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才能なしと追い出されましたが、辺境で魔導書工房を始めます。──なぜか王国最高位の魔術師が、うちの工房に来るのですが?  作者: 森凛


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第二十三話 ー 南仕事口


 南仕事口は、まだ夜の色を残したまま動いていた。


 城壁の下に開いた低い通路へ、人が途切れず出入りしている。肩に縄を巻いた男、木箱を抱えた少年、眠そうな顔のまま札を握っている女。言葉より先に、木札の打ち合う音が続いていた。


 ライナルトは人波の端をまっすぐ抜ける。

 私は白紙本の包みを抱え、レネは半歩遅れてついてくる。


 正面の窓口には、年配の男がいた。机の上に札を広げ、受け取るたびに角へ小さな穴を開けている。


「朝の登録はまだだ。並べ」


 こちらを見ないまま言った。


 ライナルトが懐から板札を出す。

 "グラウハイム便 見習い一名

 綴じ手 優先"


 男の手が止まった。


「……どこで拾った」


「拾ってない」


「じゃあ盗んだか」


 返しが早い。

 ライナルトは札を引かずに言う。


「誰が切ったか聞きに来た」


「聞かれて答える札じゃない」


 男はようやく顔を上げた。

 目だけがこちらを測る。窓口の下へ手を伸ばしかけたのを見て、私は先に言った。


「穴の位置が違います」


 男の指が止まる。


「今切っている札は右下に一つです。でも、それは左上に古い穴があります」


 男は黙る。

 私は続けた。


「今の札ではありません。前の型です」


 後ろにいたレネが小さく言う。


「八年前までの打ち方です」


 そこで、男の顔がわずかに動いた。


「……誰だ、おまえ」


「札を待つ側でした」


 レネが答える。


 それ以上は言わない。

 けれど、その言い方で十分だったらしい。男は窓口の板を半分だけ上げた。


「入れ。三人までだ」


 人波のざわめきが背後へ下がる。

 中は広くない。机が二つ、札を吊るす棚が一列、床の隅に割れた木箱。いちばん奥の壁に、使い終えた穴あけ金具が何本も差してあった。


 男は札を受け取ると、裏返して指でなぞる。


「確かに古い。今は使ってない焼印だ」


「誰が切った」


 ライナルトが聞く。


「言う義理はない」


「教えてくれ」


「断る」


 すぐにぶつかった。

 男は札を机へ置く。ライナルトは引かない。私はその机の端に、薄い紙片の束が輪ゴム代わりの紐で留められているのを見た。束のいちばん上だけ、角が濃く汚れている。


「控え、残してるんですね」


 私が言うと、男の目がまたこちらへ来た。


「全部は残らん」


「でも、残る札はありますよね。人名のない札とか、優先印のついた札とか」


 男は何も言わない。

 その沈黙が、逆に当たりだと分かる。


「それを見せてください」


「だめだ」


「じゃあ質問だけでも」


「だめだ」


 そこでライナルトが札の上へ指を置いた。


「この札を切った女は、学院の通行印を持っていたはずだ」


 男の眉が寄る。


「……女だと、なぜ分かる」


「綴じ手優先なんて書き方をするのは、荷方(にかた)じゃない」


 それは説明ではなく、試す言い方だった。

 男は鼻で息をつく。


「勘のいい客は嫌いだ」


「客じゃない」


「そうだった、見れば分かる」


 そう言いながら、男は奥の棚へ向かった。

 控えを出す気になったのかと思ったが、取ったのは帳面ではなく、角の擦り切れた板箱だった。


 箱の中には、切られる前の古い札が束で入っている。

 男はそのうち一枚を抜き、今の札と並べた。


「焼印が違うだろう。これは南仕事口の古い急札だ。朝の列に通せないとき、先に人だけ出す」


「人だけ」


 私が繰り返す。


「荷より先に、ですか」


「そうだ。逃がすときもある」


 男はそこで口を止めた。

 ライナルトが逃がさない。


「誰を」


「口が滑った」


「もう遅い」


 男は舌打ちした。


「……あの頃は、学院からも外廷からも妙な依頼が来た。名前を出さない見習い、顔を見せない受取、札だけ先に切れってな」


 私は机の端を見た。

 紐で留められた控え束の一枚が、少しだけずれている。


「その札の控え、ありますね」


 男は返事の代わりに、その束を掴んだ。

 渡さないためだと分かる。


「誰の差し金だ」


 男が聞く。


「ヴェラ・ヴェルナーです」


 私が言った。


 男の手が止まった。


「……その名を、ここで聞くとはな」


「知ってるんですね」


「一度だけ来た」


 男はようやく束を机へ戻した。


「朝になる前だった。人を一人、見習い札で南外へ出したいと言った。綴じ手なら受けがあるかと聞いてきた」


 私は喉の奥が熱くなるのを感じた。

