昭和二十年
次に富子に電話したとき、わたしはまた自宅マンションに彼女を呼びつけた。
「…ね、これって」
画面には、昭和二十年九月の上野の街が映っていた。
焼け跡。瓦礫。
復員兵。
もんぺ姿の女性。
闇市へ向かう人々。
カメラはゆっくりと街を横切り、焼け残った建物の前を通り過ぎていく。
わたしは、焼け跡を歩く人々の列の端を指さした。
「この女の人」
富子は画面を見て、わずかに眉を寄せた。
「また同じだっていう気?」
「どう思う?」
「どうかな。だってこっちは終戦直後のフィルムでしょ?こないだの映像から二十年近く経ってる。だとしたら、彼女、ずいぶん若作りじゃない?」
「そんなことないよ。ほら、この顔の輪郭、目元も」
「なんでもそういう風に見ようとするから、そう見えるんじゃない?わたしにはそこまで似てるようには思えないけど」
わたしは画面を見直した。
「…そうね。わたし、新選組の仕事にまだ未練があって、何でも結び付けて考えちゃうのかも」
十月。
わたしは恋人とベッドに寝ころびながら、レンタルビデオのドキュメンタリーを見ていた。
彼は三コ上の、広告代理店の営業マン。
まだ高収入とは言えなかったけど、流行りの職業に就いてる彼氏は、わたしの自慢だった。
「ごめん。つまんないね」
「歴史ものの記録映画なんて、こんなもんだろ。にしても、新選組の話とか。まだあの件を引きずってるのか?」
そうかもしれない。
休みの日まで未練がましくこんなものを観てるなんて…。
わたしは返事をせず、画面に映る京都の風景を眺めていた。
そのとき、画面の隅に若い女性の横顔が一瞬だけ映った。
息が止まった。
巻き戻す。
停止する。
もう一度再生する。
「なんだよ!いいとこなのに」
「まって!」
女性は、通りの向こうを歩いていた。
ほんの数秒の映像だ。
顔は斜め後ろを向いていて、表情までは分からない。
けれど、見覚えがあった。
あの女だ。
こんなのが、偶然のわけがない。
わたしはもう一度巻き戻した。
画面を止め、拡大してみる。
映像が荒れて、輪郭が崩れる。
それでも、耳元に小さな赤いものが見えた。
ピアス?
映画の公開は、1977年。
それは当時から逆算して、十年前の作品だった。
同じ人物なら、昭和初期の映像から五十年近く経っても、ほとんど変わっていない。
恋人が何か言ったような気がしたが、わたしの耳には入らなかった。
「ね?聞いてる?」
念を押されて、ようやくわたしは彼に注意を向けた。
「…あれさ、俺なんだ」
「なにが?」
「あの、新選組隊士の映像の件、東洋テレビに情報を流したのは俺なんだよ」
意味が飲み込めなかった。
「…どうして?」
「もうウンザリなんだよ。お前が仕事にのめり込んでいくのが。毎日夜中に帰ってきてさ。休みの日までこんな風に仕事が頭から離れない」
「だからって…!」
ケンカは珍しくないけど、この日のはいつもと違った。
「俺はこれで恩を売って、新しい仕事が取れたんだ。だから、もういいだろ」
「意味が分からない。何がいいって言うの!」
「だって結婚して子供が出来たら、どうせ俺が養っていくんだ。女がいくら頑張ったところで…」
わたしは思わず彼を平手打ちして、部屋を飛び出した。
翌日、富子に連絡を取った。
いつもの喫茶店で、泣きはらした目のまま彼女に会った。
富子は、なにも聞かなかった。
むしろ、驚いたのはわたしの方だ。
髪を切った富子は、いつもと印象が全然違った。
髪だけじゃない。
チャコールグレーのタートルネックの上から、裏地にチェック柄の入ったベージュのトレンチコートを羽織り、濃紺のパンツに、黒のローファー。
トラッド風の上品な着こなし。
「どうしたの?」
「…なにが?」
「あ、いや…」
わたしはそれ以上何も聞けず、昨日の発見を打ち明けた。
「まるで八百比丘尼じゃない?」
我ながら、時代がかった例え。
富子はしばらく押し黙ってから、ほんの少し笑った。
「鼻につく笑い方。あなたはいつもそんな風に超然としてるのね」
