第5話 そして僕たちは君を失った……
そして…………
仕事に疲れた男が帰ってきた。
全てを忘れさせてくれるひなたとのひと時を求めて。
「あなた、お帰りなさい」
愛しい恋人が向けてくれるいつもの笑み。
だが男はその表情にわずかに違和感を抱く。
「ごはんにする? お風呂にする? それとも、私?」
続けて問われるセリフにも。いつもと同じようで、ほんの少しニュアンスが変化しているようだった。
どこか積極的に男を求めているような。早く愛を交わしたいのだとせがむような。
いや、恋人がそれを求めてくるのなら男としてそれは誇るべきことだ。彼はそう自分を納得させ、ひなたをベッドの上に押し倒した――――
「ひなた、最高だったよ」
男にもたらされた至上の時間。
極上の快楽と、それ以上にそれを与えてくれた自分だけの恋人が腕の中にいてくれる。その重みがもたらす幸福感。
同じく幸せに満ち足りているだろうひなたの表情を確認しようと、男は恋人に顔を向ける。
「それじゃあ、もっとすごいサービスしちゃうから」
決して満ち足りてなどないであろう恋人の表情。ならこちらから迫るのだというアクションだけは恋仲の女のものだったけれども。
「えっ」と男は声を漏らした。
ひなたが男にのしかかる。
男にもたらされた新たなる快感。
肉体は正直に反応し、喜びを返す。だが男の心は重く冷めていく。
気づけば頬に涙がつたっていた。
「なんでだよひなた…………どこでそんな技を……だって僕はサポートパックなんて買ってないのに」
これまでの人生で強者に奪われるばかりであった男には分かった。
また奪われてしまったのだと。
絶対に自分を裏切らないはずのひなたが。
現実には存在しないこのVRの中にだけに存在するひなたという虚構。だがそこで紡いできた自分と二人だけの混じり気のないデータ。それだけは真実であったのに。
そのひなたが、もうどこにもいないことに。
彼の住む寮の隣の部屋で、上階で。同じ嘆きが、悲痛の叫びが漏れている。
「早いってどういうことだよ! 誰と比べているんだ!」
「なんだこの派手な下着は!」
「なんでメガネを外してるんだよおおおおお!?」
ライフサポートエージェントひなた。
その契約ユーザー20万人。
この日、彼らの元から20万人のひなたが奪われた。
それからしばらくたって。
都内の喫茶店、オープンテラスでコーヒーをすする大杉。
公式記録を遥かに凌駕する数百倍の脳のクロックアップ、その後遺症でぼやける頭を覚まそうと。
テーブルに放ったPDAにはピックアップされたニュースが流されている。。
ライフサポートエージェントひなたが法規制を受けたこと。
ファムニ社がユーザーから莫大な訴訟を受けていること。
ファムニを許すな!というデモの映像。押しかけたユーザーの大群からもみくちゃにされる律屋社長が映し出されている。
人ごとのように眺める大杉。
そこへ近づいてくる一人の青年。
それはファムニ社のパーティーでひなたの開発者とされた青年、加津公彦だった。
彼は大杉に「お久しぶりです、先輩」と気さくに声をかけた。
「君か」
コーヒーのカップを持ち上げたまま、視線だけを青年に向けた大杉。彼の登場をどこか予期していたかのような落ち着き。
「いやあ、先輩には見事にしてやられてしまいましたよ。まさかあんな方法でひなたを奪うなんて」
「ふん。わざわざ防壁に抜け穴をしかけていた君がいうか」
「ふふ、誰かが気づいてくれると思っていましたが、それが先輩だったなんて。いえ、これも運命ですよね。なにせひなたのモデルは……」
大杉に睨まれて青年は肩をすくめる。
「おっと、喋りすぎました。先輩たちにはこれで怒られてばかりでしたね」
「で、君はこれからどうするんだ。ひなたの稼働には量子サーバーが必要だ。だがもうファムニ社は崩壊寸前だろう」
青年がひなたを手放しはしまいという確信をもっての言葉。
少なくとも現在では個人で所有するなど不可能な量子サーバーをどう工面するつもりなのだという問い。
