44話 日本語ガチ勢
「……パワーポイント作らされた、あれか」
低く呻くように答えると、加苅はにかっと歯を見せる。なんで俺が嫌そうな反応してんのに嬉しそうなんだよ。
「そう。ロクくんに作ってもらった、あれのことです」
「あれってなんのこと?」
肘のあたりをつついて、悠羽が聞いてくる。
「ほら、俺が徹夜して作業してたときの。あれの内容がな、今年加苅たちがやりたいこと、そのために準備してきたこと、ビジョンとかをまとめるのだったんだ。
要するに、大人たちを説得するための資料だな」
「やっぱり交渉とかになると、ロクくんが一番上手いからね。ちゃんと報酬出すから、文句ないでしょ」
「頼むぞほんと。秋以降の食糧事情は、お前にかかってるんだから」
「任せなさいな」
さすがに加苅から現金を受け取るのは生々しいので、代わりに米と野菜を送ってもらうことになっている。女蛇村では農業が盛んなので、売れなかったものをもらえればだいぶ家計が助かる。というわけだ。
パワーポイントの正体に納得する悠羽。続きは俺から引き継いで、加苅が説明する。
「一昨年は学生たちで、この村の伝承について演劇をしたんだ。街の公民館で、その時は地元のお爺ちゃんお婆ちゃんしかいなかったけど、SNSにも流したら、地元のテレビ局が来てくれてね。
去年はお祭りに人を集められるように宣伝して、境内で演劇をさせてもらったんだ。それ以外にも、屋台の手伝いをさせてもらったり、行灯を置くのも参加して。ちょっとずつ、主催側に食い込んでるってわけ」
そこまでで一度切って、すうっと息を吸う。拳を強く握って、決意を示すように加苅は宣言した。
「そして今年は、あたしがリーダーになって屋台を一つ出します!」
「おおっ……」
引きつけられるように前傾姿勢になる悠羽。
「そのために、二人の力を借りられたらいいなって! 夏の思い出にも、どうかな!」
「やりたいです!」
「よく言った!」
加苅は力強く頷いて、未だに無反応の俺へ意識を向ける。
「ロクくんは?」
「俺は不参加で頼む。秋にちょっとした試験があるから、仕事終わったら勉強したい。それにどうせ、当日はゲストハウスが忙しくなるだろ」
文化祭じみたことに心惹かれはするが、やるべきことを優先したい気持ちのほうが強い。
軽い相談事くらいなら手を貸せるだろうから、それはその都度って感じで。ひとまず俺は不参加という形が理想だ。
「なら仕方ないね。悠羽っち、一緒に頑張ろう」
「はい」
人員が一人増えたことに、嬉しそうな加苅。
悠羽もこの夏にやることができて、表情に力が漲っている気がする。学校もなく、生活の不安もない最近の生活は、少し張り合いがなかったのかもしれない。充実ってのは、なかなかに難しいもんだ。
「んじゃ、俺は戻るぞ。二人ともおやすみ」
「おやすみっ!」
「おやすみ」
左手をヒラヒラさせて、居間から出ていく。
さて、俺は俺のことをするかね。
◇
翌日、いつもより朝から気合いを入れて業務に取りかかる。チェックアウトと掃除を一通り済ませて、昼からは来たる外国人に向けて心を整える。
ただ待っているのも落ち着かないので、落ちそうなカレンダーを直したり、本棚を整理したり、細々した手入れをする。
話に聞いていた客が来たのは、昼の三時を少し過ぎた頃だった。
大きなキャリーバッグを転がして、遠目からでも日本人ではないとわかる。白い肌に金髪、がっしりした体躯で、俺に気がつくといきなり手を振ってくる。
こ、これがアメリカンコミュニケーション……などと狼狽えつつも、荷物を受け取りに駆けつける。
近づきながら、男はにこやかに口を動かす。イントネーションはやや不安定なものの、はっきり発音するから聞きやすかった。
「お世話になります。クリスと言います」
「……え、日本語すごい上手」
お迎えの言葉も忘れて、完全に停止してしまう俺。
クリスと名乗った男は、親指と人差し指を使って、ボディーランゲージと共に日本語を使いこなす。
「いえいえ。ちょっとだけです。いっぱい勉強してます」
「そうなんですか……。えっと、お荷物のほう、預からせて頂きますね」
「ありがとうございます」
半ば呆然としながら、キャリーバッグを受け取る。ずっしりと重い。海外から来ているだけあって、荷物の量も桁違いみたいだ。
中に招いて、チェックインの手続き。
英語の出番はないかと思ったが、施設利用の説明文はさすがに厳しかったらしい。だが、簡単な英語を交えればクリスさんは理解してくれた。
ううむ……この外国人、やけに日本に詳しいな。
料金を手渡しで受け取って、気になったことを聞いてみる。
「クリスさんは、なにをしにここへ来たんですか?」
「日本のカントリー……イナカのビデオを撮りに来ました」
やや不安そうに田舎という単語を使う。合っていると頷いて示して、会話を続ける。幸いなことに、向こうも話しかけられて嬉しそうだ。
「それはお仕事ですか? 趣味ですか?」
