第11話 王様には、向いてない
からくりデス・ゲーム憲章
第8条(運営機構の絶対性)
からくりゲーム運営機構は、すべての国家権力・法・機関より上位に位置する。
運営機構は以下の権限を有する。
・ルール変更
・ゲームへの介入
・強制調整
・選定・執行の全権
第11話「王様には、向いていない」
夜の廃墟は、思考を腐敗させる。
コンクリートの割れ目から染み出す湿った冷気と、遠くで崩落が続く微かな地鳴り。天城盤は、その静寂の中に混じる「異物」を嗅ぎ取っていた。
それは、生命が極限までその存在を消そうとする際に漏れ出す、粘ついた呼気だ。
場所は三階の踊り場。影が最も濃く溜まる死角。
盤が音もなく階段を上がると、そこには埃にまみれた「抜け殻」のような影が蹲っていた。
「種田」
短い呼びかけ。それだけで、影は感電したように大きく跳ねた。
「あ……あ、天城……くん……?」
種田陸の顔は、死人よりも白かった。目の下に刻まれた隈は抉れたように深く、二日間、一度も瞬きをせずに絶望を見つめ続けていたかのようだった。
盤は、種田の前にゆっくりと腰を下ろした。立ったままの対峙は不要な威圧感を与える。相手の戦意が皆無である以上、今は「盤面」を共有するための儀式が必要だった。
「二日間、ここで時が止まるのを待っていたのか。あるいは、運営の点呼で名前を呼ばれるその時を」
「……動け、なかった。外から、銃声が聞こえるたびに……自分が、撃たれるような気がして……。僕みたいな奴、どこにいてもすぐ見つかるって……」
種田の声は、擦り切れたレコードのようにかすれていた。盤は無言で水筒を差し出す。種田はひび割れた唇でそれを受け取ると、中に毒でも入っているかのような疑心に満ちた目で、けれど本能には抗えず、貪るように水を啜った。
「飲みすぎるな。胃が拒絶反応を起こす」
「……ごめん。……ありがとう」
震える手で返された水筒。種田は再び自分の膝を抱え、胎児のように丸まった。
「俺、王将なんだ。……知ってるだろ」
「把握している。開始時の点呼と、端末の駒リストでな。……だが、エリア通知が来なかったのは、お前の特性か?」
「……わからない。ただ、ずっと『消えたい』って思ってたら、誰にも見つからなかった。……間違いだよ。何かのバグだ。俺、ずっとクラスの隅で、みんなの顔色を伺って生きてきたんだ。体育のチーム分けだって、いつも最後の一人で……そんな奴が、王様なんて……」
種田の告白は、このクソみたいなプログラムに対する、あまりに正当な抗議だった。
だが、盤はその抗議を、無慈悲な正論で塗り潰す。
「木村太一を知っているか。向こうの『王』だ」
種田が、ビクリと肩を震わせる。
「あいつは、王に相応しい。人を駒として使い潰し、善意を的にして笑う怪物だ。お前とは正反対だな。……だが、だからこそ奴は、敵である俺たちにとって『予測可能な脅威』でしかない」
「……え?」
「王将という駒の性質を理解しろ」
盤は、コンクリートの床の埃を指で払い、『王』の動きを描いた。
「将棋において、王は最も不自由な駒だ。一歩ずつしか進めず、常に誰かの守りの中に閉じ込められていなければならない。……いいか、王にカリスマなど必要ない。王将の唯一にして絶対の役割は、ただ『生きていること』。それだけだ」
種田が、縋るように顔を上げた。
「俺が指し、澪が攻める。お前はその中心で、ただ深呼吸をして心臓を動かしていろ。……王様に向いていないお前だからこそ、俺たちの完璧な『守るべき価値』になるんだ。余計な欲を出さない、純粋な命の器としてな」
「天城くんは……怖くないの? なんでそんな、プログラムの一部みたいに言えるの?」
「怖いさ。だが、恐怖で思考を止めるのは、自殺に等しい悪手だ」
盤は、種田の細い肩に手を置いた。埃と汗、そして絶望の匂いが、彼が必死に命を繋ぎ止めてきた二日間の重みとして伝わってくる。
「もし怖くて足が動かなくなったら、目を閉じろ。そして、俺の声を、ただの駒の音だと思って聞け。お前が目を開ける頃には、俺が盤面を掃除しておいてやる」
種田の震えが、わずかに治まっていく。彼にとって、盤の冷徹な言葉は、どんな甘い慰めよりも信頼に値する「契約」に聞こえた。
「盤! 見つけたわよ!」
階下から、跳ねるような足音と共に神楽坂澪が姿を現した。彼女は種田の姿を確認するなり、大きく息を吐いて駆け寄った。
「種田くん! あんた、こんなところで冬眠してたの!? 心配したんだからね!」
「神楽坂、さん……」
「無事でよかった。本当に……。さあ、立って。顔色、最悪よ」
澪は種田の隣にドカリと座り込み、その温かい手で種田の背中をさすった。盤の理屈とは違う、剥き出しの体温。
「明日から一緒よ。いい? あんたは私が全力で守るから。バレーのブロックよりも鉄壁なんだからね。……盤の代わりに、私が人間らしい空気を入れてあげるわ」
「……俺、足手まといに……」
「盤が何とかするわよ。こいつ、頭の中がスーパーコンピュータなんだから。ね?」
盤は鼻を鳴らし、視線を逸らした。「俺は俺の勝率を上げたいだけだ」
「はいはい、素直じゃないわね」
種田が、二人を見比べ、ようやく年相応の少年のように小さく笑った。
「……わかった。僕、頑張って、生きるよ。……死ぬのが、一番の迷惑になるんだもんね」
王様には向いていない少年。
だが、その「最弱の王」を盤の中央に据えたことで、盤の戦略は「防衛」から「反撃」へと劇的な転換を遂げる。
盤は立ち上がり、胸ポケットの便箋――小川と山下の遺言に触れた。
(種田、お前が生きている限り――この対局は、まだ終わらせない)
それは冷徹な計算の結果であり。
そして、盤自身も気づかぬうちに宿した、初めての「王を守る歩兵」としての、歪で高潔な矜持だった。




