冷たい棺と、知らない私
ズキズキと脈打つ鈍痛に思わず瞼を強く閉じる。意識の底からゆっくりと引き上げられるにつれ、段々と外の音が聞こえてくる。讃美歌と嗚咽。誰かの葬式だろうか。百合の花のような香りが辺りに漂っている。
ここは何処だろう。
仕事から帰ってきて、コンビニで買ったご飯を温めてる間に一息吐こうとソファに座ったところまでは覚えている。
ゆっくりとまぶたを開けると、薄暗い視界の端でゆらゆらと揺れる小さなろうそくの炎が見えた。見上げると、そこにあったのは真っ白い天井とシーリングライトではなく、ゴシック様式のような高い天井と、聖人の描かれたフレスコ画だった。高く穿たれた尖頭窓からは、夕暮れ時のような赤黒い斜光が斜めに差し込み、宙を舞う細かい埃の粒を白く浮かび上がらせている。
「……う、ん……」
喉からは掠れた声しか出なかった。
指先を動かそうとすると、サワサワと滑らかなシルクの生地が擦れ合う微かな音が響く。
まだ寝ぼけているのか、意思とは別にゆったりと動く自分の手を見る。白く透き通るような肌、手入れの行き届いた細く長い指。爪にはピンク色のマニキュアが丁寧に塗られていて、まるでモデルのような手だった。
そのまま視線を衣服に移すと、胸元には黒いレースがあしらわれた黒いドレスに、これでもかとエメラルドの宝石を着けていた。
そして、私はあまり余裕のない箱状の何かに横たわっていて……これってもしかして、棺!?
私は震える両手を箱の縁にかけるとギシギシと音が鳴る。力を込めて、体を起こそうとした。
ギィ……と、乾いた木が擦れ合う低い音が、静まり返った大きな空間に不気味なほど大きく響き渡った。
その瞬間、耳を刺すような女の悲鳴が聖堂内に轟いた。
「う、動いた……っ!?」
「亡くなられたんじゃなかったのか!?」
ざわめきが、さざなみのように大聖堂の中に広がっていく。
見渡せば、黒い喪服に身を包んだ大勢の参列者たちが、目を丸くして私を見つめていた。教会の重厚な木製の長椅子に腰かけていた人々が一斉に立ち上がり、椅子が石床を擦るガタガタという荒々しい音が響く。彼らの顔には驚愕と、それ以上の深い恐怖が貼りついていた。
「どういう状況……?」
乾燥しているのか、掠れた声しか出ない。
一体ここが何処で、何故ここにいるのか。
それを必死に把握しようとしていた、その時、長椅子の最前列から、一人の男が勢いよく立ち上がり、こちらへ駆け寄ってきた。
「セレナっ!!」
突然知らない男の人に近寄られて、思わず体を引くが、そんなものは関係ないとばかりに男は私の胸元へ縋るように抱きついた。
鼻筋が高く、彫刻のように美しく整った顔面。
俳優だと言われたら信じてしまいそうな美貌を見たら、急に抱きつかれたというのに文句のひとつも出てこない。
何より目を引くのは、吸い込まれそうなほど美しく澄んだサファイア色の瞳。綺麗……だけど、どこか狂気的で、情熱と歓喜が混ざり合ったように、ギラギラした目をしていた。
男は震える手で私の両頬を包み込む。
その指先は氷のように冷たく、触れられた瞬間、ビクッと体が跳ねた。彼の指先が震えているのがはっきりと伝わってくる。
「あぁ、神よ! 感謝します! 私の祈りを聞き届けてくださったのですね……!」
「あの……?」
「生きて……生き返ってくれたんだね、セレナ! もう二度と離さない……絶対にだ!」
戸惑う私を無視して、力任せに抱きしめられた。瞬間、彼の服から漂う高そうなの香水が鼻をくすぐる。彼の胸に押し当てられた私の耳には、ドクンドクンと異様な速さで脈打つ彼の心臓の音が聞こえた。
男の目から溢れた涙が、私の首筋にぽたぽたと濡らしていく。あまりの必死さと抱き寄せる強さに、私は指先一つも動かすことができなかった。
「葬儀は中止だ!! ただちに屋敷へ戻る! 馬車を出せ! セレナに食事と着替えの用意を! 早くしろ、ぼんやりするな!!」
彼の部下と思われる揃いの服を着た方たちが、青ざめた顔で「は、はいっ!」と叫び、慌ただしく走り出す。
壇上で聖書を掲げたまま固まっていた神父は、震える手で何度も胸に十字を切り、念仏のように祈りを唱えていた。
私は自分が誰で、ここがどこなのかも分からないまま、彼の手によって冷たい棺から軽々と抱き上げられた。
どこに連れて行かれるのか。
周りの人の様子を見るに、この場でこの男が一番偉いのだろう。誰一人逆らう様子を見せなかった。ならば、私もこの場は従った方がいいのだろう。
不安を抱えたまま、私は大人しく男の腕の中で縮こまっていることにした。




