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雲はいずれ雨を呼ぶ

 アイリスとダリアのために『消臭ポーション』を作ってから数日。マーレはまだ帰ってきていない。このまま帰ってこないんじゃないかという不安が頭を掠める。少しでも気を落とせば即座に胸の内に滑り込んできそうになる不安を抱えながら日々を送っていた。

「あ~あ……マーレさんちゃんとご飯食べてるのかなぁ……」

 マーレの余りにも低すぎる生活能力に不安の矛先をズラしながら、今日も錬金術の研鑽に励んでいる。前回ダリアと一緒に『静寂の森』へと採取に向かった時の道すがらで集めた素材を使って、また新しい物を生み出せないか──と考えてはいるが中々妙案は浮かんでこない。

「リラ~! そろそろ店を手伝ってちょうだ~い!」

 階下から母がリラを呼ぶ声がした。いつの間にか陽も暮れかかり、陽光がリラの部屋を深紅に染めている。

「いけない……ちゃんと、切り替えないとね」

 ぺしっと両手で頬を叩き、息を吐く。

「今行く~!」

 部屋のドアに手を掛けながら、階下にいる母に向かっていつもより大きな声で伝えた。



 その日も【月猫亭】は繁盛していた。二十近くある卓を、気のいいお客が入れ代わり立ち代わりで埋めている。その忙しさが今のリラにはありがたかった。目の前の事で精一杯な時は余計な事を考えている余裕がないからだ。

 きびきびと動きながらもリラはお客の会話に耳を傾けていた。様々なお客が訪れる【月猫亭】には「経験」が溢れている。旅の商人同士が売り上げについて話し合っていたりだとか、冒険者がこぞって武勇伝を語ったりだとか。前までは聞き逃していた様な会話も錬金術のアイデアに繋がるかもしれないので、今のリラにとっては大事な情報源だ。聞き逃すわけにはいかなかった。

 意識を二分させながら、お客を捌き続けた。気付けばポツポツと空き卓が増えてきている。一番忙しい時間が終わったらしい。余裕ができたので食べ損ねた夕食をとっていると、リラの正面に誰かが座った。顔を上げれば母が困った様な顔をしていた。

「リラ、その……錬金術って何なの?」

「前にも言ったじゃん。素材を調合して、色んな道具を作る魔術だよ」

 リラには母の質問の意図が理解できなかった。

「その錬金術……? っていうのは本当に怪しいものじゃないのかい?」

「だからちゃんとした魔術の一種だって」

「この前リラが連れてきた人、いたでしょ? 確か……」

「マーレさんの事?」

「そう、そのマーレって人に関してあんまり良い噂を聞かないんだよね」

 マーレをバカにされた様な気がして思わずムッとしてしまう。そんなリラを見て母は困った様な苦笑いを浮かべた。

「夜中にぶつくさと死んだ様な目をして歩き回ってるのを、うちに来たお客が何人も目撃してるんだよねぇ……」

「それは……多分錬金術について考えてるからで……。お母さんもあるでしょ? 気分転換に散歩したり、とか。それと似た様な感じじゃないかな?」

 その噂に関してリラは否定しきれなかった。むしろ多分マーレならそのくらいの事は普通にやっていそうだとも思っている。

「ねぇ……やっぱり錬金術をやるのは、やめておいた方がいいんじゃないの? リラが前に作ったって言ってた『消臭ポーション』とかいうのもさ。本当は危ない物でしたってなったらどうするのさ」

 気持ちは分からないでもなかった。突然ローゼンに現れたマーレ、そしてそのマーレから教えられたという錬金術。リラが何か怪しい事件にでも巻き込まれているんじゃないか、と心配してくれているんだ、というのは頭では理解できた。

 ただ、到底受け入れる事はできなかった。リラは自分で使ってみて、錬金術が稀に言われている様な怪しい魔術ではないと感覚的に理解している。【月猫亭】のお客の中にも錬金術とかいうのは悪魔の力を借りているんじゃないか、と疑っている人がいた。

 今のリラにとって錬金術は、失い難い物になっていた。錬金術のおかげで満たされない日々の隙間を埋める事ができた。その錬金術が否定される事はリラ自身が否定される様な気すらしていた。

 だから、リラはつい苛立ってしまった。

「【月猫亭】で作る料理に使う食材だってもしかしたら腐ってる事があるかもしれないよ。それでお客の体調が悪くなったらどうするの?」

「そんな傷んでたり、腐ってたりする食材を見逃すわけがないでしょ? 食材のせいで、お客に迷惑をかけた事なんて一度もないよ」

「それと同じだよ。私だって錬金術をしてる時に、危ない物を見逃したりはしない」

 自然と語気が強くなる。空気が張り詰めていくのを感じる。瞳に強い意志を宿しながら、リラは母をじっと見据える。それを見た母が視線を落としてはぁ、とため息をつく。

「全くリラは口ばっかり達者になって……とにかく、取り返しのつかない事になる前に錬金術からは手を引きなさい!」

「絶対に嫌!」

「リラ! 私の言う事が聞けないの⁉」

「お母さんこそ! どうして私の言う事を信じてくれないの⁉」

 喉が詰まり、声が少し震えている。どうして目の前にいるリラの言葉ではなく、曖昧な噂の方を信じてしまうのか。それが何よりもリラを傷つけた。

 渦巻く怒りを心の内に抑え込んだ。きっと怒りをぶつけた所で母には何故怒っているのかが分からないと思ったからだ。だからリラは母に、無感情な一瞥を浴びせ──そのまま席を立った。


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