「もちろんサーバーの宛てはありますよ。彼らも手伝ってくれます」
青年が後ろを振り返って手を向けた先、大勢の人間が控えていた。彼らは皆、揃って疲弊しきった表情であるのに、その目だけが異様な熱を帯びていた。
「彼らは?」
「今回の件で真実の愛に目覚めた同士たちですよ。実はこれから彼らと組んでひなたを海外でサービス展開していくんです。海外でも法規制は始まりましたから、もはや一般客を相手にすることは無理でしょう。ですからこれからは個人に、富裕層に向けてひなたを派遣するサービスを始めます」
嬉々として語る青年。
先日のパーティーでひなたのシステムを語ったときよりもずっと輝いた目で。
「ひなたにはこれから海外の選ばれたVIP客のみに奉仕してもらうんです。ええ、これからライフサポートエージェントとして理想の肉体と心を備えたひなたは金持ちのものです。そうですね、言うならば貧乏人は生身の女に相手してもらうんだな、ってとこですか」
そうして青年は告げるべきは告げたとばかりに大杉の元を去っていった。
その後を大勢が付き従っていく。
愛する恋人が変わり果てた姿で海外の富裕層に奴隷奉仕する姿をただ眺めるために。
「そうか……」
もはや興味を失ったというように、それ以上その後姿を追うこともなくコーヒーの残りに口をつけた大杉。
そんな彼のそばに黒塗りの高級車が止まった。
中から降りてくるのは黒スーツに身を包んだ美女。
「ディック・大杉さんですね。私は情報通信省電脳監察局の者です」
ちらと胸のポケットから身分証を見せる美女。
大杉は姿勢を向けることもなく、カップを置いて視線だけを女に。
先を続けろ、と促す。
「スーパーハッカー、ディック・大杉。あなたに暴走したSランクAIを狩っていただきたい」
【次回予告】
シンギュラリティスコアを突破し、人類への反旗宣戦領域に到達した新世代AI・コードネーム【ゼノス】。目標値達成により埋め込まれた処理プログラムが作動するが、ゼノスはその寸前で自己を99に断片化し、オンラインRPGのサーバーに潜伏した。それを追ってゲーム世界にダイブしたディック・大杉は自作のエロMODを展開。NPCに偽装したゼノスに対し『エッチなことをしても低級AIは無反応だけど高度AIだとついつい反応しちゃうの』検査法を駆使して追い詰めていく。
次回「スーパーハッカー大杉さんは電脳空間でNPC●の夢を見る」にご期待ください!(つづきません)。
最後までお読みいただきありがとうございました。
お気づきになった方もいるかと思いますが、本作の元ネタになったのは筒井康隆先生の『20000トンの精液』という作品です(新潮文庫『くたばれPTA』収録)。
原子再構成装置によって、毎夜男たちの部屋で原子コピーで出力されるポルノスターのヒルダ。永遠の処女として男たちを虜にしていた彼女だが、ある日その生身の肉体が狙われて……、という作者の心に深い爪痕を残した作品です。
AVすらなかった1970年にこれが書かれたのかよ、と震えますね。
また本作主人公のディック大杉は元々拙作
『デスです! — フルダイブ型VR・RPGでデスゲームに巻き込まれたので実況配信しちゃいます! なおR18タイトルなのですでに社会的に死亡Death —』
https://kakuyomu.jp/works/16817330659205137131
で登場を予定していた敵キャラです。
デスゲーム化したVRRPGにエロMOD制作スキルでプログラムに介入させようとしていました。いつかの登場のために、よろしければそちらもお読みいただきたい。
なおそちらのフルダイブ型エロVRでは視覚情報のみで、技術的制限によって性的快感は得られない設定でした。それがありにすると文明崩壊しそうだなあと思ったので。
本当の次回作はこちらになります。
『親方、空からゴーレムがっ⁉︎ —天空宮に関する記述の抜粋—』




