68話 誤魔化しの年季
学生街の喫茶店で800円のランチを食べて、その足で家電量販店に入った。
家電。子供の頃には対して興味がなかったけれど、自分で暮らし始めると話が変わってくる。吸引力の変わらない掃除機とか、釜で炊いたようになる炊飯器とか、生活に直結するものならまだしも、買っても使わないであろうパン焼き器なんてものも欲しくなる。
そんな人の物欲を刺激する魔境が、家電量販店なのである。一人暮らしし始めた頃は、値札の前で何度も打ちひしがれたものだ。
「なに買うの?」
「特に目当てのものはないけど、ぐるっと回りたくてな。他に行きたいところがあったら、さっさと切り上げるけど」
「ううん。ゆっくりでいいよ」
悠羽はくるくると首を振って、まん丸な目を向けてくる。邪気のない綺麗な瞳は、磨かれた真珠のようだ。
その無欲な目に見られていると、なんだか居心地が悪くなる。ここじゃなくて、もっと楽しい場所に連れて行ったほうがいいんじゃないかと思ってしまう。
楽しい場所って、どこかはわからんが。
「改めて考えると……別に一人で来ればいいか、これ」
「一緒でいいの! ほら、行くよ」
右手の手首を引っ張られて、店の中に入っていく。自動ドアをくぐって、エスカレーターを上がれば、夢の家電がずらりと並べられている。
ノートパソコンの横を通り抜け、デスクトップパソコンの前で腕組みする。
「ほしいの?」
「まあな。どうしても今のパソコンだと、スペックが低いというか……。できる仕事が限られるから」
とにかく安くて動けばいいと思って型落ちのものを買ったから、あちこちガタがきている。更新には長い時間を要するし、まれに強制シャットダウンする。
せっかく買うなら、次は性能がいいものを――と思ったが、やはりいいものには金がかかる。
「パソコンは私にはわかんない」
「ま、そうだよな」
「仕事で使うなら、買ったらいいんじゃない?」
「や、高いからいいや。もうちょっと余裕できたらにしよう」
学校に置いてあるようなおんぼろPCは、俺のノーパソにすら劣る性能だ。それしか弄ったことのない悠羽にとっては、ここに並んでいるもの全て同じに見えるだろう。
すぐに買いたいわけでもないので、他のところに行くことにした。
移動して、炊飯器コーナーに。
すると途端に、悠羽が目の色を変えて商品に食いついた。
「炊飯器にも使えて、他のいろんな料理もできるんだって!」
「よくわからんが……それがあると楽なのか?」
「うん。ボタン一つで煮物とかカレーが作れるなんて夢みたい」
「ふうん。じゃ、買うか」
「ちょっと待って! 落ち着いて! 買わないでも私、自分で作れるから」
「でも、楽なんだろ」
「楽だけど、今はいらないから。だって高いじゃん」
「……そうか?」
「なんでパソコンは渋ったのにこっちはいいの? 六郎使わないじゃん」
「いやだって、俺使わないからわかんないし……」
悠羽は目を白黒させて、呆然と俺を見ている。
「パソコンは別に今すぐ必要じゃないってわかるけど、料理は俺なんにもやってないし。悠羽が楽になって、もっと美味いもん食えるならいいかなって思うんだが」
「今すぐはいらないから。大丈夫」
「わかった」
語気を強めて主張する少女に、大人しく頷く俺。悠羽がそう言うならそうなのだろう。
「六郎って、ほんとよくわかんない」
ぶつぶつ呟きながら次の場所へと行く悠羽。別に怒っているわけではないらしいが、どんな感情かはわからない。
その後も冷蔵庫、トースター、オーブンつき電子レンジの前で悠羽は「あったら嬉しいけど今は大丈夫」と繰り返した。
もしかして俺、なんでも買ってあげちゃうお爺ちゃんだと思われてる?
◆
家電を一通り見終わって、結局なにも買わなかった二人は家具屋に向かった。
六郎が内心で別の場所に行ったほうがよかったな。と反省する少し前で、悠羽は感情を顔に出さないのに必死だった。
二人で家電を見に行って、料理は悠羽の担当だから。と言われたあたりからだいぶやばかった。家具屋に来て、ソファやベッド、カーペットなんかを見始めてからはもっとやばい。
(なんかこれ、新婚さんみたい!)
