誠実な狂気
ナカジマは、いつもの位置に立っていた。
人が行き交うセーフティゾーン、その端っこ。
壁にもたれて。
腕を組んで。
背中を預けて。
一見すれば、ただの待機中のプレイヤーだ。
無表情。
無反応。
無関心。
――そう見える。
けれど。
その視線だけが、異様だった。
どこにも向いていないようで。
どこにも逃げていない。
ただ、一点に縫い留められている。
(……また、あいつか)
少し離れた場所。
ユキの前に、agjtmが立っている。
距離はある。
一歩分。いや、二歩分。
近すぎない。
触れていない。
笑い合ってもいない。
ユキは腕を組み、わずかに体を引いている。
明らかに警戒している態度。
拒絶寄り。
防御寄り。
(……なのに)
それでも。
話している。
(……なんでだよ)
胸の奥で、低く声が鳴る。
(なんで、話してんだよ)
(嫌なら、無視すればいいだろ)
(視線も合わせなきゃいいだろ)
なのに。
ユキは、返している。
短く。
そっけなく。
面倒そうに。
「……別に」 「……そういうの興味ない」
冷たい声。
突き放すような口調。
けれど。
――遮断じゃない。
(……会話してる)
(切ってない)
(ちゃんと、繋がってる)
それだけで、胸がざわつく。
皮膚の下を、虫が這うみたいに。
(……俺には)
(あんな態度なのに)
(俺には、もっと距離取るくせに)
(あいつとは……話すんだ)
agjtmが、少し身を乗り出す。
ユキが、反射的に一歩引く。
距離を取る。
正しい。
賢い。
安全な選択。
なのに。
ナカジマの胸は、締めつけられる。
(……それでも)
(それでも、近づいてる)
(関わってる)
(俺以外と)
喉が鳴る。
無意識に、唾を飲み込む。
(……殺したい)
一瞬。
刃物みたいな思考が浮かぶ。
すぐ、叩き落とす。
(ダメだ)
(ユキが嫌がる)
(そんなことしたら、終わる)
(全部、終わる)
理性が、必死に抑え込む。
(……俺は)
(何もしない)
(邪魔しない)
(壊さない)
(見てるだけ)
(それでいい)
(それでいいんだ)
何度も、心の中で繰り返す。
祈りみたいに。
呪いみたいに。
そのとき。
ユキが、ちらりとこちらを見る。
ほんの一瞬。
視線が絡む。
ナカジマの心臓が跳ねる。
条件反射みたいに。
すぐに、逸らす。
何事もない顔で。
いつもの無害な仮面。
(……見たよな)
(俺が見てるの)
(分かってるよな)
(それでいい)
(それで……いいんだ)
胸の奥は、ぐちゃぐちゃなのに。
外側は、静か。
完璧な擬態。
(……今日も)
(可愛い)
(警戒してる顔も)
(嫌そうな顔も)
(困ってる顔も)
(全部……)
(全部、可愛い)
喉が詰まる。
息が浅くなる。
(……無理だ)
(好きすぎる)
(もう……無理)
agjtmが去る。
背中が、人混みに溶ける。
ユキは、小さく息を吐いた。
ほっとしたみたいに。
ほんのわずかに、肩の力を抜く。
その仕草だけで。
ナカジマの心が、救われる。
(……よかった)
(触ってない)
(越えてない)
(距離、守ってる)
(……まだ)
(まだ、大丈夫)
でも。
胸の奥で、別の声が囁く。
(……でも、嫌だ)
(いつか、来る)
(あいつも)
(もっと、近づく)
(俺みたいに)
胸が、ずきりと痛む。
焼けるみたいに。
それでも。
ナカジマは、動かない。
割り込まない。
声をかけない。
存在を主張しない。
ただ。
ただ、見る。
(……俺は、ここ)
(ここにいる)
(誰よりも近くで)
(誰よりも遠くから)
(ずっと)
静かに。
誠実に。
異常なほどに。
それが、自分の愛し方だと。
もう疑いもしないまま。
今日2話更新です。




