臭いが気になる
「やぁリラ、随分とご機嫌じゃないか?」
「本当ね、いつにも増して元気に見えるわ」
宵の口、【月猫亭】。いつもの通り給仕の手伝いをしていたリラは、席に案内したばかりの二人組の女性に声をかけられた。親し気な様子で話しかけてきた二人、ダリアとアイリスは小さい頃からの友人だ。それぞれ仕事もあって昔の様に遊ぶ機会も減ってしまったが、二人が十六歳になって成人してからはこうして【月猫亭】で顔を合わせる事が多くなっている。
「え~、そんな風に見える?」
さすが幼馴染。鋭い。
「丸わかり。リラったらすぐに顔に出るんだから」
華やかな笑顔を浮かべるアイリス。昔から可愛らしかったが最近更に綺麗になっている。現にさっきからチラチラと伺い見る熱っぽい視線が注がれていた。
「逆にアイリスはもっとキュートな腹の内を見せた方がいいと思うんだけどね?」
大仰に髪をかきあげたのがダリア。アイリスとは対照的で、背も高く顔立ちも中性的。今は冒険者として活動している。リラはダリアが戦っている所を見た事はなかったが、魔法も剣もなんでも器用にこなせるらしく、【月猫亭】にやってくる冒険者から噂されているのを聞いた事があった。
「リラちゃ~ん、注文おねがーい!」
喧々諤々と言い合う二人の背後で、リラを呼ぶ声がした。
「はーい! 今いきまーす」
振り返って笑顔で答える。
「ごめんね、二人とも! また後で」
ヒラヒラと手を振って、ダリアとアイリスに背を向ける。二人が【月猫亭】に来た時は給仕の仕事を少しだけ早めに切り上げてもらう事になっている。錬金術の事を二人に話すのが楽しみだが、とりあえず今は目の前の仕事に全力で取り組む事にしよう。
「お待たせ~……ってもう寝てる」
給仕の仕事を切り上げてダリアとアイリスの卓へと戻ると、既に酔いつぶれて眠っているダリアが目に入った。なんとも幸せそうな顔だ。
「ダリアったらもう……帰りどうするのよ」
ワイングラスを空にしたアイリスの顔はダリアとは対照的に全く赤くなっていない。アイリスは相当酒に強いのか、リラはアイリスが酔いつぶれている所を一度たりとも見た事がない。すぐに酔っぱらって眠るダリアと、酒豪のアイリス。十六歳になった時の姿はどっちに近くなるのだろうか……。
「まぁまぁアイリス、ダリアもきっと疲れてるんだよ」
「冒険者って皆こんな感じなのよね~。騒ぐだけ騒いで、バタンキュー」
「さすが冒険者ギルド職員……。容赦ないね」
相も変わらず華やかな笑顔だが目は笑っていない。いつものアイリスが戻ってきた。基本的に猫を被っているアイリスが素に戻るのはお酒の影響なのか、昔から付き合いのあるリラ達の前だからなのか。リラにその事を聞く勇気はなかった。
「女一人で稼ぐにはいい場所なんだけどね~」
「何か不満でもあるの?」
「私可愛いから、冒険者の連中からモテるのよ」
アイリスは躊躇いなく口にする。
「確かにアイリスは可愛いけど……。自分で言うんだ……」
今日は一段とキレッキレだ。何か嫌な事でもあったのだろうか。
「モテたらモテたで、他の職員から白い目で見られるし……」
「うわ~、それはちょっと嫌かも」
リラはアイリスが綺麗なのは、ストイックに美しさを求めて努力した結果だという事を知っている。だけどその美しさ故に嫉妬される事があるのだろう。
「あ~、イケメンで実家が太いプラチナランク以上の冒険者いないかな~」
「あははは……」
こういう所でへこたれずに自分を貫くアイリスの強さにリラは憧れていた。
「まあ私の話はいいの。それより、リラ。最近楽しそうだけどなんかあったの? もしかしていい人でも見つけた?」
「も~、そういうのじゃないって! でも良い事があったのは本当なの! 実はね……」
マーレに会って錬金術を始めた事。そしてまだ見習いだけど錬金術師として活動できる様になった事。ここ最近で起こった嬉しかった事の全部を話した。それなりに長い話だったがアイリスは聞き役に徹してくれていた。
話が終わるとアイリスがようやく口を開いた。
「面白そうな事始めたのね。それでそのレンキンジュツって何ができるの?」
やはり錬金術という言葉は聞き慣れないらしい。リラもマーレに会うまではほとんど聞いた事がなかったから、そもそも錬金術師自体が相当少ないのかもしれない。
「条件は色々あるけど、割と色んな事ができるよ! そうだ、アイリス。何か困ってる事はない?」
もしアイリスに困っている事があれば力になれるかもしれない。昔からの友人が笑顔になってくれるならこれ以上の喜びはない。
「イケメンで実家が太いプラチナランク以上の冒険者がいない」
「それは無理かな……」
錬金術は大抵の事ができるとはいえ、さすがにそれは……。
アイリス自身に頑張って見つけてもらうしかない。
「分かってるわよ、冗談。普通に困っている事といえば……臭い、とかかな」
「臭い……?」
「冒険者って男ばっかりだからギルド内も汗臭くて仕方ないのよ。それを誤魔化すために職員は匂いの強い香水をつけるから表も裏も地獄なの」
「臭い……かぁ」
気にした事も無かった。
──ポーションが苦いって思わない人は甘くしようなんて思わないでしょ?
