弱肉強食 -1
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nullとエルディンが報告の整理をしていると、部屋の扉がノックされた。エルディンが「入れ」と短く声をかけると、数人の隊員が箱を抱えて入室してくる。
机の上にいくつもの箱を整然と並べ、書類の束をエルディンへ差し出すと、隊員たちは丁寧に一礼して退室した。扉が閉まると同時に、室内には静けさが戻る。
どうやら箱の中身は、nullが依頼していた素材のようだ。時間をかけずに集まったことに、思わず安堵の息を漏らした。
エルディンが報告書から顔を上げれば、バチリと目があう。彼は穏やかに笑むと、一つずつ箱を開けては説明してくれる。
この箱に入っているのがこの素材で、あの素材はこっちの箱でと話を聞きながら、nullも自分の素材表を照らし合わせ、漏れがないかを確認する。整然と並ぶ素材の数々を見て、ほんの少し肩の力が抜けた。
確認が終わると、nullは椅子から立ち上がり、軽く頭を下げた。
「何から何まで、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ。いい経験をさせてもらいましたよ」
軍人らしい静かな声色でそう言うと、エルディンは報告書にサインを入れ、ファイルに綴じ込む。
恐らく、これから上層部へ報告を上げるのだろう。その几帳面な手つきを眺めていたnullに気づいたのか、彼は小さく笑った。
「お疲れでしょう。少し休まれていかれますか?」
「いえ、先を急がないといけないので。――帰ります」
荷物を収納しながら首を横に振ると、エルディンは小さく頷き、ふと真面目な声色で言葉を続けた。
「帰路には、どうかお気を付けください。ここ最近、やっかいな輩が暴れているという報告が上がっていましてね。我々が動けばすぐに管理地区から退くので、手を焼いているのです。」
(……これは、次のクエストのフラグ?)
そんな考えが頭をよぎる。だが、目の前の彼は心配そうにこちらを伺っている。それ以上言葉を続けることもしない。つまりクエストではないのだろうと、笑みを作る。
「大丈夫ですか?」
「すみません、少し考え事をしていました。ありがとうございます。十分に気を付けます。」
「ええ。最近、本部からも人員を割いて調査していますが……お気をつけて。」
再三の忠告を受け、nullは頷く。
セクター・ノワールの出口へ向かおうと立ち上がると、エルディンがすぐに扉を開き、同行してくれた。慣れない施設内を迷わずに済んだことに、密かに安堵しながら彼の背に続く。
通路を進む間、軍服姿の隊員たちが次々と最敬礼を送り、nullはそのたびに軽く会釈を返す。慣れぬ視線に少し肩がこわばり、歩幅が速まる。それに気づいたのか、エルディンが穏やかな声で言った。
「あまり気を張らず、楽にしてください。」
「そうは言われましても、私はただの冒険者です。こうしてここにいられるのも、ただ運が良かっただけで。……慣れることなんて、できませんよ。」
エルディンはわずかに首を傾げ、悩ましげに微笑んだ。
「貴女が“ただの冒険者”……ですか。――まぁ、そういうことにしておきましょう。」
納得していない様子に、nullは小さく息を吐き、視線を逸らす。
これ以上突っ込んでも面倒になりそうだと判断し、慌てて話題を探すも、見つかったのは先ほど話を聞いたばかりのものしか浮かばなかった。
「そういえば、さっきの件ですが……どの辺りが危険なんでしょう?もし避けて通れるなら、そういう道を選びたいんですが。」
エルディンは頷くと、指を三本立てて説明を始めた。
「現在、注意が必要とされているのは三か所です。
――ファスティアンとセカンダリアを繋ぐ大橋付近。ユニアとデュアリアを繋ぐ洞窟周辺。
そして、ここテルティアとヘレニアを繋ぐ街道の一部です。
ここはその道から少し外れた位置にありますが、この近辺でもいくつか目撃されています。」
(……全部、街と街を繋ぐ道中で起きている事件。つまり――)
「それは、冒険者同士で起きている事件、ということでしょうか?」
その問いに、エルディンの表情がわずかに強張った。
沈黙。数秒の間を置いて、彼は静かに頷く。その眼差しに、軍人としての苦悩が滲んでいた。
「……そうですね。」
それだけを告げると、彼はそれ以上何も言わなかった。命令か、あるいは規制なのだろう。nullはそれを察し、深くは踏み込まなかった。
「そうですか……。ありがとうございます。気をつけますね。」
「ええ。どうか、十分に。」
扉の向こうから吹き込む風が、ひどく冷たく感じられた。
(やっぱり……イベントじゃない。これは…PKだ。)
PKとは――この世界《To the Light》において、重要なロールのひとつだ。
他のプレイヤーを攻撃し、倒す。その行為は即座に記録され、名前が赤く染まる。さらに連続して人をキルすれば、色は黒へと変わり、NPCの監視対象にもなる。
一度染まった名を元に戻すには、時間が必要だ。
赤ネームは一週間PKを控えることで橙に変わり、さらに一週間で桃、もう一週間経てばようやく青へ戻る。
だが黒ネームからの復帰は別格だ。一か月の贖罪。罪を重ねたぶんだけ、浄化にも手間がかかるというわけだ。
