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――私はリリス・ヴォルテクス。
机に積まれた報告書の山。そのすべてが黒字を示している。
すでに『魔導調速機』の量産化に目途をつけ始めていた。
事業は絶好調。組織の金庫は潤い、私の影響力はますます盤石になる。
ただ、恋愛に関する収支報告だけが今日も惨憺たる有様だ。
「はあ……」
思わず溜息が漏れる。
仕事柄もあって、恋人は皆、最終的には怯えて逃げていく。
皆、「怖い」「重い」「命が惜しい」と言って去っていった。
それでも懲りずに試練をくぐり抜け、「今度こそこの人はいけるか?」と期待すれば、婚外子がいて雲隠れしたり……
挙句の果てには、爆薬を指輪に仕込んで脅してくる屑男のアプローチ!
もはや、私の男運はどうなっているのだろうか……
ここまでくると諦観の境地だが……
それでも一度くらいは損得勘定抜きで恋をしてみたいと思うのは私のわがままだろうか。
そこで、私は一計を案じた。
正体を伏せた状態であれば、利害や恐怖抜きに純粋な出会いがあるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて参加を決めたのは、貴族限定の匿名制婚活パーティー。
名門の子女たちが匿名の仮名で参加。
お互いの素性を探り合わないという触れ込みらしい。
私は偽名『リディア』を用意し、しれっと参加してみることにした。
私は夕刻、赤いドレスをまとって、馴染みの馬車に乗って向かった。
◇◇◇◇
会場の扉をくぐると、さっそく私の組織の人間たちが警戒に目を光らせている気配を感じた。
匿名参加型のはずだが、護衛の半数以上は私の傘下の者で固められているのがすぐわかった。
背筋の伸ばし方、視線の巡らせ方、どれも見慣れた動きだ。
私はシャンパングラスを手に取り、あくまで優雅に微笑みながら部屋を見回す。
(私の外出情報が組織に漏れるのは致し方ないことだとして、ずいぶん物々しい雰囲気になっているような気がする……)
そんなことを思いながら、今度は女性参加者をさりげなく観察する。
確認できただけで、三人は私の直轄組織の女性工作員たちだ。
おそらく監視役、もしくは保険として潜り込んでいるのだろう。
パーティーの定員は男女それぞれ十名ずつだと聞いていたが。
意外と参加者が少なく感じるのは、そのうち相当数が私の身内だからに違いない。
(こっそり参加したはずなのに、思ったより組織の人間が混じっているのは困るわね。普通に婚活するにはあまりにも気まずい状況だわ……)
残りの六人の女性陣は全員こちらの存在に気づいているのを感じる。
私がリリス・ヴォルテクスだと完全にばれている。
こんなパーティーに参加するということは、きっと『訳アリ』なのだろう。
裏社会の情報も持っているに違いない。
顔色を少し青ざめている子もいる。
私の組織にお世話になっている子もいるのかもしれない。
(匿名参加の意味、薄いかもしれないわね。大丈夫かしら……)
そして男性陣に視線を移すと、特有の身のこなしを持つ四人ほどを見つける。
武術の基礎がしっかりしていて、しかも防衛主体ではなく攻めの体捌きだ。
隣国の諜報機関がよく育成しているタイプだと見て、すぐに察した。
(ああ、半数近くがスパイね。これでは純粋な出会いなど期待できない。どうしてこうなるのかしら……)
私は表情を変えずに静かに息をつく。
シャンパンを一口飲んで周囲を見守る。
すると、護衛がさりげなくスパイらしき者たちをマークしているのがわかる。
そしてほんの数分のうちに、彼らの姿が次々と消えていく。
列席者に気づかれないように誘導され、会場の外へと退場しているのだろう。
「リディアさん、こんばんは。お隣、失礼しても?」
そう声をかけてきた男性がいた。華やかなスーツの着こなし。
それなりに貴族らしい振る舞いだったが、その胸元の膨らみが妙に気になった。
懐に何か仕込んでいるのは明白だ。
おそらく短剣か、それに類する暗器だろう。
隣にいる友人らしき男も同じように不自然な膨らみがある。
(なるほど、残りの二人は暗殺者か……もうこれは婚活パーティーとは呼べないわね)
私は内心落胆する。
「ええ、構いませんわ。リディアと申します」
そして笑みを浮かべてそう答える。
「あなたはどんな方なんです? 差し支えなければ教えていただけるかしら」
「はは、貿易関係の仕事をしていてね」
男は謎めかすように笑う。
もう一人の男も似たような調子でお追従を始める。
私はひとまず軽く微笑み、二人の話をうまく受け流していた。
しかし、会話の合間、男の手が懐に伸びかけたのが見えた。
瞬間、護衛の一人が背後からスッと近づく。
そして、その男の横腹への鋭いボディブロー。
音はほとんどしなかったのに、男の息が止まったのがわかる。
続けざまに強烈な顎へのアッパーが入り、その男は昏倒する。
護衛は周囲に向けて聞こえるように言葉を投げかけた。
「どうやらこちらの男性は飲みすぎたようです。休憩室へお連れします」
護衛はそう言って倒れた男を抱え上げ、会場の外へ引きずっていく。
「そちらのお連れの男性も、少し状況を確認していただけますか?」
誰にも反論させる隙を与えないように暗殺者二人を取り囲み、淡々と誘導する。
そして、しばらくすると遠くで小さく魔導銃の発砲音が聞こえた。
(地獄の婚活パーティーと呼んでも差し支えないわね……)
女性参加者たちも明らかに危険な空気を察知して、一人また一人と退出していった。
ほどなくして、意を決したように男性陣のうち何名かが私の前に出てきた。
先ほどまでの貴族風の立ち振る舞いはどこへやら、彼らは急に土下座を始める。
「リディア様……いいえ、リリス様! お金の返済期限を延ばしてください!」
「何とか投資を……追加融資をお願いします! 事業を立て直しさせてください!」
彼らは半泣きになって訴える。
どうやら全員、私の組織から融資を受けている債務者だったようだ。
彼らの必死の嘆願を見て、私は内心で頭を抱える。
恋活どころか、金の無心をされる始末。
(こんな場所で土下座をされるなんて最悪だわ。はたから見ると、私は完全に『悪役令嬢』よね……)
私はゆっくりと護衛の方へ目配せした。
彼らも察したようで、静かに肩をすくめると、壁際にいた数名が前に出る。
すると、土下座していた男たちは我先に言い訳めいたことを口走り始める。
「り、リリス様! いえ、女帝! 私のビジネスは決して虚構ではございません!」
「お許しを……返済については……今少し猶予を……!」
しかし護衛たちは淡々と、力ずくで彼らを捕縛していく。
ある者は泣き叫びながら。
ある者はわけのわからない企画書を振りかざしながら連れ出されていく。
気づけば、ホールに鳴り響く悲鳴と懇願は、完全にかき消された状態になっている。
女性陣も青い顔をして逃げていき、男女ともにほとんどいなくなったのだった。