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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第五章 一縷の曙光
20/36

一縷の曙光(1/6)

 ムシュカが神様としてヴィナに在りし日を思い起こさせる加護を授けた日から、二月が経った。


 結果として彼は、ようやく業火と戦わなくて良い環境を手に入れたらしい。

「大丈夫です、次の職場はブラックじゃないんで!」と心底嬉しそうに話していた姿から察するに、彼がずっと相手をしていた災いは想像を絶する過酷さを伴っていたようだ。


 確かに黒い業火など我が世界では聞いたことが無いなと、今日もムシュカは寝台の上に身体を横たえ、とろりと肌に絡むブランケットと戯れる。

 窓から差し込む月明かりが東雲の織物をぼんやりと浮かび上がらせる様は、いつ見ても幻想的で……一体どこからが夢だか分からなくなってしまいそうだ。


「ん……ふふっ…………」


 寝返りをすれば、肌を滑る感覚にふっと柔らかな吐息が漏れる。

 この織物は実に触り心地が良いのだが、存分に心地よさを堪能するまでに夢の中へと誘われてしまうのが玉に瑕だ。

 ――ほら、こうやって首筋に触れる滑らかさにほうとため息をついている間にも……意識はミルク色の霧の中へとあっさり沈んでいって。


「……今日はどちらが……先に辿り着くであろうな、ヴィナ」


 薄甘い眠気が、逢瀬を心待ちにするムシュカの身体を包み込む。

 意識が途切れる瞬間彼の顔に浮かんだのは、幸福に満ちた、けれど……一欠片の物足りなさを含んだ笑みだった。



 ◇◇◇



 あれ以来、二人は夢の世界にいる時間のほぼ全てを共に過ごすようになった。

 一人静かに待つ時間も嫌いではなかったが、やはり少しでも長く側にいられるのは格別だなと、いつものように見えない尻尾を全力で振っている新太を愛でながらムシュカはテーブルに手をかざす。


 ……さて、今日の好物は「彼」を呼び覚ましてくれるだろうかと、小さな祈りを込めて。


「神様は今日も輝いてますね……はぁ、眼福……」

「ふふ、お主も変わらず元気そうで何よりだぞ、ヴィナ。ところで眼福なのは、私よりも目の前のご飯ではないのか?」

「そ、そんなことはっ!! ……いやぁ相変わらず美味しそうだなぁ……おっと涎が」

「全く、説得力の欠片もないではないか」


 テーブルに広げられた料理を目にするなり、新太の瞳は「ごちそうばんざい!」と叫ぶ声が聞こえそうなほどキラキラと輝き始めた。

 ……いや、相変わらずこれはギラギラと言う方が正しいか。

 ただ、最初の頃のような切羽詰まった空気は今は微塵も感じられない。新太の肌艶は健康そのもので、何より現実の世界でも純粋に食べることを楽しんでいるのが伝わってきて……ようやくあの頃のヴィナに戻れたのだなと、ムシュカの感慨もひとしおである。


「しかしお主、今は夢の外でもたらふく食べているのであろう?」

「はい! 昼休みも1時間きっちりありますし、社食でお腹いっぱい食べてますよ! いやぁ、3食ちゃんと時間を取って食べられるって素晴らしい……あ、でも夢の中は別腹ですから!!」

「確かに……音も消えぬしな」

「あはは、それは突っ込まない方向でお願いしたいなと……」


 新太がこの空間に現れた途端に鳴り響く轟音――腹の音は相変わらずだ。

 地響きまではしなくなったから、確かに現実の世界で食欲は随分満たされているのだろう。だが、それでも催促するように鳴り続ける音に、ムシュカはいつしか安心感を覚えるようになってきていた。


 ――ああ、例え現実で腹が満たされていても、きっとこの音が鳴り止まない限りはヴィナと会えるのだろうと。


(…………?)


