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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第五章 一縷の曙光
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一縷の曙光(2/6)

「無理を言って申し訳ありませんな、殿下。どうしても急ぎ耳に入れて頂かねばならぬ事態でして」

「とんでもない。元々先生に依頼をしたのはこちらなのです、どうかお気遣いなく」


 国中に咲き乱れる花がその鮮やかな花びらを風に舞わせ始めた頃、応接間を訪れたパニニ老師の様子を一目見たムシュカに緊張が走る。

 それほどかの賢人が纏う空気は切羽詰まっていて……間違いなく悪い知らせであろうと内心覚悟を決めつつ、ムシュカは茶をそっと口に含んだ。


 今日の茶は東国のものだろう、淡い緑色とほのかな渋みが幾分彼の心を冷静にしてくれる。


「先般依頼を受けた寝具の、呪いを解く条件が分かりましてな」

「……かなり困難な条件なのですか」

「うむ、容易と言えば容易、だが困難と言えば困難……とでも言えばよろしいですかのう……ただ、解呪自体は実にシンプルなのです」


 国中にある文献をかき集め、更には東国にまで赴き情報を探し集めたパニニが辿り着いた結論は、誤解を恐れず言うなら拍子抜けと言う言葉が最も適切だろう。

 何せ過去に東国で同様の呪いを帯びた寝具は、己が見初めた者の願いが完全に成就し、更に新たな願いを叶えるにふさわしい者を見つけてしまえば、あっさりと離れていったというのだから。


 この国においては、寝具に見初められた者の命が尽きるまで何をしてもその者から離すことが出来なかった、だからこそ呪いの寝具としてますます恐れられていた旨の記述が残っている。

 まさに東国の例と一致しますなと、パニニは茶菓子を口に放り込み「東国の菓子はちと甘味が足りませぬのう」と少し不満げにぼやいた。

 どうやらご老輩には、もっと分かりやすい甘さの方が喜ばれるようだ。ムシュカは頭の中のメモに記録しつつ「なるほど……であれば、それほど問題にはならないかもしれません」とすこし安堵した笑顔を見せる。


「少なくとも私の願いは叶っております。ならば、後はこの織物が新たな主人を見つければ呪いは解ける。万が一見つからずとも、私が夢の中に閉じ込められる危険はないでしょう。ご心配をおかけしました、先生」

「いやいや、むしろ解呪条件はそれほど問題ではありません。もっと……きな臭い動きがありましてな、今日伺ったのはそちらの報告が主ですから」


 追加で出された甘いクッキーに舌鼓を打ちながら、パニニは本題に移ろうとする。

 だが……いつもと変わらぬ笑顔でこちらを見つめるムシュカの表情に、どこか違和感を感じて。


(……気のせいであれば良いのだが)


 念のために確認した方が良いかも知れない、そう感じたのは人生経験の成せる業か。

 パニニは「ときに」と何気なくムシュカに尋ね


「殿下はこの織物に、何を望まれましたのかな? 差し支えなければ詳しく聞かせて頂きたいと」

「ええ、まあ先生がお察しの通りだとは思うのですが」


 少し頬を染め、照れくさそうに笑いながら返された返答に


「どんな形であってもいいからヴィナと逢いたい、あの笑顔にもう一度触れて、言葉を交わして……共に食卓を囲みたいと願ったのです」

「!! …………殿下、それは…………それは、最悪の事態ではないですか!」


 ――己の胸騒ぎが間違いでなかったことを、絶望と共に確信するのである。



 ◇◇◇



「あ、あのっ、先生? 何か問題が……」

「問題どころではありませぬ……! いえ、今更殿下をお諫めしたところでどうにもならぬのは分かっておるのですが……ああ、あの野盗はなんというものを世に放ってしまったのだ!」


 小柄な躯体から信じられない程の嘆きを上げて、パニニは天を仰ぐ。

 その顔は蝋のように白く血の気を失い、ただ事ではない気配を察したムシュカは慌てて扉の向こうを確認した。

 ……人払いは老師の来訪段階でしておいた。盗み聞きをしている不届き者も見当たらなさそうだ。


 ほっと胸をなで下ろしたムシュカは急須を手に取り、無言のままパニニの湯飲みに温かい茶を注ぐ。

 ――繊細な香気で心を落ち着けるには少々事は大きすぎるようだが、何も無いよりはましだろう。


「先生……お聞かせ願えますか。最悪の事態とは一体……私は、何かを間違えたのでしょうか?」

「…………酷な話になりますぞ」


 少しトーンの低い声に、ゴクリとムシュカの喉が鳴る。

 ふぅ、と大息をついたパニニは「願い方がまずかったのです」と静かに口を開いた。


「殿下のお気持ちは、このパニニも良く分かりまする。最愛の者を失った失意の最中、夢で願いを叶える織物などを手に入れれば、怪しかろうと手を出してしまうのは自然な道理、罪と責められるものではありますまい。ですが……殿下は『逢いたい』と願ってしまったのです。既にこの世を去った人の夢を見たい、ではなく、決して逢えない、逢えてはいけない人との再会を!」

「……しかし、実際私はヴィナと今でも毎夜夢で逢っております。確かに異なる世界に生まれ変わっていますから、少々あの頃とは異なる点もありますが」

「そう、そこなのです。殿下が毎夜夢で出会うその青年は、ヴィナ副団長そのものではない」

「そのものでは、ない……?」

「彼は例え魂が同じであれど、あくまでも既に世界を渡り……もしかすれば時すら渡り、新たなる肉体と心を得てどこかの空の下に生きる……残念ですが、いわば別人なのです」

「…………!!」


 カチャン、と陶器の触れる音が、遠くで聞こえる。


(…………今、先生は……何と…………?)