頭によぎるマーレの言葉。なるほど錬金術師は自分で考えつかない事はできない、というのはこういう事みたいだ。
「ねぇリラ~、その錬金術とかで何とかできたりしない?」
「う~ん、ちょっと考えてみるね」
せっかく頼ってもらえたから、何とかしてあげたい。
『臭い』問題に対して、錬金術でアプローチするにはどうしたらいいんだろう?
アイリスは呼びかけてもうんともすんとも言わないダリアを叩き起こして帰って行った。
長身のダリアを担ぐようにして去っていくアイリスを見送って、リラは自室へと戻った。
さっきまでが賑やかだったせいか、いつも通りの自室が更に静かに思える。リラは寂しさを紛らわす様に、いつもより多めに独り言をこぼしながら寝支度を整える。何を考えているのかと言えばもちろん錬金術についてだ。
リラは自分の知識不足を実感していた。錬金術は素材の組み合わせによって様々な効果を発揮する物を作る事ができる。つまりは素材を知れば知るほど使える手札が増えていく。ローゼンという小さな町の中だけで生きてきたリラが知る素材は多くない。現状リラが知っている素材の中で臭いを消すのに役立ちそうな物はなかった。
「明日マーレさんに聞くのが一番かなぁ……」
マーレであれば、間違いなくリラの求める答えを知っているはず。そう考えた所でリラは首を振る。
「いやいや、それじゃ私が解決した事にならないじゃん!」
そもそもマーレに聞いた所で、教えてもらえるはずがない。自分の頭で考えないとリラ自身のためにならないからだ。
「……分からない物は分からないからしょーがないよね!」
この割り切りの良さはリラの長所だった。もちろん分からないまま放置して諦めるという事ではない。一旦素材の事は置いておいて素材以外の事を考える、という事だ。どんな調合品であるのが望ましいかを先に考える事にした。
まず、『臭い』は継続的な問題だ。例えば『汚れ』の場合であれば、一度綺麗にしてしまえばそれで解決する。だけど一旦『臭い』をどうにかしたとしても、それはその場限りのものでしかない。もっと長期間に渡って『臭い』を消す事ができる物でないといけない……。
「うぅ……。いいアイデアが全く浮かばないよぉ~」
リラはベッドでゴロゴロと転がった。その行為自体は何の役にも立たないが転がらずにはいられなかった。姿勢も変われば思考も変わる、そんな事もあるかもしれない。
「それにしても香水かぁ~……。私香水つけた事ないや。私も香水とかつけたら大人っぽく見える様になるのかな?」
【月猫亭】に来るお客の中にも香水をつけている人はいる。大体は若い女性客だ。通りかかった時とかにフワっと、甘ったるい匂いが香る。その匂いがリラはあまり好きではなかった。アイリスがいるのは、更に色んな匂いがごちゃ混ぜになった場所だという。想像しただけでも鼻が曲がりそうだ。仕事中ずっとその匂いに耐えないと……。
「そっか。香水だ」
ポツリと呟く。足りなかったピースが見つかった気がした。
──匂いを振りまく香水があるなら、匂いを打ち消す香水を作ればいいんじゃないか?
それこそがリラの思いついたアイデアだった。調合品を香水という形で完成させる事ができれば、継続的に『臭い』をどうにかする事ができる。それに香水であればすぐに無くなるという事はないだろう。
早速試したい……だけど素材は無い。こればっかりはマーレの力を借りるしかなさそうだ。
もどかしさを感じながらリラは目を閉じる。そして全力で眠ろうと努力する。
リラの努力も虚しく、というよりリラの努力が仇となり、リラが眠ったのは逆にいつもより遅い時間だった。




