10. 地獄の残暑 vs 闇の魔人
高円寺の駅までは、のんびり歩いても十分程度だ。
しかし夜行性の魔人に対して、午過ぎの太陽は思った以上の痛打を、ビシバシ、ビシバシ、ビシバシッ!! と与え続けたのであった。
そして日中マジでひさびさ衆目に姿を晒すこの感覚は、パジャマで街中を歩くくらいの羞恥プレイなのだ。
それも決してご褒美などではなく、ただただふつうに恥ずかしい。
他人なんかがニートの自宅警備員がどーのなどと、ほんのこれっぽっちも気にしないってのは頭では判ってる。
充分過ぎるくらい承知している。
けれど、何気ないパンピーの視線が破壊光線となって、俺の玻璃心臓を全力でブチ壊しにかかってくるのだ。
だって今日は平日だぜ?
誰か知ってる人間にばったり出くわしたなら、何もしないでフラフラしてるってのがバレるかもってなわけで………いや、それすら実は相手にとって、ホントどーでもイイことぐらい、分かっちゃいるんだけど、自分にとってはやっぱ痛い。痛いんだよぉ~~!
だがしかし、この猛烈な暑さが、逆に幸いしたのである。
拗くれまくった心理的問題を、物理的なそれが凌駕するに至り、ちっとばかり、もうどうでもいいか~ってことにしてくれているのであった。
「あぢぃ~~~」
まだ秋分前の天然殺戮太陽光線が両の眼を射り、背中をじりじりと焼き焦がす。
どうやら俺さま、ガチでヴァンパイア属性が芽生えてきたらしい。
だが今は紅き血への渇望より、蒼き冷気への希求だ。
五分ほど歩いただけで、エアコン結界の外に出たことを日本海溝より深く後悔する、ヘタレ仮性ヴァンパイアである。
(疾く立ち去れ過ぎ去りし夏の残滓よ! これ以上古き血の継承者たる我に、仇なすこと厳に許さじ!)
心に詠唱する厨ニの咒も虚しく、残り過ぎたあの夏の日の舗装路の照り返しが、俺の正常な判断力をサクサクっと刈り取っていく。
「あぢぃ~~~」
九月でさえこれなのだ。
この夏は日中まったく外出せずにいたのが、大正解だったと改めて確信する。
八月の俺さまグッジョブ!
そしてやっとコンビニにたどり着いた俺は、ゴミ箱に不気味人形を放り込んだ。
東京のゴミ箱はオウム真理教のサリン事件以後撤去され、見られなくなっていたというが、最近少しずつ復活している気がする。
「ふう……」
もしかしてこの人形が母さんに突然目覚めた、謎の別キャラ人格サリーちゃんの仕業だったとしても――もうこれで大丈夫だろう。
ついでにコンビニの水属性結界に入り、今どきテープで閉じられていない貴重なマンガ雑誌をペラペラと立ち読みして鋭気を養う。
(我はナイト・ブリード、夜を統べる血族である。地獄のごとき灼熱の白日に活動せしおりには、小まめな休息と水分補給を、極めて意義深き儀礼として重んじる、翳に棲まう者である)
金が無いので、水分は腰の水筒の麦茶だが――その麦茶を一口飲んで、また無慈悲なる太陽神の眼差しの下を歩き出す。
「キッス、キッス、チョッコ、チョッコ~
ビッテ、ビッテ、エッセ、エッセ~」
学校が終わった小学生たちがキス・チョコのCMソングを歌っている。頭に残るのは俺だけじゃないようだ。
どうやらお茶の間にも一色あやは入り込んでいて、すでに知名度はかなり上がっているということか。
しかし、甘いな小坊……最後は、「エッセ、エッセー」じゃなくて「エッセ、エッセーン」だぞ。
意味知らんけど。
にしても自宅警備員たちだけが知っていた秘密の宝物が、皆の知るところとなるってのは喜ばしいことなんだが、独占できなくなった喪失感もちょっとばかりある。
(ああ、判るとも、同志諸君も皆そう感じていることだろう。あの頃は良かったと……)
JRの高架線をくぐると、アーケードになっているパル商店街のゲートが現れる。
昨日というか今朝というか、夢に出てきたあのアーケードだ。
緩やかな坂を少し下って行ったところに、例の事故現場があるはずだ。
高円寺は古着やエスニック系の雑貨店が多くて、今では小洒落た街として知られている。
昔はそんなでもなく、オヤジ臭い飲み屋が多い、野暮ったい町だったんだけどな。
そんなエスニックな店の前で警官が二人、誰かと言い争いをしているじゃないか。
「何だ何だ事件かよ?」
(フハハハ、我が内奥に眠りし野獣魔の血が滾るではないか! のう、アルカードよ?)
見ると路上に拡げた民族っぽい敷物に、煙草のような箱がいくつも並べてあり、不格好な木の看板に[脱法ハーブ/美味しいクスリあります]とある。
オイオイ、これってマジアウトだろう。
ただでさえこないだ、まさにこの近くで、脱法ハーブ絡みの事故で人が死んでるってのに。