 ――別人。

 その言葉が耳に流し込まれ、脳で理解を得た瞬間、ムシュカの世界が……色を失った。


「…………そん、な……」


 ムシュカの震える手を見留め、パニニはぐっと唇を噛みしめる。

 そこに浮かぶのは、この若く才気溢れる青年をお守り出来なかった悔しさと、これより先、非情な現実と向き合わなければならない彼への憐憫だ。


 せめてこの織物を使う前に自分に一言相談して下されば――パニニの心はそんな意味のない後悔に襲われる。

 けれども若き王太子を諫めるのも己の務めと、老師はぐっとムシュカを見据えた。


「どれだけ殿下が願っても、この願いが叶うことはありません。織物は『どんな形でも良い』という殿下の切なる祈りを叶えようと、よりによって異世界に転生した魂を引っ張ってきた――けれど一度肉の器を失い新たな世界に旅立った以上、それはもう『形が違えどヴィナである』とは言えない。……形も異なる、ただ魂だけがあの頃の記憶を持つ、誰かなのです」

「ですがっ! 私は確かに彼に逢っているんです、先生!! あの頃と変わらない体躯と笑顔を持ちどこまでも食いしん坊なヴィナと……! 先生の言い草では、まるで彼は赤の他人のようではありませんか!」

「…………殿下。お辛いでしょうが今一度、己の心を振り返って見なされ。……殿下が毎夜夢を共にしていた青年を、本当にあなた様は『在りし日の愛しい人』と躊躇わず断言出来ますかな?」

「っ……!!」


(信じたくない)


 どうかそこには触れてくれるなと、傷を拡げられた心が肉の器に叫びを響かせる。

 全てを否定するには、かすかに感じ続けていた違和感が、そして静かな意識の海から時折泡が弾けるように浮かび上がる言葉が障害となって。


『逢いたい』


 けれども尊敬する師の言葉を受け入れるには……ムシュカの愛はどこまでも深く、そして孤独は果てしなく、絶望は今も――そう、あの喪失の日から変わらぬまま、現実に横たわったままだったのである。


(認めたく、ない……けれど…………ああ、ヴィナ……私はどうすれば……!!)


 言葉もなく光を失った瞳から涙をはらはらと零すムシュカに、パニニはとどめとばかりに残酷な事実を告げるのであった。


「故に殿下。殿下の心からの望みが……織物への祈りが変わる奇跡でもない限り、殿下は生涯この寝具に捕らわれ……呪われた王太子のままなのです」



 ◇◇◇



「……すみませんでした、先生。取り乱してしまって……」

「いや……殿下、お一人になられたらちゃんと泣きなされよ。そうで無ければ、あなた様はまたあの頃の……ヴィナ副団長を失った暗闇の中に戻られてしまう」

「…………お気遣い、感謝します」


 それからどのくらいの時間が経っただろうか。

 既に外はとっぷりと日が暮れて、蝋燭の明かりだけが煌々と応接間を照らしている。

 外から吹く風は少しだけ湿り気を帯びていて……ああ、今日は珍しく夜にスコールが来るらしい。


 パニニもその気配に気付いたのだろう「急がないと帰れなくなりそうですな」と席を立ち上がる。


「本題の方はまた、出直した方がよろしいですな。まずは殿下のお心が整ってから」

「……いえ、訊かせて下さい先生。多分……整うなんて、いつになるか分かりませんから……」

「…………それもそうですな」


 帰り支度をしながら、パニニは「我が息子のことはご存じですな?」と目を真っ赤に泣きはらし憔悴した様子のムシュカに尋ねる。

「ええ、弟サリムの教育係をされている……若パニニ師ですよね」とムシュカが意図をつかめず首を傾げれば、老師は声を潜め彼の耳元で囁いた。


「……先日、息子のところに調査依頼が来たのです。依頼内容は、王太子が愛用する寝具の詳細について。そして……依頼主はカルニア公の御曹司、ダルシャン殿」

「!!」

「親馬鹿かも知れませんが、我が息子は実に優秀な学者です。それに宰相派は件の事件で捉えた野盗の身柄を預かっている――真実に辿り着くのは時間の問題でしょう」

「つまり、呪いのことも、解呪条件もいずれ知るだろうと」

「……幸いにも織物にかけた呪いを知るのは、私だけです。そして私は殿下の秘密を決して漏らしはしない……ですが、身辺には十分お気を付けなされ」


 宰相家は代々、深謀遠慮に長けた者が家を大きくしてきた過去がある。

 今回の一件も彼らにかかれば、権力闘争の道具として使われるであろう、その時王太子であるムシュカに火の粉が飛んでこない保障はない――


「何かあれば、いつでも馳せ参じますからな」と念押しして部屋を去るパニニを見送り、ムシュカは窓の外を眺める。

 分厚い雲に覆われた外はいつにも増して不気味な黒さを醸しだし、ひやりとした風は雨の到来を告げていて……


「……いや、もう遅いであろうな」


 静かに呟くムシュカの言葉をどこか肯定するように、やがて激しい雨音を響かせるのであった。

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