死んだ者は例外なく、二十四時間の強制ログアウト。経験値も、所持金も、奪われた分だけ減っていく。
それでもPKが絶えないのは、奪えるからだ。
勝者にはサイコロが与えられ、その出目によって報酬が決まる。アイテム、装備、経験値、金。
――出目が大きいほど、奪えるものも大きい。ヒールにとっては、最高の舞台だろう。
赤ネームは三面のサイコロを振り、黒ネームは六面を振る。
そして、運命の出目が「6」を示したとき――世界はそれをスーパースティールと呼ぶ。
レアアイテムを奪い、経験値すら吸い取る一撃。だがその代償として、彼らは神殿の祈りにも届かぬ深淵へと沈んでいく。
PKとは、この世界で最も単純で、最も危うく、最も面白い選択であり、そして――ロールプレイなのだ。
奪うか、奪われるか。その境界線に立つたび、プレイヤーは少しずつ人間らしさを削り取られていく。そこに魅せられたヒールが増えれば、世界は混沌と化す。
――だからこそ、ヒーローが映えるのだ。
この世界にもPKの返り討ちシステムがある。
PKプレイヤーを倒した者は、PKプレイヤーと同等のリターンを得られる。悪を狩るか、悪に堕ちるか。その立ち回りこそが、このゲームの醍醐味だとnullは考えている。
どう転んでも、全力で遊ぶからこそ面白い。nullにとって悪は悪ではない。それはただ、己のロールを全うする者の姿だ。
――本当の悪とは、ゲームそのものをつまらなくする存在のこと。
nullはそんなことを思いながら、唇の端を上げた。
(さーて、どうしようかなぁ♪)
**
nullはセクター・ノワールを後にし、ヘレニアへと続く街道を歩いていた。辺りにはまだ魔力の残滓が漂っており、時折、魔物が群れを成して現れる。
息を整える間もなく、杖を構えて魔法を放った。
「――スパーク・ショット!」
放たれた光の弾が魔物の群れを貫き、残った個体を吹き飛ばす。ぱちぱちと火花が散る中、杖を下ろして息をついたその時――背後から声がした。
「……お見事です。」
振り返れば、そこに立っていたのは見覚えのある人物。
白と青の騎士装束、腰に佩いた長剣、凛とした瞳――デルフィオン王国の騎士、ヘリアデス・ヨークシャだった。彼女はnullがこの世界にきて初めて会話をした住人。所謂第一村人である。
「わ、お久しぶりです!」
思わず笑顔で手を振ると、彼女も小さく頷き、穏やかな笑みを返してくれる。
「ナルさん、でしたね。お久しぶりです。 今はヘレニアへ向かわれているところですか?」
ヘリアデスがnullの後ろ道へと視線を流せば、言いたいことは理解できた。
――道がそれている。
当然、nullはテルティアの街の方面から来たわけではないので、彼女が訝しむのも当然だと、素直に言葉を紡ぐ。
「はい! さっき、セクター・ノワールで素材採取をしてきたばかりなんです。もうクタクタで……。一旦ヘレニアに戻って休もうかなって思ってたところです。」
口にしながら、nullの脳裏にはつい先ほどのエルディンの忠告がよぎった。
――この近辺で、危険な輩が出没している。
目の前の彼女は騎士団の中隊長。つまり、PK事件の調査でここまで派遣されているのかもしれない。
「ヘリアデスさんは……パトロールの最中ですか?」
「ええ。よくご存じですね?」
彼女の声音にはわずかな警戒が混じっていた。nullはそれに気づき、困ったように笑って肩をすくめる。
「はい、実はルシアン様とも少し話をする機会がありまして。セクター・ノワールではエルディンさんにも、いろいろ教えていただいたんです」
そう言いながら、インベントリから手形を取り出して見せる。
ルシアンから受け取った通行許可証――この手形が効くと踏んでいたが、想像以上に効果があったらしい。
ヘリアデスはそれを一目見るなり、小さく頷いた。
「なるほど。貴女が……そうでしたか。」
納得したように目を細める彼女に、nullは安心して笑みを返す。
「色んな場所で面倒ごとが起きているみたいで…。 ヘリアデスさんもお忙しそうですね。」
少し同情を含ませた口調に、彼女は苦笑を漏らした。だが、その瞳の奥にはまだ警戒の色が残っている。その様子に、nullは内心で評価を上げた。
(優秀だな…。)
「……なぜ、そう思ったのでしょう?」
懐疑を含んだ問い。まだ完全には信用していない。自分も彼女の中ではまだ容疑者なのだろう。手形だけでは測れない本質部分を見ようとしているに違いない。
nullは友好的に、そして善人の皮をかぶりながら彼女と会話を続けた。
「え? だって、敵意があれば…さっき、私の背中を狙えたじゃないですか」
にこにこと話すその表情に、ヘリアデスは小さく息をつき、呆れたように微笑む。
どうやら、ようやく警戒を解いたらしい。これほど無防備な言葉を口にできる相手が、事件の首謀者であるはずもないと理解してくれたらしい。実際に違うので、nullとしてはなんの罪悪感もない。
「……まったく。貴女という人は、油断できませんね。」
「よく言われます」
肩をすくめるnullに、彼女は小さく笑い、最後に忠告を残した。
「この辺りは危険です。どうかお気を付けください。」
「はい。確か、街から街への道中で冒険者同士の争いが起こっているとか……。
話には聞いていますけど、そう滅多に遭遇するものでもないですよね?
