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急にウィシャマルク王国行きが決まり馬車の中のイヴェンヌは深いため息をついた。
「お嬢様?」
「わたくしは魅力がなかったのかしら?」
「そんなことはありません。お嬢様はお美しく可憐でいらっしゃいます。今回の留学のことは急ではありましたが、仕方のないことですので、ご安心なさってください」
帝国にルシャエントとベラが来ることはイヴェンヌには伏せられている。
マリーには伝えられているが、イヴェンヌには黙っているようにと厳命されていた。
マリーの主人はイヴェンヌであるから本当ならそんな厳命も無視してもいいのだが、わざわざイヴェンヌの耳に入れたい話ではないため黙っている。
「マセフィーヌ王妃様がぜひともと望まれての留学ですもの。きっと楽しい学校生活になるのではないですか?」
「そうね。せっかく学びの機会を与えていただいたのだから勉学に励まないといけないわね」
「そうですとも」
イヴェンヌの気持ちが前向きになったのはいいが、少しだけ義務感が滲んでいることに一抹の不安を持つマリーだった。
学校というものを知らないイヴェンヌは不安と楽しみをない交ぜにした表情で窓の景色を見ている。
さすがにマリーも一緒に机を並べて学ぶということはできないが、マナーに厳しいというマセフィーヌが招待したのだから下手なことにはならないだろう。
「ねぇマリー」
「何でしょう、お嬢様」
「わたくしはヒュードリック様を好きなのかしら?」
答えにくい質問だった。
周りから見ればイヴェンヌがヒュードリックを好いているのは明らかだったが、本人の心がまだついてきていなかった。
「お嬢様?」
「好きなのかしら?」
「ヒュードリック様のことを考えたら、どんな感じですか?」
「そうね。何をしているのかしら?とは思うわね」
一歩前進というところだ。
ルシャエントのことは何をしていても気にもならなかった。
このまま恋を自覚してくれたらいいのだが、周りが言っても流されるだけになるから詳しくは言えない。
「そうですね。どんなことをされていると思いますか?」
「皇帝陛下について政務を学んでいらっしゃるかしら?それとも訓練かしら?怪我をされないといいけど」
「そうですね」
「あぁロックベルに言葉を教えているかしら?」
今いない人たちのことへ思いを馳せるイヴェンヌは本当に楽しそうだった。
こんな日が続けばいいとマリーは切に願った。
だが、ヒュードリックが急いでイヴェンヌを帝国から出したことで、このままでは終わらない気がしていた。
マリーの予感は当たっており、ルシャエントは帝国で留学生という身分を忘れて好き放題する。
それはガンディアルニア帝国だけでなく、イヴェンヌの留学先のウィシャマルク王国にも及んだ。
子どもの戯言だと捨て置くには大きすぎた。
「それよりもマリー」
「どうしましたか?お嬢様」
「ヒュードリック様へのお土産は何がいいかしら?」
ウィシャマルク王国への留学はイヴェンヌにとって考えることがたくさんでルシャエントとの婚約破棄を忘れるには丁度いいようだった。
もう一年近く前の話ではあるが、そう簡単に忘れられるものではない。
最初は落ち込むような感じだったが、今では、やや恨みが勝っているようだ。
「たしかウィシャマルク王国はお酒を使ったケーキが名物でしたわよね」
「日持ちするものですから、いろいろ買い求めても大丈夫なのではありませんか?」
「そうね」
馬車は順調に進み、ウィシャマルク王国の王城に入った。
イヴェンヌは賓客扱いだ。
その世話役のマリーも同様だ。
イヴェンヌを迎えに来たのはマセフィーヌから指名された令嬢だ。
「わたくしは、スーザン=ビシューでございます。イヴェンヌ様の留学中のお世話をさせていただきます」
完璧な淑女の挨拶で、王妃となるための教育をドラノラーマから受けたイヴェンヌですら気後れするくらいのものだった。
「よろしくお願いします。スーザン様。わたくしはイヴェンヌ=カレンデュラでございます」
「学校では、わたくし以外にもあと二人の令嬢が側に参ります。何なりとお申し付けくださいませ」




