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「和葉、君が運転するんだ」
フェンスを乗り越え、漸く和葉のNSRの隠し場所へ命からがら辿り着いたハリーが和葉に告げたのは、あまりに唐突にして滅茶苦茶すぎる一言だった。
「わ、私がぁっ!?」
当然、和葉の反応はこんな具合。驚き戸惑うのも当然のことで、彼女のそんな反応にハリーは今更驚いたりなんてしない。
「これは君のバイクで、相棒だ。君の方が色々と勝手に慣れてる」
「で、でも……! 無理よ、そんな逃げるだなんて……!」
「自分を信じろ」戸惑う和葉に、NSRに掛けてあった彼女のフルフェイス・ヘルメットを投げ渡しながら、ハリーが言う。
「君の腕は、後ろから何度も見させて貰ってる。良いウデだ、その若さとは思えないほどに」
「こんな時にまで、お世辞言わないでよ……」
「お世辞なんかじゃない」ハリーは言いながら、次は膝用プロテクターを投げ渡す。「事実だ」
「……あーもう! 分かったわよ、分かった分かった! やれば良いんでしょう、やればっ!?」
とすると、冷静なハリーの語気に遂に折れたのか、或いはヤケになったのか。和葉はムキになったように騒ぐと、何故かぷんすかと怒り散らしながらフルフェイス・ヘルメットを頭に被り、膝にプロテクターを手早く着ける。
「私なんかに任せて、どうなっても知らないんだからね!?」
当たり散らすように怒鳴りながら和葉はNSRに跨がり、キック・スターターを蹴り飛ばしエンジンを始動させた。NSRの250cc二ストローク・エンジンが、ここぞとばかりに唸りを上げる。まるで、主の危機を察するかのように。
「なんて言いながら、随分と乗り気じゃないか」
「う、うるさいっ! ――――とにかく、後ろ乗んなさいな!」
「それじゃあお言葉に甘えて、邪魔するよお嬢さん」
「誰がお嬢さんだっての!」
こんな具合のやり取りを交わしつつ、ハリーが和葉の背中、NSRの後ろに取り付けられた申し訳程度のタンデムシートに跨がる。右手は用心のためにUSPコンパクトを握ったまま、しかし振り落とされない為に左腕で和葉の腰を抱えるようにしてやる。
「やっ……! ちょっ、変なトコ触んないでよ!?」
「この非常時にそう言ってられるか、気にするな」
「気にするわよ、この馬鹿ぁっ!!」
「……? 変わった奴だ」
「こっちの台詞よ、もうっ……!」
フルフェイス・ヘルメットの下で何故か顔を真っ赤にしながら、和葉は片手でバイザーを下ろし。そして、セパレート式のハンドルを両手で握り締める。
「俺に構わず、全開で飛ばせ」
「言われなくてもそのつもりよ、馬鹿っ」
「そうしてくれ。最悪、俺は振り落とされたって構わない」
「どうなっても知らないんだから……!」
口先ではそう言いつつ、しかし和葉は体中の血が段々と沸騰し始めているのを感じていた。今まで体験したことの無い最大級のスリルを伴う全開走行に、血の中に流れるガソリンが滾り、そして激しく燃え上がっているのだ。
「じゃあ、行くわよっ!!」
そして、意を決し和葉はギアを入れ、茂みの中からフルスロットルで飛び出す。
茂みを突っ切り、軽くバウンドしながら狭い路上へ。そこで大きく一度前輪を持ち上げてウィリーなんてカマした後に、全開加速で突っ走り始める。
「で、何処へ逃げれば!?」
「何処でもいい、今は突っ走れ!」
「はいはい、分かったわよ……!」
とりあえず、選ぶのはいつもの通学ルートだ。学園の横を気が狂ったような速度で突っ走り、そして一目散に逃げていく。
「っ……! ハリー、後ろっ!」
が、逃げて間も無く和葉はサイド・ミラーに複数のバンの姿が映ったのを見て、顔を青ざめた。しかも、後ろに張り付いた二台のバンの窓やサンルーフからは、拳銃や自動ライフルを構えた傭兵たちが顔を出しているのだから、余計に和葉は焦る。
「チッ、早いな……!」
だが、ハリーは少し舌を打つのみで慌てなかった。そんなハリーに「ど、どうするのよっ!?」と焦る和葉が訊くと、
「そこらの障害物に引っ掛けてやれ!」
そうハリーは答えながら、USPコンパクトのサム・セイフティをパチンと押し下げて解除する。
「障害物って……!?」
「二輪の機動性を生かせってコトだ! ――――ほら来るぞ、避けろ!」
「ああもう、どうなったって知らないっ!!」
後ろであの男たちが銃を撃ち始めれば、ヤケになって和葉はNSRを右へ左へとバンクを効かせ回避行動を取り始めた。
「多少は、何とかする……!」
そしてハリーは左腕で和葉の細い腰を引き寄せたまま、大きく振り返り右腕一本でUSPコンパクトを撃ちまくる。
ダンダン、と続けざまに五発を撃ち放ち、そして丁度五発目で追いかけてくるバンの内一台の運転席を正確に射貫いた。どうやらあのバンは防弾仕様でないらしく、フロントガラスを突き抜けた9mmパラベラム弾はそのまま吸い込まれるようにして運転手の眉間を喰らう。即死した運転手の力を無くした死体があらぬ方向へと向けば、そのままそのバンはガードレールの端に突き刺さり、動きを止めた。
「やった!」
その光景を偶然サイド・ミラー越しに見ていた和葉が、思わずガッツポーズでもしそうな勢いで喜ぶ。ハリーはそれを「目の前に集中しろ!」と咎めながら、尚もUSPコンパクトを撃ちまくる。
「分かってるって!」
その間にも、和葉は思い切りNSRの車体を傾けながら交差点を左に曲がろうとする。
(動きが、鈍い……!)