八つ当たりなのは判ってた。
わたしはずっと彼女に嫉妬してたんだ。
この美貌と、それに頼らなくても生きていける強さに。
彼女は根負けしたように、眉尻を下げた。
「そう?けど今回は…美幸の勝ちよ」
「どういうこと?」
富子はバッグから古びた封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
「実家から、こんなものが出てきたの」
わたしは、その黄ばんで端が擦り切れた封筒を手に取って、富子の顔を見上げた。
封筒の裏には宛名がある。
「…鈴木栄殿。…誰?」
「わたしのひいおばあさん。フィルムに映ってたあれは、彼女かも」
「どうしてそう思うの?」
「それ、稗田利八、つまり池田七三郎直筆の書簡よ。彼が会津で戦ったときのことが書いてある」
会津戦争、如来堂の戦い。
「それって、わたしが探してた彼の記録の空白期間よ」
「みたいね」
わたしが封筒を開けようとしたとき、中から小さな塊がコロンと転がり落ちた。
テーブルの上で、鈍い音がした。
わたしは、小さく、黒ずんだその塊を、指先でつまみ上げた。
「これは…銃弾?」
「彼が鳥羽伏見で撃たれた時の弾。横浜の病院で治療を受けたとき、脇腹から出てきた記念品だそうよ」
百年以上も前に京都で放たれたこの弾丸は、いったい幾人の手を経て、わたしのもとに辿り着いたんだろう。
そうだ…彼らの人生は、わたしたちの現在と続いてる。
これがあれば、あの番組を作り直せるかもしれない。
わたしの頭の中では、すでに企画書の構成が形を成しつつあった。
富子は、わたしの胸中を見透かしたように言った。
「美幸の好きに使っていい。けど、条件があるの」
「なに?言ってよ」
「新選組局長、近藤勇が板橋で処刑されたあと、その首が行方不明になったのは知ってる?」
「…ええ」
近藤勇は慶応四年、板橋で斬首された。
正確にはその後、首は京都へ送られ、三条河原でも晒されたはずだ。
その後、首がどうなったのかは、はっきりしていない。
これでも一通りのことは調べたのだ。
「もし、彼の首が見つかったら、そのときは、その手紙と銃弾を彼の墓前に供えてあげて」
「あ…え…?」
言葉がつっかえて、うまく答えられなかった。
「稗田さんは、終生、近藤局長を敬愛してたそうだから」
そそくさと席を立とうとする富子に、わたしは慌てて声を掛けた。
「ちょ、ちょっと待って。あのフィルムに映っていたのが富子のひいおばあさんだとしても、じゃあ、戦後の焼け跡を歩いていた女の人や、あの、映画に映っていたあれは…?」
「さあね」
富子は片方の眉を上げて肩をすくめると、バッグを掴んだ。
「悪いけど、わたし、このあと約束があるの」
髪をかきあげた彼女の耳には、赤いピアスが光っていた。
その日以来、彼女はわたしの前から姿を消した。
電話もつながらなくなった。
文字通り消息を絶ったのだ。
そして現在に至るまで、彼女には会っていない。
番組は高い評価を得て、わたしは翌年、チーフに昇格した。
わたしは人生を変えてくれた封筒をデスクの引き出しに戻して、そっと閉めた。
そして今もまだ、近藤勇の首は見つかっていない。
完
注釈:
・復員兵:戦争終結後、軍務を解かれて故郷などへ帰る兵士。
・もんぺ:作業や農作業などに用いられた、裾を絞ったゆったりしたズボン。戦時中から戦後にかけて女性にも広く着用された。
・闇市:終戦直後、物資不足のなかで公定価格や統制を離れて商品が売買された市場。
・レンタルビデオ:映画や番組を収録したビデオテープを、一定期間借りて視聴するサービス。
・八百比丘尼:人魚の肉を食べて不老長寿となり、八百年生きたという伝説上の女性。全国各地に伝承が残る。
・鳥羽伏見の戦い:1868年1月、京都南郊の鳥羽・伏見で旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争最初の大規模な戦闘。
・近藤勇:新選組局長。1868年、板橋で処刑された。