「仕事です。昔は趣味だったけど、今では仕事になりました」
「好きなことが仕事になったんですね」
「はい」
共用リビングの椅子に座ってもらって、俺はキッチンのほうへ足を向ける。
「コーヒー好きですか? 紅茶もありますけど」
「コーヒーがいいです。苦いが好きです」
「わかりました。少々お待ちください」
ポットからお湯を出して、インスタントの粉を溶かす。大したものではないが、ゲストハウスならこんなもんだろう。安いからこそ、旅らしい味も出るというものだ。
コップを二つ持っていって、それぞれの場所に並べる。クリスさんはぺこっと頭を下げて、「ありがとうございます」と言ってくれる。
「それで、お仕事はなにをなさっているんですか?」
「動画クリエイターをしています」
「最近流行ってますよね。自分もよく見てます」
「はい。私は日本のカルチャーをもっと世界に広めたいと思っています。だから、ここに来ました」
ニコッと歯を見せて笑うクリスさん。
そういえば、彼は何歳くらいなんだっけ。顔つきが日本人とはまるで違うので、外見からは推測できない。肌にはシワがなく、表情も明るいからずいぶん若く見える。
動画クリエイターを仕事にして、日本語もこんなに上手くて、さすがに同い年ってことはないよな……。と宿泊者名簿を確認。
34歳という数字に、思わず目を見開いた。とてもそうは見えない。
年齢を確認していた、ということは知られないように、話題を続ける。
「観光案内を希望されていましたよね」
「よろしくお願いします」
「はい。でも今日はお疲れだと思うので、明日からにしましょうか」
「わかりました」
端的な返答をしっかり返してくれるから、そのへんの日本人より圧倒的に話しやすい。最高やクリスさん。できれば英語で話したいけど、そりゃ日本好きだったら日本語喋りたいですよね。
「ご飯を食べる場所、いくつか紹介しますね。好きなものはありますか?」
「居酒屋へ行ってみたいです。地元の人がたくさんいる、聞きました」
「それでしたら、歩いて五分ほどのところに一軒あります」
地図を広げて、現在地と目的地にペンを当てる。道順は簡単だ。ここを出て左に進み、突き当たりを右に行けば見える。
「ありがとうございます」
端的に言うクリスさんは、最後まで英語を使わなかった。
◇
「どしたの六郎、どんよりして」
「いや、なんつうか、現実って思ったようにいかないなぁと」
夜。いつものように、空いた時間に悠羽が話しかけてくる。
お互いの仕事について話すのは、俺たちの日課になっている。女蛇村に来てから、明らかに雑談する時間は長くなった。他に暇を潰す方法がないからだろう。
「やなことあった? 話聞くよ」
「別に嫌なことじゃないけど……お客さんの外国人が、めっちゃ日本語喋れて驚いてる」
「めっちゃ喋れるんだ」
「おう。めっちゃ喋れる」
さっきまで英語を勉強していた脳なので、日本語力が著しく低下している。今ならクリスさんに負ける自信ある。
「その人はなにしに来たの?」
「動画撮って日本の魅力を広めるんだとさ。あれは完全に趣味のつもりでやってる仕事だな」
俺が他の業務に移った後も、クリスさんはリビングで日本の本を読んだりしていた。帰るときには、荷物を持ってきてドローンの整備もしていた。そしてそれらのどの瞬間も、彼の目は輝いていた。
あんなふうに仕事ができたら、幸せなんだろうなと思う。
ただ生きるためではなく、働くことで心まで満たすことができれば。
「じゃあ、美凉さんと相性いいかもね。その人」
「言われてみればそうだな。そうか。加苅を呼べばいろいろスムーズに行くのか」
「もしかして今の、ナイスアイデア?」
「ああ」
褒めてほしそうに上目遣いを向けてくるので、大人しく頷いておく。ここで変な意地を張ると、後で面倒だ。悠羽には適度に従う。そうすれば大丈夫。
それが、昔からの接し方だったのだが。
今日はなぜか、肯定だけじゃ足りなかったらしい。まだじっと俺を見て動かない。
「どうした」
「まだ褒めれるよ」
「というと?」
首を傾げると、少女はむっとしたように唇を尖らせた。蛍光灯の光が当たって、妙に色っぽい。
だが、いや、キスとかじゃないよな……。うん。それは違う。
やばい、まじでわからん。女心って難しい。
しばらく眉間に手を当てていると、痺れを切らしように悠羽は言う。その頬は、涼しい夜にしては赤い。
「頭、撫でさせてあげる」
「あたまなでさせてあげる」
「言い直さなくていいから!」
「いや――ちょっと理解できなくてだな。え、お前マジで言ってる?」
「あーもうやだ! もういい! こんなの耐えられない!」
ますます顔を赤くして、俺の部屋から出ていく。勢いよく襖が閉まって、どたどた音がして向こうの電気が消える。
残された俺は一人、目蓋をパチパチさせるのみだ。
頭、撫でていいんだ。
上手くまわらない脳で、それだけが処理しきれた。
なぜ悠羽頭を撫でられたがったのか――
45話に続きます。




