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産まれた男の子はシャルと名付けられる。
ただベラが子育てというものを放棄してしまったため教会の孤児院に預けられた。
それでも最初は乳母が付けられたが、子どもがベラを見るたびに泣き、泣いている姿を見たベラが癇癪を起こすということが繰り返された。
それは、シャルは王家の男子ではあるため継承権は持っているが、平民との子ということで実際に王位につく可能性は低いと判断された結果だ。
産まれてすぐはベラもシャルを可愛がっていたため、順調かと思ったが夜泣きが始まると、途端に興味を失った。
「シャルはどうしている?」
「元気にお過ごしとのことです」
ルシャエントは数回しか見ていない我が子のことを気にかけてはいるが、愛情あってのことではなく一種の義務のような感じだった。
その証拠に顔を見ていないことに疑問を持ってはいなかった。
腕の怪我だけだったから歩くことに支障はなかったが、療養というと寝て治すという王妃からの誤った教育のため、寝たきりで過ごした。
完全に体力の落ちているルシャエントは、馬車に乗るための体力づくりに王城を歩き回っていた。
登城している貴族とも会うが、相変わらず顔を覚えていなかった。
「ルシャエント様、ご機嫌麗しく思います」
「誰だ?」
「カレンデュラ公爵家にございます」
「あぁイヴェンヌの父親か」
一年近く前に婚約破棄を言い渡したイヴェンヌの父親だということに思い至った。
ルシャエントにとって婚約破棄を言い渡したことへの罪悪感はなく、一家臣という認識でしかない。
「このたび退位の挨拶をさせていただく登城した次第でございます。ルシャエント様も無事ご快癒されたこと心よりお慶び申し上げます」
「剣が握れぬ腕が何が快癒か。娘が娘なら父親も父親だな。婚約破棄できて清々した。二度と顔を見せるな」
「かしこまりました」
嫌味として言ったわけではなかった。
傷の酷さから剣が握れないことは分かっている。
それでも腕を切り落とさなくても良かったのだから快癒と言っても差し支えはない。
「退位と言ったな」
「はい、申し上げました」
「もっと早くに返上すべきではないか?お前の娘は王家に恥をかかせたのだから」
「返上ではなく、退位でございます。甥に譲渡をしておりますので、カレンデュラ公爵家は存命でございます」
当主が生きているうちに次代に爵位を渡すために、退位制度と譲渡制度がある。
多くは親から子へ受け継がれるが、譲渡先は必ずしも子でなければいけないものではない。
まだ国として歴史が浅く、内乱も多かった時代は行きずりの平民に爵位を譲渡したという記録もある。
今回は甥に譲渡し、領地のことを引き継いでいたために時間がかかった。
「詫びのひとつとして領地のひとつやふたつくらい献上するのが忠義者としての務めであろう。まぁ今更言っても詮無きことだな」
あれだけのことをしておいてルシャエントはカレンデュラ家がまだ王家に忠義を持っていることに疑いすらしていない。
これ以上、顔を合わせていても仕方ないと王城を後にした。
「・・・待たせてしまったな」
「いえいえ、叔父上のためですから」
「急に頼むことになり姉上にも申し訳ないことをしたな」
馬車に乗ると、最後の仕事は終わったと溜め息を吐いた。
同乗しているのは、カレンデュラ公爵家を継いだリシャールだ。
「リシャール、あとは頼んだぞ」
「お任せください。実家の方は弟たちが引き継ぎますし、何も問題ないですよ」
「そう言ってもらえて安心したよ。私は明日にでも帝国に向けて出発をする」
「手配はできていますよ」
イヴェンヌとヘルメニアが帝国に向かうときに一緒に行きたかった。
だが、行けば領民は路頭に迷う。
一週間やそこら留守にするのではない。
自分たちのわがままで民を振り回すことはできない。
「あっ」
「どうした?」
「母から伝言を預かっていたのを忘れていました」
「伝言?」
「はい。『二度と帰って来るな』です」
「ふふ、姉上らしい」
豪快で今回の亡命に付いて行かなかったことへの恨み言をずっと言われた。
領主が民を見捨ててはいけないことは分かっている。
それでもその伝言をリシャールに託したということは優しさなのだろう。