新婚もなにも、とっくに数ヶ月暮らしている兄妹なのだが、そんなことは頭から消え去っていた。咲き誇ったお花畑が侵食して、なにやら幸せな気分でいっぱいだった。気を抜くと頬が緩みそうなので、自覚しないうちに険しい表情になってしまっていた。
「冬用の布団と毛布買わないと寒いよな。なんかよさげなのあるか?」
「え、あ……うん。探すね」
声を掛けられるとワンテンポ遅れる始末だ。慌てて探そうとするから、結果的に六郎から逃げるような動きになってしまう。
怒らせるようなことをしたか、と悩む青年を後ろに、悠羽は積み上げられた布団と向き合う。
今の時期はエアコンがいらないので、二人は別々に眠っている。だが、冬になれば温かい部屋で寝たくなるのが人情だ。そしてそれは、夏と同じように暖房問題を引き起こす。
どうにか理由をつけて、また一緒の部屋で眠れないものか。そんなことを画策している。
最後に同じ空間で眠ったのは、キャンプの夜だ。
背中合わせで眠ったあの夜が、帰ってきてから二人を別の部屋に追いやった。
――ずっと一緒にいたい。
そう伝えた返事は未だ、帰ってきていない。六郎のことだから、ちゃんと考えてくれているとは思うけれど。それでも、焦れったく思う気持ちは募る。
答えがほしい。
もちろん頷いてくれるのが一番だが、考えた結果が別の道を示すなら、それも時間をかけて受け容れるつもりでいた。
結果を知るのは怖いけれど、いずれ来るものなら今日がいい。胸を焦がす衝動は、ずっと飼っていられるほど平和なものではないから。
「――それ、夏用だぞ」
「へ!?」
「いやだから、思いっきり夏用の見てるって。今から冷感タオルケット買っても意味ないだろ」
「ち、違うし! ここから眺めてたの。遠くから見た方がよくわかることもあるでしょ」
「布団に関してそれはないだろ」
「……柄とか」
「言い訳苦しすぎだろ。もうちょっと頑張れよ」
「六郎みたいに嘘ばっかりついて生きてないもん」
「嘘がつけないなら、単純に隙を減らせ」
「正論嫌い」
頬を膨らませる悠羽に、やれやれと笑う六郎。
「なんか考え事か」
「違いますー。ぼーっとしてただけですー」
「ぼーっとしてたんじゃねえか」
「悪い?」
「開き直りすっごいな」
考え事だと思われるといろいろまずいので、方針転換を即座に選択。結果的に嘘を押し通したあたり、似たもの同士である。
「うるさいと、今晩のご褒美作ってあげないんだからね」
「……それはずるくね?」
試験が終わった労いとして、六郎が食べたいと言ったのはトンカツだった。揚げ物は面倒だし、買うと胃もたれするから避けていたのだ。悠羽の料理が上達した今、食べたい和食ランキング上位に食い込む存在である。
明らかに不満げな表情をする六郎に、悠羽は上機嫌に胸を張る。
「ふふふ。六郎はもう、私のご飯無しじゃ生きていけないんだから……今のは別に、そういう変な意味じゃないから、誤解しないように」
「恥ずかしいなら最初から言うなよ」
余裕のある表情からすぐに自爆する悠羽と、あきれ顔の六郎。
「んで、トンカツは作ってくれんのか?」
「……作る」
「やった」
渋々頷いた悠羽に、返ってきたのは驚くほど純粋な反応だった。
顔を上げて青年の方を見るが、とっくに喜びの感情は引き、いつもの読めない表情に戻っている。考え事をしているらしく、声を掛けるのは憚られた。
悠羽も布団に向き合って、頑張って選ぼうとする。
だが、さっきの無垢な少年のような返事が頭の中で反響する。
(六郎が可愛い!?)
いつもとは違う角度からの奇襲に、高鳴る心臓は三倍速で熱を刻んだ。
そんな彼女は、知るよしもない。
柄にもなく「やった」などと言ってしまった青年が、それを隠すために難しい表情をしていることなど。
次、すっごイチャイチャ




