46話 チャレンジ
クリスさんはこの日、村を撮影すると言った。
朝の時間はゲストハウスの中と周辺を歩き回りながら、英語で楽しそうに動画を撮影しており、その間に俺は掃除を済ませた。
午後になると、文月さんから、
「うちの宣伝にもなるから、立派な仕事よ。手伝いに行ってちょうだい」
との指示を受け、俺も同行することに。
一日経って、クリスさんは昨日より砕けた口調になっている。俺は立場上敬語を使っているが、彼には親しみを感じていた。
自分の好きなことに熱中している人は、見ていて気持ちがいい。
「村のこと、案内しますね」
「助かります。ありがとう」
「いえいえ。どこか行きたいところってありますか?」
「日本の田舎だと伝えられる場所、ありますか」
「田んぼと畑と、あと神社はけっこうそれっぽいですかね。川もあるし山もあるから、わりとどこでも」
このレベルの田舎になると、どこにカメラを回しても「田舎だぁ!」とわかるだろう。問題は、女蛇村にしかない特徴があまりないという部分だ。
まあそれは明日以降、加苅を加えて解決すればいいか。結局朝はいろいろあって、なにも聞けずじまいだったからな。
「どうやって撮影するんですか?」
「ドローンを飛ばします」
「じゃあ、ここから飛ばしてもいいかもしれないですね。わりと村の真ん中なので」
俯瞰で撮るなら、全体像が映る場所がいい。そしてゲストハウス『白蛇』は、比較的その条件を満たしている。
ここの駐車場なら、ドローンの離着陸に使っても問題ないだろうし。
「わかりました。ここから飛ばせてみます」
機材を部屋から持ってくると、クリスさんは真剣な顔で準備を始める。あんまり見入っていたものだから、気がつかれた。
高い鼻が異国を感じさせる彼は、歯を見せて大げさに笑う。
「好きですか、ドローン」
「興味はあるんですけど、高くて買えないんですよね。飛ばせる場所も限られてるし」
「はい。ドローンはお金がかかりますね。練習も難しいです」
「ですよね」
わりと真剣に、それで仕事を取れないかと考えた時期が合った。だが、ドローンを買うのにかかる費用、練習するために定期的に飛ばせる場所まで行くこと。その間に稼げなくなる金額など、いろいろ考えた末に諦めたのだ。
結局世の中、金を稼ぐための初期投資が必要なケースが多い。
「でも、楽しいですよ」
クリスさんが変わらぬ笑顔で言った。
本当なんだろうな、と思う。
ドローンのプロペラが回転する。ゆっくりと高度を上げていって、だんだん小さくなっていく。気がつけば村を見渡せる高度に達して、ゆっくりと前後左右に移動している。
どんな映像が撮れるのだろう。
「これはオープニングです」
「なるほど」
おそらく、今撮っているものにBGMやタイトルを入れて動画を始めるのだろう。
そういうオシャレなものは、好んでよく見る。スローライフなんかが最たる例だ。きっと彼の動画も、俺好みなのだろう。後でチャンネルを聞いてみようか。
「クリスさんは、どうして日本に来たんですか?」
「ワイフ……妻が日本人なんです」
「ああ、そうだったんですね」
てっきりあの大荷物は、海外旅行だからだと思っていた。だが今となっては、なるほどただの仕事道具だ。国内旅行でも、あれくらいになるのは納得がいく。
「初めて日本に来たとき、すぐハートを奪われました」
「一目惚れだったんですね」
独特な言い回しだが、意味はちゃんと伝わってくる。知っている言葉で会話を成立させる技術も、外国語では必要なのだと感じた。
俺もこれくらいのレベルで、英語を使えるようになりたいんだよな。
「六郎サンは、妻がいますか」
「いませんよ」
「妻がほしいと思いますか」
ドローンを操作しながらだから、あまり頭を使っていないのだろう。クリスさんの問いは、適当な時間つぶしに感じる。
適当だから、嘘を考える手間も省けて助かる。どうせ客と従業員の関係だ。ここで会話したことが、どこかに漏れることもない。
「一人は嫌なんですけどね。結婚は難しいです」
「どうして?」
「苦手なんですよね。……こう、スキンシップ? で伝わりますか」
クリスさんが頷いた。俺は続ける。
「俺が触ったら、相手は嫌な思いをするんじゃないかとか。そう思うんです」
関係の浅い相手に、俺はなにを相談しているのだろう。
この悩みはわりと昔から抱えていたものだ。だから、気を抜いた今、こぼれてしまったのかもしれない。
小牧と付き合っていた時も、俺のほうから手を繋ぐことはなかったし、基本全部引っ張られていた。
怖かったのだ。なにかを間違えて嫌われるんじゃないかと思って、なにもできなくなる。
口に出してすぐ後悔したが、数秒後にはそれも消えた。相手はスキンシップが普通の異国からやってきた男。なにかヒントを得られるかも知れない。
「嫌がる相手には触りません。嫌がらない相手にスキンシップすればいいんです」
「わかるんですか?」
「わかりますよ」
自信満々にクリスさんが頷いて、役目を終えたドローンが降りてくる。
「大切な人に触ると、幸せになれます。私は好きです」
「なるほど……」
なにがなるほどだ自分。とは思うが、咄嗟に出た反応がそれなのだから仕方がない。
目から鱗が落ちる、とまではいかないが。思うところはあったのだ。
嫌われたくないから触れないのではなく。
距離を縮めたいから触れるのではなく。
もっと根本的に、幸せを感じるために触れる。
そういう考え方もあるのだなと思った。
確かに、悠羽の頭を撫でて嫌がられる未来は、どうやっても想像できない。
◇
その後もクリスさんの取材に同伴して、夕方に帰宅する。
ちょうど悠羽も帰ってきたところらしく、洗面所でばったり鉢合わせになった。
「帰ったところか」
「うん」
見ればわかることを聞いて、なるべく自然に近づいていく。右手をすっとあげ、黒髪へと伸ばしていく。「お疲れ」と言って、ぽんと優しく頭を撫でて横を通り抜ける。
そうするはずだったのだが、咄嗟に身構えた悠羽に、俺の動きも止まる。
斜め前に手を伸ばした状態で固まる俺と、両手で頭を押さえるようにした悠羽。
怪獣ごっこでもしてるみたいな体勢で二人、静寂な洗面所で停止する。
「な、なに……もしかして」
「い、いや……別に。なにもないぞ」
「そ、そうだよね。うん。なんにもないよね」
「ああ。なんにもない、なーんにもないぞ」
俺は右手を、悠羽は両手をそのままにして、互いに距離を詰めないまま右回りに回転。洗面台の前に俺が立つ。
誰か助けてくれ……。
そう願ったら、廊下を駆ける大きな足音。
「だーん! 今日も一日お疲れさま!」
この時ばかりは、加苅が女神に見えた。
まあ、問題は余計にこじれたっぽいんだけどさ。
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