 札を切っただけではない。ヴェラは、どの仕事なら村へ出せるかまで自分で確かめていた。


「そのとき、一人でしたか」


 私が聞く。


「いや」


 男は答える。


「戸の外に、もう一人いた」


 レネの肩がわずかに動く。


「子どもですか」


「見てない。顔は隠してた。ただ、立ってたのは一人分だ」


 ライナルトが言う。


「控えを出せ」


「断る」


「なぜだ」


「今出したら、俺の名も残る」


 男はそこで初めて少しだけ声を落とした。


「八年前の急札は、表の帳面に移してない。残したのは、あとで揉めたとき自分を守るためだ」


 私は一歩だけ近づく。


「じゃあ、私たちも同じです」


 男がこちらを見る。


「守りたいんです。今、あの札がどう使われたか分からないと、また同じ席が作られてしまいます」


 白紙本を抱えている腕が少し重くなる。

 私はそのまま言った。


「迎え役は、もう一人の子でした。今も使われるところでした」


 レネが黙って立っている。

 それが、言葉より先に効いたらしい。


 男はしばらく私たちを見ていたが、やがて控え束を解いた。

 一番下から、薄い紙を二枚抜く。


「見るだけだ。持ってくな」


 机の上に置かれた控えには、かすれた字が残っていた。


 ”グラウハイム便 見習い一名

 綴じ手優先

 受取仮印 ノラ”


「ノラ……」


 私が読むと、男が言う。


「南外の荷宿で人を受ける女だ。村行きの手配をまとめる」


「今もいるのか」


 ライナルトが聞く。


「いる。いなきゃ困る」


 短いやり取りのあと、私は二枚目へ目を移した。


 そちらには、もっと少ない字しかなかった。


 ”同行欄 削除

 席一つ分のみ”


 私は紙を見たまま止まる。


「同行欄……」


「普通は、幼い見習いなら連れが付く」


 男が言う。


「でもその札は、一人で出す形に直された。だから揉めた」


「誰が削ったんですか」


「切ったあとで持ってきたのは、あの女だ」


「あの女」


「ヴェラ・ヴェルナーだよ」


 今度は、はっきりした。


 席一つ分のみ。

 迎え役を外す。

 同行欄を削る。

 空いた席の話が、ここで札の形になって出る。


 レネが低く言う。


「だから、私は残された」


 私は顔を上げた。

 彼女は控えを見ている。表情は変わっていないのに、指先だけが少し強く握られていた。


 ライナルトがすぐに聞く。


「ノラはどこだ」


「今の時間なら南外荷宿だ。仕事口から出て、川沿いへ折れろ」


「一人か」


「いや。朝の便が出る前は、人が多い」


 それは逆に都合がよかった。人混みに紛れられる。


 私は控えの字をもう一度見た。

 ノラ。

 受取仮印。

 少なくともヴェラは、思いつきで札を切ったわけではなかった。実際に受ける側の女性まで押さえていたのだ。


「もう一つ聞いていいですか」


 私が言うと、男は嫌そうな顔をした。


「何だ」


「そのとき、ヴェラさんは急いでいましたか」


 男は一度だけ考える。


「急いでたな」


「どうしてそう思います」


「金を多く置いていった」


「あと」


 男は指で控えの下を叩いた。


「札を切ったあと、言ったんだ。『朝までに名前を消す』って」


 私は息を止めた。


 名前を消す。

 記録から。同行欄から。迎え役から。

 ヴェラがやっていたことは、ここでも同じだった。


 そのとき、表の窓口から荒い声が飛んだ。


「おい、まだか!」


 男が舌打ちする。


「もう終わりだ。行け」


 ライナルトが控えから手を離す。

 私は白紙本の包みを抱え直し、レネは一歩だけ後ろへ引いた。


「助かりました」


 私が言うと、男は顔をしかめた。


「礼はいらん。次に来るなら、札じゃなく金を持ってこい」


「覚えておく」


 ライナルトが言って、先に窓口の裏を出る。


 外の空気はさっきより白くなっていた。朝が近い。

 南仕事口の列はさらに伸びている。


「南外荷宿ですね」


 私が言うと、ライナルトはうなずく。


「ああ」


「ノラさんを見つければ、受け取りの続きが分かる」


「それだけじゃない」


 レネが言った。


 私とライナルトが同時に見る。


「同行欄が削られたなら、ヴェラは本当に一人だけを外へ出すつもりだった。誰を残すか、そこで決めたことになります」


 私は返事の代わりに、懐へ手をやった。

 控えは持ち出していない。けれど、字はもう頭に残っている。


 ”受取仮印 ノラ

 同行欄 削除

 席一つ分のみ”


 次の行き先はもう決まっていた。


 ライナルトが人波を避けて歩き出す。

 私とレネが、そのあとに続く。


 ヴェラが空けた席の先で、今度は受け取る側の名前が出た。

 もう札だけを追っているわけではない。

 朝になる前に、その手まで届きたいと思った。


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