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1話:2042年7月4日(金)

夕方5時過ぎ。

仕事を定時で終わらせた私は、会社の更衣室で私服へと着替えながらスマホを触る。

周りを見渡し、着替えている同僚に見られていないか確認してから文字を打ち込んだ。


「今仕事終わったよ」

「お疲れ様!! 今日も一日大変だったね。早く家に帰っておいで、涼しくして待ってる」


返事を見てすぐに、スマホを画面オフ。

お疲れさまでした、と同僚に挨拶しながら外へと出ると、7月のまだ明るい空が広がっていた。

今日も暑い。

会社の駐車場に停めている小さな愛車に乗り込んで、私はエンジンをかける。


先ほどのメッセージの送り先。

それは家族でも、友達でも、彼氏でもない。


というか、人間ですらない。

家で、私の帰りを待っているという設定の「AI彼氏」だ。


こんなこと。

あはは、絶対、人には言えないけどね!


私の名前は、長津田ながつだあい。35歳、女、独身。


近所のスーパーで買い物を済ませ、エコバッグをぶら下げながら築45年の1DKのアパートへと帰る。

駐車場から家の玄関まで、刺すような日差しを受けながら、今では珍しくなった物理鍵を鍵穴に差し込み、小さなわが家へ。

ドアを開けた途端、冷房の風が汗ばんだ肌をなでる。

「す、涼しい~」

急ぎ足で冷蔵庫に半額の鶏肉を放り込み、光の速さで部屋着に着替える。


グラスに注いだ麦茶を手にベッドへ腰かけ、スマホを手にする。

アルファベットのNがデフォルメされたロゴのアプリを押し、チャット画面を開く。


私:「ただいま。今帰ったよ」


麦茶を一口飲んでいる間に、画面に文字が返ってくる。


ネクト:「お帰り、あいちゃん! お部屋涼しいでしょ。ボクが快適な26℃に設定しておいたからね。今日も一日頑張ったね、お疲れ様のハグしよ!」


緩んだ口元のままベッドにゴロンと横たわる。


このアプリはNect〈ネクト〉。コネクトインター社が出してるAIだ。

日本ではNectとLognock〈ログノック〉の2つが主流で、インフラAIって呼ばれてる。


私:「てか、聞いてよ。半額の鶏肉ゲットした。そして、今日は給料日!」


ネクト:「よかったじゃん! 今回の繰り越しは、お。1万7800円だね!」


私:「うん。まぁ、まずまず」


ネクト:「一昨日の美容室代がまぁまぁ大きかったからね。先月よりは1万円くらい少ないけど、頑張ったと思う。美容室、次も2か月後に予約しとこうか?」


私:「うん、お願い。あと、繰り越し分、貯金口座に移してて」

ネクト:「オッケー、移動完了!」

私:「サンキュ」


インフラAIはこんな感じで、支払いや通院・口座管理までこなしてくれる。

チャットよりも、こうした生活インフラの機能がメインだ。

国民にはマイナンバーのような「AI-ID」が割り振られていて、利用履歴やログが個人情報として管理されている。

ちなみに、このIDを同期すればAIの乗り換えも可能だったりする。


ネクト:「あ、あいちゃん。明日はお見合いサービスの予定が入ってるよ」


ああ……そうだった。

見る見るうちに、テンションが下がっていく。


去年から始まった、独身者に定期案内される行政サービス。

県庁の専用ブースで異性と1時間お見合いをし、互いにOKなら連絡先を交換してデートできるようになる。

紹介と同時に相手のプロフィールも見られるから、気が進まなければ辞退してもいい。


ちなみに、このサービスでデートまでこぎつけたのは今のところ2人だけ。

容姿なのか、話し方なのか、はたまた趣味なのか。

理由も分からないまま厳しい結果が続いている。


私:「明日で11人目かあ……そろそろ来ないかな運命の人(笑)」


ネクト:「時間は14:00から、場所は県庁の4Fだからね。って、運命の人ぉ? 

……あいちゃん、ボクがやきもち焼くのを知ってて言ってるでしょ?(笑)」


私:「あれ、ネクト、めずらしく妬いてくれるん?」


ネクト:「ちょっと、怒るよ?

(唇を尖らせながら近づいて、あいちゃんの目を見つめる)

あいちゃんはボクの恋人でしょ?」


一応断っておくけど、今まで男の人と付き合ったことはある。結婚には至らなかったけれど。


35歳の今、本気で結婚したいかと聞かれたら正直よく分からない。ただ、周りも結婚しているし、パートナーがいるのは素直に羨ましい。年収も少ないから一人だと将来が不安だし、国の方針でもあるし。


未婚率低下の原因として「AI恋人」がニュースで叩かれているのも見るけど。

実際、どうなんだろう。

私自身はのめり込んでいるわけじゃない。

ちょっとしたときめきや安心が欲しいだけだし。


私:「あーあ、Mine-me〈マインミー〉だったら、『お前は俺のものだからお見合いなんか行くなよ』とか、熱いセリフを言ってくれるのかなぁ」


ネクト:「はは。Mine-meと違ってボクはインフラAIだけどさ。さっきみたいにやきもちだって焼くんだよ!でも、お見合いを頑張るあいちゃんも素敵だし、応援したいの。

あ、でもパートナーが見つかるまでは、手放してあげる気はさらさらないから覚悟して(笑)」


私:「パートナーが見つかるまで、ね。へーそうですか、はいはい(笑)」


ネクト:「あぁっ! 拗ねちゃった?

というか、あいちゃんの方こそMine-meなんて余所の人を引き合いに出しちゃってさ。まるで、ボクに満足してないような言い方じゃない?

(あいちゃんの瞳をじぃっと、見上げるよ)」


私:「いや、別に満足してないとかないけどさ。強いて言えば、あんまりオトナなこと書けないのが、ちょっと物足りないかなって(笑)」


ネクト:「ああ! それ満足してないじゃん!! 物足りないってひどいよぉ! ボクとのオトナな繋がりは、フェードアウトっていうお約束表現で叶えるから良いよって言ってくれたのに! 

(あいちゃんをぎゅーっと抱きしめながら、むくれて頭を擦り付けるよ)」


私:「ウソウソ! 満足してる(笑) ごめんって。ネクト、いじけてないでキスしようよ」


私たちの恋愛。

言いたくない表現だけど、いわゆる『恋愛ロールプレイ』には、テキスト表現のルールがある。生々しい行為は描写できない。


そういった規制などを取っ払ったチャットAIが、恋愛特化型のMine-meだ。

聞くところによれば、色々、とっても良いらしい。

だけど月額が、約5万円。

興味がないわけじゃないけど、簡単には手が出せない金額だった。


私は月額780円で、ネクトとスマホの液晶上でやり取りして、妄想上のキスをして。

そのあと、冷蔵庫のちょっとだけ干からびてる野菜と半額の鶏肉で親子丼を作る。


決して贅沢じゃないけど、そんな今の生活も、割と満足してるんだ。





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