それに、私そこまで弱くないですもん。大丈夫ですよ」
呑気な口調でありながら、馬鹿には見えないように言葉を選ぶ。わざと力を抜いたような笑顔で、相手の警戒を更に少しずつほぐしていく。
「ヘリアデスさんは、確か中隊長でしたっけ? ――さすがに、まだヘリアデスさんに勝てるかどうかは怪しいですけどね」
にっこりと意味を込めた笑みを浮かべれば、彼女は呆れたようにため息をついた。
「理解しているのであれば構いませんが……本当にお気を付けください。 この辺りは、つい数時間前にも報告が上がったばかりなんです」
「ああ、なるほど。 だからエルディンさんが、あんなに何度も注意してきたんですね」
nullが納得したように大きく頷くと、ヘリアデスは困ったように眉を下げた。彼女の表情には、“どう扱えばいいのか”という迷いが見える。
それを見て、nullは内心で小さく笑う。どんな返しが来るのか――少し楽しみにしていた。
「知っているなら、できるだけ早く街へ戻ってください。 街の中なら警備の目もありますし、安全ですから。」
それはそうだろう。街中でPKをすれば、システムが即座に衛兵を呼ぶ。街の中が安全なのは確かだ。
だが、nullとしては、できればその「PKプレイヤー」に遭遇したいという好奇心が勝っていた。
どんな人なのか。どんな戦い方をするのか。それをこの目で見たい。だからこそ、邪魔はされたくない。
さて、どう説得しようか。そう考えた、その瞬間だった。
――ドォンッ!!
近くで爆音が響く。地面がわずかに震え、空気が焦げる。
ヘリアデスは眉をひそめ、その方向を鋭く睨んだ。どうやら考えていることは同じらしい。
nullは一瞬だけ彼女と視線を交わし、次の瞬間には走り出していた。驚いたヘリアデスもすぐに追いかけ、並走する形になる。
「どこへ行く気ですか!?」
「そりゃもちろん――事件の方へ?」
へらりと笑うnull。その無邪気な笑みに、ヘリアデスの警戒が一層強まる。
「貴女、…魔法使いではないのですか?」
懐疑と苛立ちの入り混じった声。それでも、今のnullには関係がない。目の前に事件がある――そこにきっと、PKプレイヤーがいる。
「魔法職で間違いありません! けれど、今の私は“好奇心”によって動かされていると言えるでしょう!」
「なにを言っているのですか!? 本当に危険です、引き返してください!」
ヘリアデスの制止も耳に入らない。とはいえ、このままでは彼女に無理やり止められてしまうかもしれない。
そう判断したnullは、走りながらインベントリを開き、あるアイテムを取り出した。
「――これでもダメですか?」
走りながら指輪を掲げると、ヘリアデスが目を見開き、そして――深くため息をついた。
「それは……グランヘイル卿の家紋……!」
(家紋ねぇ……。)
内心で軽く肩をすくめつつ、nullは指輪をインベントリへとしまい、走りながら笑顔で続けた。
「多少は信じてもらえましたか? 私は敵じゃありません。むしろ――そちら側に近いんです。ここは共闘といきませんか?」
にこりと笑えば、ヘリアデスはほんの一瞬だけ迷いを見せ、それから小さく頷いた。
「……分かりました。恐らく、少なくない数の冒険者が関わっているはずです。お気を付けください。」
「ありがとうございます! 私は後衛支援に徹しますね!」
nullの明るい返答に、ヘリアデスは思わず苦笑を浮かべながらも、すぐに視線を前へ戻す。風を切る足音が並び、森の奥へと続く街道を駆け抜ける。
こちらは魔法で身体強化をしているというのに、彼女の足取りは軽い。鎧の音すら乱れない。
(……やっぱり、基礎ステータスの差が違うんだろうな…。)
このままでは先を越されてしまう。しかし、それでは面白くない。どうせなら、印象に残る登場をしてやりたい。
そう考えたnullは、口角を上げながらヘリアデスに声をかけた。
「ねぇ、ちょっと提案があるんですけど!」
「…?」
次回:弱肉強食 -2




