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窓から入る風に身を任せて消え入りそうな声で呟いた。
独り言なのか返事を期待しているのか分からない感情のない声だ。
「こんなにも簡単に婚約破棄ができてしまうものなのですね」
「イヴェンヌ嬢?」
「王国に居たときは婚約破棄など話題にもなりませんでしたわ」
どれだけ冷遇されていてもルシャエントが蔑ろにしていても誰も問題にしなかった。
ドラノラーマはイヴェンヌが望むならいくらでも動いただろうが本人に気概がなければ難しい。
王国ではイヴェンヌは諦めることを優先していた。
「わたくしがルシャエント様からの寵愛を受けていないと周りに伝えても誰もが過ぎた望みだと嘲笑しましたわ」
「そうか」
「物語のお姫様のように王子様と結婚できるのだから不満を言うなと言われたこともございましたわね」
「・・・・・・」
「王子様との結婚を夢見ても叶うことのない令嬢たちからすればお前の立場は喉から手が出るほど欲しいものだとも」
「それは酷いな」
「わたくし望んだことなど一度もありませんのに」
お茶を飲んで気を落ち着かせる。
望まれるまま王妃の教育を受けて、望まれるまま王城に監禁されてあげたというのに、それは全てイヴェンヌの我が儘だと解釈された。
帝国側の者として王国一行を出迎えたときになぜ王国にこだわっていたのか分からなくなった。
婚約発表パーティでの修羅場を再現されていく様を見て心が冷めていくことを実感した。
帝国の正装に身を包み何か言われるのではないかと思っていたが彼らの視線は一度たりとも向かなかった。
イヴェンヌという姿形には誰も興味がなかったということを知らされた。
「王や第一王子から何か言われると思っておりました。王妃もなかなか戻らないことに対して追及すると思っていましたわ」
「そうか」
「一度もわたくしのことをご覧にならなかった。わたくしに気を向けずとも第一王子と結婚をすると信じて疑わないようでしたわね」
本当に自分を必要としているのか不思議だった。
必要とはしているのは分かったが、それは書類の中の自分で生きている者ではなかった。
「イヴェンヌ嬢への仕打ちに一番腹を立てていたのはマセフィーヌ叔母上だったからな」
「そうなのですか?」
「あぁ。王国の者が一度でもイヴェンヌ嬢に意識を向けないように嬉々として相手をしていたからな」
イヴェンヌが王国の衣装を着ていれば気づいたであろうが気づかないように帝国の衣装を着せた。
ろくに顔を合わせて来なかった王と王妃が着飾ったイヴェンヌを見分けられるとも思っていなかった。
「明日には王国一行は出立する。気にする必要はないぞ」
「そうですわね」
「一度、マセフィーヌ叔母上と話をしてみると良い。お茶会はまだだっただろう」
「そうですわね」
返事はするものの色々と深く考えてヒュードリックの言葉を半分聞き流している。
物心つく前から王国に囚われてそれ以外の生き方を知らない。
王国のためになることだけを考えていれば良かった生活から自分のためになることを考えて生活するのは難しかった。
公爵家令嬢という生き方もあったが帝国にいる以上はその生き方も難しい。
かと言って王国に帰る気はまったく浮かんで来なかった。
ヒュードリック自身もあの謁見の間の出来事については一部始終見ていたが腸が煮えくり返りそうな思いをした。
マセフィーヌから王国からイヴェンヌをさり気無く隠せとだけ言われた命令がなければ話に乱入していたかもしれない。
「ヒュードリック様」
「どうした?」
「わたくしは王国で第一王子に嫁いでお飾りの王妃になって一生を終えるものだと思っていました」
「あぁ」
「婚約破棄と言うのはルシャエント様にとっては間違いですね。王妃の座に真に愛する令嬢を迎えることを望まれるかもしれないとは思っていました。それでもルシャエント様の王位継承順位からすれば公爵家令嬢であるわたくしとの結婚は必須というもの。だから王と王妃は何があっても結婚させるだろうと疑ってもいませんでした」
婚約破棄が簡単になされたことに夢心地なのだろう。
今の状況を整理したいのが分かった。
何も言わずに相槌だけを入れる。




