっしゃる!」
「そうだ! 王子様が『アイドル』なら、ステラ様は俺たちの『地下アイドル』だ!」
地下アイドル。
その奇妙な響きが、なぜだかとても気に入った。
そうよ、わたくしは地下アイドル!
この場所から、アレクシス様と、そして王国中の人々に愛と希望を届けるのよ!
わたくしのステージは、今日も満員御礼。
熱狂的な声援に包まれながら、わたくしは腕を高々と掲げた。
◇◇◇◇
ステラ・ロワーヌが、己の新たな天職に目覚めていた、ちょうどその頃。
リリス・ヴォルテクスの情報部門は、王城内で急速に拡大する奇妙な組織の存在を察知していた。
その名も、『地下アイドル・ステラ様私設ファンクラブ』
発起人は、城内の若手文官と近衛騎士団の分隊長。
会員は、城に勤務する兵士、文官、侍女、果ては一部の幹部クラスの貴族にまで及ぶ。
驚くべきは、その組織力と結束力だった。
「入会には、会員二名以上の推薦状と、厳格な面接審査を要する、と」
報告書を読み上げた情報部門のチーフは、感心したように唸った。
「会員にはシリアルナンバー入りの会員証が発行され、会員名簿は厳重に管理されています。さらに、週に一度、『ステラ様萌え萌え週報』なる会報まで発行しているようです」
「……馬鹿げている。だが、これは使えるな」
チーフは即座に判断を下す。
この名簿を手に入れれば、極上のデータベースが完成する。
これほどの諜報活動のチャンスを、リリスの組織が見逃すはずがなかった。
数日後、情報部門の工作員は、ファンクラブの運営陣に極めて友好的な態度で接触した。
「ステラ様の気高き活動に、我々も深く感銘を受けました。つきましては、ささやかながら支援をさせていただきたい。会報の印刷並びに会員証の発行を、我々のルートで格安にて請け負わせてはいただけないでしょうか」
運営陣は、その申し出に狂喜乱舞した。
「おお! なんとありがたい! 話がお分かりになる人だ!」
彼らは二つ返事で提案を受け入れた。
もちろん、その見返りが「会員名簿の定期的な閲覧権限」であることなど、夢にも思わずに。
◇◇◇◇
リリスの執務室に、情報部門のチーフから、ほくほく顔で報告が上がってきた。
「リリス様、ご報告いたします。この一週間で、王城内における情報収集の効率が、以前と比較して飛躍的に向上いたしました」
王城に勤務するほぼ全ての人間の身元や思想、交友関係を網羅することができたと言う。
「あら、どうして?」
リリスは分厚い決算書からちらりと視線を上げる。
チーフは、待っていましたとばかりに胸を張った。
「はい。実はステラ・ロワーヌの私設ファンクラブが発行する会員名簿が、ことのほか有用でして…… これを活用することで、王城内の人的相関図から思想傾向まで、ほぼ完全に把握することが可能となった次第です」
リリスは、その報告を聞きながら、ぴたりと動きを止めた。
しばらくの沈黙の後、心の底から不思議そうに、小さく首をかしげる。
「……なぜ、あの子が私の諜報活動に貢献しているのかしら……?」
あの、世間知らずで、ただ感情のままに動く令嬢が。
自分の知らないところで、組織の利益に繋がっている。
その事実が、リリスにはどうにも解せなかった。
ただの偶然か……?
リリスは再び決算書に目を落とす。
そこに並ぶ黒字の羅列を眺めながら、また一つ、自身の恋愛損益計算書に、説明不能な赤字が計上されたような、そんな奇妙な気分に包まれるのだった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
もし「面白いな」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下の★マークから評価をいただけますと、作者として大変励みになります。
皆様からの評価が今後の執筆の大きな参考にもなりますので、ぜひお気軽につけていただけると嬉しいです。
これからも悪役令嬢の奮闘(と空回り)を、どうぞよろしくお願いいたします。