 ほっとした自分に少しだけ引っかかりを覚えながらも、ヴィナは「ほら、たんと食え」と今日の料理を差し出す。

 皿に盛られたのは大量の串焼き肉だ。


「おー焼き鳥……と、牛串? 不思議な香りがするけど……」


 待ってましたと言わんばかりに新太の手が串をつまみ、くんくんと鼻を鳴らす。

 鼻腔を満たす香りはほんのり甘く、そして異国情緒溢れるスパイスで彩られている。どこかカレーに似た、けれどももっと鮮烈で透明な香りをどうやら胃はお気に召したらしい、空間に響き渡る音がひときわ大きくなった。


「カレー串焼き肉って感じかな……神様、これは?」

「ああ、それがソースだな。肉にたっぷり絡めると美味い」


 手前の小ぶりな器には、赤みを帯びたソースが用意されていた。

 ねっとりしたソースはこれまたスパイスがふんだんに使われ、更につぶつぶした具がたくさん入っている。


(……ちょっと辛そうかな)


 今まで神様が振る舞ってくれた料理とは一変して、明らかに胃を試されそうな内容だ。

 だが、以前もつ煮込みを見たときのような拒否感は生じない。むしろ食欲をそそられる香りに新太は自分の回復を感じつつ、大口を開けて肉にかぶりついた。


「んっ!? え、甘っ! いや辛っ!?」


 口の中で弾けたのは、食べ慣れた醤油の甘辛さとは質が異なる、未知の世界だ。

 南国を思わせるココナッツの甘味の後ろから、スパイスの辛さがどっと押し寄せてくる。けれど辛さの奥には不思議なうまみが潜んでいて、口の中が焼ける前に優しい甘さとソースの……これはピーナッツだろうか、香ばしさが舌に絡みついた。


「うっわ、辛い! でも甘くて美味しい……凄い、脳がバグる美味しさだ……」


 もう一本、もう一本と新太の手が止まらない。

 どうやら相当ソースがお気に召したのだろう、たっぷりと絡めては「うひゃぁ!」と辛さに悲鳴を上げ、水を飲みながら汗びっしょりで串を丸裸にしていった。


「この辛さは人生初めてですよ、神様!! 俺、辛いものはあまり得意じゃないのに……はぁっ、んまっ……これはいくらでも食べられちゃいますね……!」

「……そうか、それなら良かった。辛いのが苦手ならジュースはどうだ? 絞りたての果汁だぞ」

「あ、頂きます!!」


 箸休めとして共に盛られた果実や餅米を囓りながら「やっぱり神様のご飯は、何だって美味しい」と喜ぶ新太の姿をいつもと変わらぬ微笑みを浮かべて眺めながら、しかしムシュカは小さな落胆を感じていた。

 それは、王太子としては我が儘が過ぎるのかも知れない。けれど……自分だってたまには人として報われることを許されたいと、どこかで小さな自分が囁いているようだ。


(――辛い、か)


 脳裏に浮かぶのは、あの最後の晩餐となった屋台で激辛米麺を幸せそうに啜っていた、愛しい人の姿。

 ヴィナはその勇猛さのみならず食いしん坊でも名を轟かせていて、好き嫌いという概念自体辞書には存在しなかったが、中でも殊更激辛料理を好む人であった。


 あの頃の彼は事あるごとに「ただ辛いだけではない、美味さを引き立てる辛さこそが至高なのです!」と何度も熱弁していた――

 皿から漂う香りは、ムシュカにそんな思い出と、どうしようもない切なさを運んでくる。


 そう、この程度の辛さで騒ぐほど、彼は辛みに対して初心ではなかったのだ――


(記憶が戻れば、辛いのも得意になるのか? ……いやむしろ、ここはショック療法をやってみるのもありか……)


 確かにかつて愛した人は目の前にいるのに、何故か少しだけ手が届かなくて。

 いや、まだ焦るときではないとムシュカは己に言い聞かせながら、新太に絞りたての果汁を提供するのである。



 ◇◇◇



 新太の肌艶と現実世界での話から彼が完全に復調したと判断して以来、ムシュカは饗する料理の内容をがらりと変化させた。

 つまり――養生を念頭に置いた食事から、ヴィナの好みの料理へ。その食いしん坊な魂の底に眠る記憶を揺さぶるような思い出の味を、彼は毎夜小さな期待と共に愛しい人の前にそっと差し出している。


 もちろん、いくらかつての好物を食べたとは言え、そう易々と記憶が戻るとは思っていない。

 だが毎夜の逢瀬で地道に味わい続ければ、きっといつかはあの頃のヴィナが戻ってくる――

 何の根拠もない仮説を信じて、ムシュカはただひたすら愛しい人に食事を振る舞い、共に語り、笑い続ける。


 けれど、いくら頭では分かっていたって……焦りはいつだって根底にそっと漂い続けているのだ。


(逢いたい)


