異世界生活、始まると思ったんだよぉ!!(1回目
前回終わりに出てきた男子視点。
彼、俗に言う…異世界勇者です。
光に飲まれた、という感覚が最初だった。
次に意識が戻った時、足元には幾何学的な魔法陣。視界いっぱいに広がる石造りの天井と、過剰なほど整えられた広間。空気は重く、妙に澄んでいる。
そして、見知らぬ人間達。
王冠を戴く者、鎧を纏う者、祈るように立つ者。
その中心に、自分が立っていた。
状況を理解するより先に、喉から間の抜けた声が漏れる。
現実感が薄い。夢にしては妙に細部が鮮明で、冗談にしては揃いすぎている。
周囲が動く。
安堵の息、確認の声、成功という単語。
誰かが「勇者」と言った気がした。
その言葉だけが、妙に耳に残る。
続いて語られるのは、この世界の説明だった。
魔界という領域の存在。
魔物と呼ばれる存在。
人類と魔界の長い対立。
そして、均衡の変化。
そして――魔王の代替わり。
そこで空気が変わる。
周囲の緊張が一段階だけ上がるのが分かる。だが、不思議なことに「倒せ」とは誰も言わない。
代わりに出てくるのは曖昧な言葉ばかりだった。
変化。兆候。観測。均衡。
討伐ではなく、確認。
排除ではなく、把握。
静かすぎる、と王は言った。
魔界は動いていないようでいて、内部では変質している可能性がある、と。
だから勇者を呼んだのだと。
――調査のために。
その説明に、ようやく少しだけ実感が追いつく。
勇者召喚。
異世界転移。
物語でしか知らなかった現象。
……現実として存在するらしい。
だが同時に、妙な違和感もある。
想像していたものより、ずっと事務的だ。
世界の危機というより、未確認領域への派遣に近い。
そして、その“魔界”という場所の印象は、あまりにも一方向的だった。
危険。未知。脅威。
それ以上でも以下でもない。
それでも、どこかで微かに期待している自分がいる。
物語のような冒険を。
分かりやすい敵を。
分かりやすい答えを。
その感情に気付いた時、自嘲気味に息を吐いた。
王は淡々と続ける。
派遣の準備は既に整っていること。
詳細な支援は現地で行うこと。
魔界側の詳細情報は限定的であること。
そして、現時点で最も重要なのは――生存であること。
「……生存?」
思わず聞き返した言葉に、明確な答えは返ってこなかった。
それが逆に、現実味を増幅させる。
ここから先は、誰も保証していない。
そんな空気だけが確かにあった。
説明が終わると、時間は驚くほど早く進んだ。
準備と呼ばれるものは最低限で、儀礼的なものに近い。
見送りの言葉、形式的な激励、そして静かな沈黙。
その間、自分の思考は妙に現実的だった。
逃げるという選択肢はない。
拒否という概念も、既に過去のものになっている。
ならば残るのは一つだけだ。
――行くしかない。
そう整理された思考の中で、ふと視界に風が差す。
前髪が目に落ちる。
何度か無意識にかき上げたそれは、いつの間にか視界を遮る癖のようになっていた。
少しだけ鬱陶しい、と感じる。
考えずに制服のポケットへ手を入れた。
そこに指先が触れる何かがある。
柔らかい輪。
布製の小さな輪っか。
いつかの制服検査の時、たまたま並んでいた保健委員から渡されたものだった。
「切るか、纏めるかしてください」
そんな事を言われた気がする。
そのまま、使わずにいた。
理由は単純だった。
気恥ずかしかった。それだけだ。
だが今は、少し違う。
鬱陶しさに小さく息を吐き、前髪をかき上げる。
そのまま、自然な流れで髪を後ろへまとめる。
手元は迷わない。妙に慣れている自分がいる。
結び終えた髪を軽く払うと、視界がわずかに広くなった気がした。
――案外、悪くないのかもしれない。
そう思った瞬間、自分でも理由の分からない納得があった。
世界が変わったからなのか、自分が変わったからなのかは分からない。
ただ少なくとも、今は前が見えている。
それで十分だと思った。
…………異世界生活、始まると思ったんだよぉ…




