第四十二話 丈の決まらない制服
小さな古い鍵が鳴ってから、四日後。
一人の女性が、紺色の制服を抱えて来店した。
裾へ針を打つたび、丈が伸びたり縮んだりする。
「娘にちょうどよくしてあげたいんです」
女性は言った。
「なのに、本人が着ると合わなくなるんです」
◇
佐藤美和、四十四歳。
一人娘の杏は十五歳。
春から高校生になる。
美和は、杏が困らないよう先回りしてきた。
塾を選び。
忘れ物を確かめ。
友達との約束に遅れそうなら車を出した。
杏は反抗の少ない子だった。
小学生の頃は、美和が選んだ服を黙って着た。
習い事を休みたいと言った日も、美和が理由を並べると教室へ向かった。
『杏は聞き分けがよくて助かる』
美和は何度もそう言った。
杏が納得したのか、諦めたのかを確かめたことはなかった。
中学二年の冬、杏は長かった髪を自分で切った。
美和は、相談してほしかったと言った。
杏は『私の髪だから』と答えた。
その言葉を、美和は反抗期なのだと片づけた。
高校も、美和が勧めた学校を受験した。
合格発表の日。
杏は笑った。
けれど、制服の採寸でスカートを当てられると、表情が消えた。
帰宅後、杏は言った。
『ズボンの制服にしたい』
学校では、どちらも選べる。
美和は反対しなかった。
ただ、入学式だけはスカートにしたらと勧めた。
写真にも残るから。
祖父母も喜ぶから。
一度着てみて嫌なら変えればいいから。
杏は『分かった』と答えた。
届いた制服は、採寸したはずなのに丈が合わなかった。
美和が裾を直しても、杏が着ると短くなる。
次は長くなり、床へ触れた。
洋服直しの店へ持っていく途中、知らない路地へ出た。
◇
「成長期ですから」
美和は制服を広げた。
「どの丈にすれば、娘さんに合うのでしょう」
「膝が隠れるくらいです」
「杏様も、そうおっしゃいましたか」
美和は黙った。
店主が持ってきたのは、黄色い布の小さな鞄だった。
幼稚園の頃、美和が杏へ縫ったものだ。
持ち手の長さが左右で違う。
「失敗作です」
「杏様は、使われましたか」
毎日使った。
美和は作り直そうとしたが、杏はこのままがいいと言った。
『おかあさんが作ったから』
美和は、その言葉を自分が正しく選べる証拠にしてきた。
娘が喜ぶものを知っている。
娘が後悔しない道を選べる。
けれど、幼い杏が選んだのは鞄だった。
美和の正しさではない。
「私は、無理に着せたいわけではありません」
「はい」
「入学式だけです。あとで嫌だったと思わないように」
「どちらの後悔でしょう」
美和は制服を握った。
写真の中の娘が、自分の想像と違う姿になる。
それを受け入れられないのは、美和だった。
「何も助けなかったら、母親ではないみたいで」
「尋ねることも、助けではありませんか」
店主は黄色い鞄を差し出した。
「本当に、思い出してもよろしいですか?」
美和は不揃いな持ち手へ触れた。
◇
初めて鞄を渡した朝。
美和は何度も謝った。
『作り直すね』
杏は首を振った。
『これ、わたしの?』
『そうだよ』
『じゃあ、わたしがきめる』
杏は嬉しそうに肩へ掛けた。
美和が忘れていたのは、娘に合う答えではなかった。
娘のことを、娘が決められると信じる余白だった。
◇
制服の丈が、元の長さへ戻った。
美和は直さずに持ち帰った。
帰り道、制服の袋は思ったより軽かった。
あの頃の杏は、何も分からない子どもではなかった。
今の杏も、答えを用意してもらうだけの子ではない。
◇
その夜。
美和は杏へ尋ねた。
「入学式、何を着たい?」
杏はズボンがいいと言った。
祖父母への説明を心配していたらしい。
「説明は、お母さんも一緒にする」
美和は答えた。
代わりに決めるのではなく、選んだあとを支えることにした。
入学式の日。
杏はズボンの制服で写真に写った。
美和が想像していた姿とは違った。
それでも、杏の笑顔は美和が決めたものではなかった。
帰宅後、祖母から写真を見たと電話が来た。
美和は説明を始めようとして、受話器を杏へ渡した。
杏は自分の言葉で、選んだ理由を話した。
祖母は少し戸惑い、それから似合っていると言った。
理解されなくても、美和が杏の選択を消す必要はなかった。
数日後、杏は通学用の鞄を選びたいと言った。
美和には、丈夫で使いやすそうな候補があった。
口にする前に、杏が見ている鞄の理由を尋ねた。
杏は内側のポケットが絵を描く道具にちょうどよいと説明した。
美和には思いつかなかった選び方だった。
帰宅してから、黄色い幼稚園鞄を二人で取り出した。
杏は不揃いな持ち手を見て、今もこれが好きだと言った。
美和は作り直さなくてよかったと、初めて素直に思った。
◇
帳簿。
預かり品 娘に合う答え
一本線を引く。
預かり品 娘が決めるための余白
所有者 佐藤美和
返却 済