 今日も新太は満足そうに「はぁ、幸せ……」とため息をつき、ぽこんと膨れたお腹をさすりながらうっとりした瞳で自分を見上げている。

 あれほど望んだスキンシップだって……いやまぁ、相変わらず膝枕が限度ではあるけど、いそいそとやってくるようになった。

 それは実に嬉しい。彼の笑顔はあの頃と同じでムシュカの心に温かな灯りを灯し、真剣な顔つきはその背筋にゾクッとするような痺れをもたらしてくれるから。


 なのに


(ヴィナに、逢いたい)


 心はずっと、叫んでいる。

 こんなに毎夜、四刻もの長きにわたり共に過ごしているというのに、かすかな、けれど切ない慟哭が止む気配は見当たらなくて。


(もしかしたら、私はどこかで不安を感じているのだろうか。例えば……元気になったヴィナがもうここに来なくなるのではないか、とか)


 ――本当の気持ちから目を背けたままでの理由探しは、ただ深みにはまるだけで。

 結局自分に出来ることは「ヴィナ」の記憶が戻ることを願いながら、料理を用意することだけなのだろうと、ムシュカはその日を夢見ながら次の献立に思いを巡らせるのである。


 一方


「……私は、何を望んでいるのだろうな」


 無意識であったのだろう、ぽつりと漏れた言葉が耳に届き、神様の太ももでうたた寝をしていた新太はそっと薄目を開ける。

 ぼんやりした視界に映る神様は、ここ最近……極稀にだけど、どこか寂しそうな顔を浮かべることがあって、実はちょっとだけ気にかかっているのだ。


(まぁ、神様だって心配事の一つや二つはあるのかもな……)


 新太は知っている。

 神様は自分が元気で美味しそうにご飯を食べる姿を、殊更に喜ぶことを。

 推しに料理を振る舞われて、しかもそれを尊び堪能するだけで彼はあの麗しい顔に笑みを浮かべてくれるのだ。推す側としては最高どころか、むしろこの程度の推し方でいいのかちょっと心配になるレベルである。


 だから


(……うん、俺がいっぱい食べれば、そして幸せになれば、きっと神様の心配も減るに違いない!)


 新太はそっと、更なる食いしん坊に磨きをかけることを誓い――彼らの思いは通じ合っていながら、どこかすれ違いを重ねていく。



 ◇◇◇



「今日もお疲れ様でした!」

「乾杯!!」


 雰囲気のある照明がぼんやりと当たりを照らす中、チン、とガラスの音を立てたのは仕事帰りのサラリーマン一行だ。

 陽も落ちていないのに酒が飲めるだなんて……いやそもそも飲み会なんて一体いつ振りだろうかと、新太は密かに胸をじんと震わせながら一気にビールを飲み干す。

 充実した仕事の後の炭酸とほのかな苦みは、それだけで今日という穏やかな日を労ってくれているかのようだ。


「毘奈さん、業務には大分慣れました?」

「あ、はい。皆さんとても親切で……誰かが教えてくれるって、素晴らしい文化だなって」

「そ、そこから!?」

「あー……毘奈さんの前職って、この間報道されてた企業ですよね? ……あの、もしかしなくてもかなりヤバい現場だったんですか?」

「いやぁ、正直何がヤバくないかを探す方が難しいですね! 少なくともお昼休憩が1時間もあったり、明るいうちに職場を出たことは一度も……あ、夜明けならありますけど」

「う、うん。毘奈君いっぱい食べてね。今日はいくら頼んでもいいからさ!」


「転職してから、筋肉も一回り大きくなったんです!」と突き出しを頬張りながら力こぶを作る新太に、同僚達は「むしろその環境で、良く筋肉を維持出来てましたね……」と同情の視線を向けながら、新太の方にそっと料理の載った大皿を寄せる。

 そんな小さな気遣いに(同じエンジニアとは思えない人たちだ……)とこれまた口にすれば皆から憐れまれそうな感想を抱きつつ、新太は山盛りの唐揚げに箸を伸ばした。


 新太が転職した先は、中堅IT企業の社内セキュリティエンジニアポジションだった。

 あの過酷な環境で何とか生き延びて身に付けたスキルと、退職後夢の中でも勉強し続けたことで無事取得出来た資格をひっさげ、顔を四角くして面談に望んだ新太を一発で採用してくれた人事部長は


