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咎められることなく、手紙は帝国に向けて出発したころに、ルシャエントの出兵の支度が整い、盛大に送り出されることになった。
規模としては、中隊ひとつと小隊みっつの模擬演習クラスだが、ルシャエント本人は国を挙げての出兵の気分だ。
馬に一人で乗れないから神輿の上に乗って出発する。
それを窓から眺めているベリセーは早々に失敗する方に賭けていた。
「ろくに剣も振れないお坊ちゃまが猛者ぞろいのスンガルの民を退けられるとは思えないけどね」
スンガル山岳は岩肌がごつごつしており、馬を扱うのも熟練の技が必要になる。
昨日今日、練習したレベルの者が進めるような甘い山ではない。
そうなると必然的に平坦な谷底を進むことになるが、それはそれで狙いうちされる。
ベリセーの予想通りに、隊は死者ゼロの怪我人多数の無傷者一人という戦果で帰って来た。
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「どういうことだ」
ルシャエントは部屋で一人、結果に納得がいかないと騒いでいた。
スンガル山岳の入り口までは順調だった。
神輿から馬車に変えて楽に進んでいた。
陣頭指揮を執るために馬車から馬に乗り、そのまま進むことを指示した。
「進め!」
歩兵に騎馬隊と本格的な装備で進み、人数だけで言えば圧勝できるほどの戦力の差があった。
だが、戦い方というものを知らないルシャエントはそのまま猪突猛進に進んだため谷底で上からの攻撃に撤退を強いられた。
「いたっ」
「うわっ」
「何があった?」
「投石です」
一人馬車に乗って守られていたルシャエントは石に当たることなく、そして隊員はすぐに引き返すという無様な結果になった。
いかにも進撃しますという隊を見つけてスンガルの民は死人を出したら面倒だなという考えから投石と言う攻撃を選んだ。
米粒くらいの石なら当たっても怪我で済み、よほどでなければ死なない。
「おい、どうして戻っている?早く進め」
「無理です。石が雨のように降ってくる中を無防備に進むことは自殺行為です」
「何を言っている。それでも騎士か!?いいから進め」
一人で馬にも乗れないルシャエントは馬車に乗って無傷で生還した。
幸い死者が出なかったため、この出兵は極秘のものとして無かったことにされた。
「死者がいなかったことがせめてもの救いでございます」
「なら、次の新しい隊で出発できるように手配しろ」
「それは国防に関わりますので難しいかと」
この出兵で死者がでない訳は、死体が谷底にあると運行の妨げになるというスンガルの民の切実な理由が背景にある。
進撃して来た王国軍が遺体を引き取りに来ないから、死者を弔うのは、必然的にスンガルの民だ。
岩石が多い山で掘り起こせるところなど限られているので、できるだけ墓は作りたくないという思いから生かして返している。
何十年か前には遺体を丁重に国境まで運んで返したという逸話がある。
「どうにかして僕の戦果を立てろ。このままでは父上に見限られてしまう」
もうすでに周りからは見限られているのだが、そこには思い至らない。
まだ自分が次期王だと信じて疑っていない。
「そうだ。ベラはどうしている?」
「お部屋で王妃教育を受けてございます」
「お腹に子がいるのだぞ。根を詰めさせても良くないだろう。休憩させろ」
「かしこまりました」
ベラの家庭教師は金さえもらえれば、どんなことでもする。
急に休憩だと言われても特に思うことはない。
むしろ覚えの悪いベラから離れられることに喜んでいる。
「ベラ!」
「ルーシャ様、もうお戻りなのね」
「あぁ、使えない隊員たちのせいで撤退することになった」
「まぁ」
確かに今回、集められた隊員はほとんどが平民で家のために軍に入っている者が多い。
だが、それでも軍の厳しい訓練に耐えているのだから、それなりの強さはある。
すべては準備不足の中の無作戦の結果だ。
ルシャエントが撤退したことは王と王妃の耳にも入っているが、次の出兵に意欲を燃やしているという報告とここで親が手を出してはルシャエントの手柄にならないと一歩引くことに決めた。
そのせいかルシャエントはなかなか次の出兵の日取りを決めようとせず、ベラとばかりいるようになった。
そんな中、ルシャエントが帝国に出すようにと言った手紙の返事が帝国より届いた。
帝国からの手紙と聞いて王妃はドラノラーマからの手紙だと思い、ルシャエントはイヴェンヌからの手紙だと思った。
だが、その両者の思惑とは反対に王宛てで、差出人は皇帝だった。




