2
国王との謁見を終えた私は息つく間もなく次の応接間へと案内される。
私の婚約相手だという王子との面会がすでに整えられているという。
彼の名はアレクシス・ドラクール。第六王子。
王位継承権からは遠く、その存在を耳にしたことすらなかった。
表舞台に立つことがほとんどなかったのだろう。
――まあ、相手がどんな王子でも関係ないわね。私の目的はただ一つ。
ヴォルテクス家に集中しすぎた富と権力の一部を王家の血筋に流し込む。
ただそれだけのための、形式的な契約に過ぎない。
国王が不安げな顔で私を見送っているが知ったことではない。
彼の息子の出来の悪さなど私の事業計画には一ミリも影響しないのだから。
重厚な扉が開かれる。
そこに件の王子は待っていた。
そしてその姿を認めた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
……すごい、美男子ね!
窓から差し込む柔らかな光を受けて、白磁のように滑らかな肌が輝いている。
陽光を溶かし込んだかのような金の髪は無造作ながらも気品を失わない。
そして長い睫毛に縁どられた紫水晶の瞳は憂いを帯びた宝石のようだった。
これまで仕事柄、様々な美貌の男女を見てきたが……その誰とも比べ物にならない。
神が気まぐれに美の粋を集めて作り上げたかのような完璧な造形。
これが「出来の悪い」王子だというのか。
しかし、私の驚きはすぐに困惑に塗り替えられた。
その完璧な美貌の王子の隣になぜかもう一人、可愛らしい少女がちょこんと座っている。
ふわふわとした髪に大きな瞳。
小動物のような愛らしさを振りまく彼女は王子と親密そうに肩を寄せ合っていた。
???
私の頭上に疑問符が三つほど浮かぶ。
これは私と王子の初めての顔合わせのはず。
私は努めて冷静に、優雅な微笑みを浮かべてみせた。
「はじめましてアレクシス殿下。リリス・ヴォルテクスと申します。この度は私たちの婚約が整いますこと、光栄に存じますわ」
私がそう挨拶すると王子はぱあっと顔を輝かせ、隣の少女の肩を抱いた。
「おお、君がリリスか!よく来てくれた!こちらはステラ・ロワーヌ。僕の大切な友人なんだ!」
ステラと紹介された令嬢――伯爵令嬢ステラ・ロワーヌはぺこりとお辞儀をする。
悪びれる様子はまったくない。
……友人、ですって?
私は笑顔を顔に貼り付けたまま内心でこめかみを引きつらせた。
王族が第二、第三の妃や、あるいは公然の妾を抱えることは珍しくない。
だが新しく婚約する相手との初顔合わせにその「仲の良い令嬢」を同伴させるなど……。
一体、どういう神経をしているのかしら?
――まあいい。どうせ政略結婚だ。
私は沸き上がりかけた違和感をぐっと飲み込みビジネスとして本題を切り出した。
「殿下。今回の婚約は我がヴォルテクス家が保有する資産と商業網を、王家の安寧のために還元することを主目的としております。具体的には我が家の持つ資金力と権力の一部を、殿下を通じて王家へ……」
私は可能な限り簡潔に今回の縁組の趣旨を説明する。
私の言葉を王子はうんうんと頷きながら聞いている。
……その真剣な表情、理解力はあるのかもしれない。
と、一瞬だけ期待した私が馬鹿だった。
私の説明が終わるや否や、王子は満面の笑みで言った。
「うむ!つまり君が僕にたくさんお金をくれるということだな!わかったぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、私の思考は停止する。
……あれ?全然理解していないみたい!?
大丈夫かしら、この王子……さすがに不安になってきたわ!
権力の分散。
国家経済の安定化。
政治的バランスの維持。
そういった複雑な概念は彼の美しい頭脳を素通りした。
そして「お金がもらえる」という一点のみに集約されてしまったらしい。
まあ……いいわ。
今回の婚約の詳しい趣旨は後で王宮の誰かがこの王子にも分かるように説明するはずだ。
そう自分に言い聞かせ、私は早々にその場を辞した。
これ以上ここにいても私の精神が疲弊するだけだ。
◇◇◇◇
そして翌日。
私の屋敷に昨日会ったばかりの令嬢、ステラ・ロワーヌが怒鳴り込んできた。
本来であれば門前払いで済ませるところだが、将来的に同じ王子妃として顔を合わせる可能性もゼロではない。面倒の種は小さいうちに摘んでおくべきだ。
私は応接間に彼女を通すよう命じた。
私を見るなりステラは頬を赤く染め、拳を握りしめて叫んだ。
「あなた、社交界で『悪役令嬢』などと呼ばれているんですってね!アレクシス様の隣に立つ妃として、あなたのような方はふさわしくありませんわ!」
私は思わず深々とため息をついた。
――この二人、揃いも揃って途轍もなく浮世離れしている気がする……。
私の裏の顔やそれに伴う悪評など、この国の貴族であれば知る者も多い。
それを今更こんなにも真正面から純粋な怒りとしてぶつけてくるとは。
「ステラ様、と仰いましたかしら。あなたの懸念はごもっともですわ。ですが今回の婚約は政略的なもの。私にあなたとアレクシス殿下の仲を邪魔する意図は毛頭ございません」
私はできる限り穏やかに、そして分かりやすく説明を試みた。
「私は正妃となりますが、それはヴォルテクス家の権力を王家に移譲するための形式上の立場に過ぎません。資金と権力の横流しが完了すれば私は妃としての役割を終えます。ですからどうぞご安心なさって」
私の言葉にステラはきょとんとしている。
どうやら話の半分も理解できていないようだ。
彼女はしばらく何かを考え込むそぶりを見せた後、ぷいっと顔をそむけた。
「……よく分かりませんけれど、とにかくアレクシス様を悲しませるようなことは許しませんから!」
そう言い捨てると彼女は足音も荒々しく部屋を出て行ってしまった。
一人残された応接室で私は静かに紅茶をすする。
これまでの婚約者候補たちとはまったく質が違う。不安がじわりと胸に広がっていくのを感じていた。
婚外子を隠していた野心家。
爆薬を仕掛けてくる時計屋。
子供を使い潰す聖人。
彼らは皆、分かりやすい相手だった。
だが今度の相手は違う。
悪意がないからこそ、かえって救いようのない……。
先程までのようなおままごとをこの先もずっと続けるハメになるのだろうか。
真面目に向き合い続ければ私の精神がおかしくなってしまうかもしれない。
……いっそ、あの二人のバックに優秀な文官でもつけてもらうべきね。そして、私は極力関わらず放置する。それが最善策に違いないわ。
そんな思考をもってしてもぬぐい切れない不安が私の心に残り続けた。
この縁談は私が思っている以上に、厄介なことになるのかもしれない……。