「いやスキルセットも十分だし、真面目な好青年だし、何よりエンジニアらしからぬ体格が頼もしそうだったから!」


 と、まさかの筋肉採用だったことを後に明かしている。


 郊外のオフィスは、自宅から電車で3駅。通勤時間も大幅に短縮され残業も月に20時間以内、それでいて年収は1.5倍とまさに絵に描いたような転職を遂げた新太は、早速その食べっぷりの良さを見初められ、前職が前職だったのもあってか何かと理由をつけてはこうやって飲み会に連れて行かれるのである。


「あ、これ……美味しい」

「ふふ、毘奈君エスニック料理は未体験って言ってただろう? ここは珍しい料理が出てくるのに、何食べてもハズレがないんだよ」

「へぇ、確かにこっちの唐揚げも、チャーハン? もいけますね! ちょっとピリ辛で」


 得意気に語る上司に相槌を打ちつつ、新太が手を伸ばしたのは目玉焼きの載ったチャーハンだ。

 口に含むと香る魚醤とパクチーの香り、そしてピリッと舌を刺激する唐辛子が混ざって、炒め物なのに不思議としつこさを感じさせない。

 半熟の目玉焼きを崩して一緒に食べれば、これまた優しい味変に心がほっと満たされていく……


(神様の料理に、似てるかも)


 もしかしたら夢の中の推しは、このような料理を出す異国を起源とした神様なのかも知れない。思い返せばあの衣装も、どこか南国を思わせる煌びやかさだったものなとどこか納得しつつ、新太は豪快に米を口に運んでいく。

 そこにかつての無機質さや、寂しさはない。心に余裕を持つ人たちとの食事は、どこまでも温かくて楽しくて、料理の味まで引き上げてくれるようだ。


(……でも)


 美味しくて、幸せで。

 なのに自分は、いつからこんなに欲深くなってしまったのだろう。

 数ヶ月前には想像すら出来なかった境遇を手に入れてなお、新太の心に去来するのは――


「部長、今日のご飯も美味しかったです!」

「そうかいそうかい、僕も毘奈君の食べっぷりを堪能させて貰ったよ! いや、歳が行くと自分じゃそんなにたくさん食べられないからねぇ」

「もうー、部長! 毘奈さんの餌付けに嵌まりすぎ!」


 笑顔で解散して、ほろ酔いで帰宅して、新太はしんとしたリビングの灯りを付ける。

 光が満ちた途端その目に飛び込んでくるのは……この世で一番美しい夜明けを模した色。そして脳裏に浮かぶのは、夜よりも深い髪と夏の太陽のように輝く瞳を兼ね備えた、自分だけの推し神様。


「……なーんか物足りないんだよなぁ、神様のご飯じゃないと」


 ネクタイを外す新太の口から、ぽろりと本音が溢れる。

 どんな美食も夢の中で味わう料理みたく、まるで魂が震えるような歓喜と恍惚は与えてくれない。


 ……いいや、それは味のせいなんかじゃない。

 きっと神様が差し出してくれて、隣にいてくれるだけで、今の自分はコンビニの冷たいおかかにぎりすら至福と感じると断言出来るから。


「推しって……恋なのかな……二次元に恋? ああでも、神様は二次元じゃないんだよなぁ……夢にしかいないけどさ……」


 熱いシャワーで温かな時間を洗い流し、歯を磨いて穏やかな味を消し去る。

 全ては神様の料理を存分に堪能し、あの麗しい笑顔を見るために……そんな信仰めいた思いは、熱狂的な推しなのか、はたまた――


「まぁ、どっちでもいっか! 俺が神様最推し生涯ラブなのは変わらないものな!」


 筋肉で出来た脳みそに複雑な思考は無理だと、新太は頬を緩めながらベッドへとダイブする。

 大柄な新太を受け止めたベッドは、実に不機嫌そうな音を立てるようになった。次の給料が入ったらもう少し丈夫で大きめのベッドを買おうと、新太は枕に顔を埋めながら決意する。

 ――このホームセンターで適当に買った枕も、枕カバーにふさわしい品に変えたいなと思いながら。


「ふふ……今日も神様の美味しいご飯が食べられますように……そして……」


 今日も、明日も、愛しい神様が笑っていてくれますように――


 それは魂に刻まれた想いか、それとも新たに芽吹いた感情か。

 すぐさま寝息を立て始める神様の愛し子が秘めた、どこまでも一途な想いの源を知るのは、この不思議な寝具ばかりである。

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