と、その時だった。和葉が慣れ親しんだはずの相棒の挙動に、妙な違和感を覚えたのは。
純粋に、曲がりにくいのだ。いつもならワープするようにクイっと曲がってくれるはずのNSRが、今に限ってハーレー・ダビットソンみたいに重苦しく感じる。
それもそのはずだった。本来は一人乗りを前提とした軽快なレーサー・レプリカのマシーンに、今は後ろに男一人分の余計な体重を乗せているのだ。NSRの挙動が凄まじく重く感じるのも、何ら不自然ではない。
「このぉぉぉっ!!」
動きの鈍いマシーンを、和葉は強引に曲げていく。今まで培った技術と経験、その全てをフルに叩き込みながら、無理矢理に曲げていく。そうすれば、少しだけ対向車線にはみ出しながらも、何とか曲がることが出来た。
「来たぞ、次だ!」
弾切れになったUSPコンパクトの弾倉を交換しつつのハリーの叫びに呼応し、和葉がチラリとサイド・ミラーに視線を這わせる。すると、もう一台のバンがNSRの後方、かなり近くまで近寄っているのが見えた。
そして、目の前には丁字路が迫る。幸いにして信号は青だが、このスピードだと今の鈍重なNSRで曲がりきれるかどうか……。
「突っ込め、和葉ぁっ!!」
「ああもう、何とかするわよ! 何とかすりゃあ良いんでしょうがっ!!」
半ばヤケになりながら、和葉はその丁字路に突っ込む。実質的に九十度の直角コーナーを、このオーヴァー・スピードで。しかも後ろに荷物ひとつを積んだ死ぬほど重い状態のNSRで曲がらなければならないのだ。
無茶だが、失敗は許されない。失敗は、それ即ち和葉とハリーの死を意味するのだから……。
(ええそうよ……! やってやる、やってやろうじゃないのさっ!!)
だが、そんな絶望的な状況が、却って和葉の沸騰する血を更に掻き立てた。人生最大級のスリルを前にして、和葉の血がスパークした点火プラグで爆発するガソリンみたいに、熱すぎるほどに滾る。
「振り落とされないでよ!? 此処でやれなきゃ、そんなの私じゃあないっての――――!!」
和葉は一瞬の強烈なブレーキングの後、凄まじい角度でバンクを掛けながらコーナーへと突入する。左膝に着けたプロテクターがアスファルトの路面と擦れ、それこそ火花でも散らないかってぐらいにガリガリと激しく削れる。
「曲がれぇぇぇぇっ!!!」
スロットルを全力で開きながら、和葉が叫ぶ。すると――――信じられないことに、彼女のNSRはあの絶対に不可能と思われた速度から丁字路を突破してしまう。
対向車線にはみ出しながら、停止線の前で待っていた対向車とガードレールの間スレスレの所を通り抜けながら。本当にギリギリの所で、和葉は不可能と思われたコーナリングを成し遂げたのだ。きっと相棒が自分の想いに応えてくれたのだと、今だけは和葉もそれを信じた。
「イェアッ!! 最高だ和葉! 君は最高だっ!」
そんな限界ギリギリのコーナリングを成し遂げてみせれば、背中越しにハリーまでもが彼らしくも無くはしゃぐのが聞こえる。そして、その後ろで曲がりきれなかったバンが、そのまま丁字路のガードレールに正面から突っ込む光景も、バック・ミラー越しに見えていた。
「あはは……。人間、やれば出来るものね……」
正直、二度とやりたくは無いが。
和葉は大きな溜息と共に肩を落としつつ、しかし勢いは衰えさせないままでNSRを走らせていく。
「前だ、和葉っ!!」
「っ……!?」
と、そんな安堵も束の間。側道から物凄い勢いで合流してきた黒いセダン――メルツェデス・ベンツのCクラスが、まるで壁のように和葉とNSRの前に立ちはだかった。
そして――――。
「逃がしゃしねェ――――!」
サンルーフから、あの男が身を乗り出し二人の前に再び現れる。軽機関銃を片手に、あの巨漢"ウォードッグ"が、再びハリーと和葉の前に現れた。




