悪役令嬢は失言を悔やむ
そ、それは、前世の私の心のバイブルの一ページ目に記されている、神漫画の名言を彷彿させる言葉よね!? 私、そんなことをカルヴィンに言って……あ、えっ、ま、まさか!
「え、カルヴィン様は、も、もしかして……」
「なんだ、今、気づいたいのか。そう、初対面のエリノア嬢から『なんだか石器時代で見かけるアレのようですわね! 棒に吊るされ、丸焼きされている子ブタさんですわ~。おーほっほっ!』って言われた子ブタくんだよ、自分は。ようやく思い出したか」
思い出し、驚愕した。
しばらく口をパクパクさせてしまったが、ようやく声を絞り出すと「も、申し訳ありませんでした!」と頭を下げ、謝罪することになる。心の中は、激しい後悔でいっぱいだ。過去の私はとんでもない失言を、カルヴィンに対してしていた。
でも、まさか、あの時の……。
そう。
あれは兄が寄宿学校に入学することになり、両親と共に、学校まで見送りした時のことだ。その時の私は、まだ子供だった。だが悪役令嬢気質は、既に発揮されている。というかメイドもその時からバッチリ、エリノアの気質をドレスに反映させてくれていた。つまり私は、ストロベリーのような、真っ赤なドレスを着ている。ちなみに兄は、寄宿学校の紺のブレザーにチェック柄のズボンという制服姿だ。
ブラウンのスーツを着用した父親、クリーム色のドレス姿の母親と四人で、正門に降り立った。寄宿舎は、学校の敷地内にある。荷馬車はそのまま従者をのせ、寄宿舎へ向かっていた。荷物の搬入は、彼らが行うことになっている。
両親は兄と私を連れ、構内の散策を始めた。
私達が帰ったら、兄はたっぷり時間がある。正直、兄に散策などいらないはずだった。どちらかというと両親がこの機会に、学校の様子をよく見たかったのだと思う。そしてそのような考えを持つ親御さんは、結構いるようだ。散策開始早々、両親は知り合いの伯爵家の夫妻に出会い、立ち話を始めた。そこは渡り廊下で、すぐそばに中庭がある。兄と私は中庭に出て、白いゼフィランサスの花、こんもり咲いたピンクのカルーナの花を、眺めていた。
すると。
中庭の中央にある池に、不思議なものが映りこんでいる。
風もなく、波も立つことがない池には、周囲の木々が映りこんでいた。だがその木に、不思議なものがぶらさがっている。
木の枝に、両手両足でぶら下がるその姿は……。まさに焚火の上で見かける、丸焼きの子ブタのような姿だ。そんなポーズをしている男子が、そこにいたのだ。兄と同じ、白のシャツにチェック柄のズボン。でもネクタイとブレザーは、木の根元に脱ぎ捨てられ、上は白いシャツのみだ。
何をやっているのかしら?
「どうしたんだ、君?」
兄が問いかけると、その少年はトホホな声で、こう打ち明けた。
「木から降りれらなくなっている子猫がいて、助けようとしたんだ。子猫はさっき、自力で木から降りた。今度は自分が……こんな状態になってしまった」
子猫を助けようとした立派な少年なのに! でも当時まだ子供であり、悪役令嬢気質の私は、あの言葉をのたまったのだ。
「なんだか石器時代で見かけるアレのようですわね! 棒に吊るされ、丸焼きされている子ブタさんですわ~。おーほっほっ!」
悪気はない。見たままを表現しただけだ。でもヒドイ言い草だと思う。
今さらあの時の少年と、再会するとは思わなかった。かつ、木から降りれないと嘆いていたとは思えない程、立派に成長しているなんて! それどころか“推し”として密かに愛でているカルヴィンが、まさかのあの少年だったとは!
「本当に、本当に、申し訳ありませんでした!」
まさに土下座するぐらいの勢いで再び頭を下げると、カルヴィンは朗らかに笑っている。
兄が青虫から蝶に成長していたように、こちらも蛹から立派なクワガタに成長していた。
「そんなしおらしく謝るな。丸焼きと揶揄されたが、確かにあの時の姿を見たまま表現したら、そうなる。それにその後、エリノア嬢は、奮闘してくれたではないか。可愛いドレスがびしょ濡れになるのを構わず、池に落ちた自分を助けるために」
それは確かにそうだった。だって間に合わなかったから……。
兄は、はしごを求め、急ぎ用務員室に向かった。
だが当時のカルヴィンは、今のような立派な体躯ではなく、体力もない。まだ騎士でもない、ただの学生。腕力も握力も、限界に達してしまう。すなわち兄が戻る前に、そのまま木から池へ、ドボンと落ちてしまった。
人が木から落ちる瞬間、しかも池に落下する姿を見るのは、初めてのこと。とても現実のこととは、思えなかった。とにかく慌てて木の棒を手に、池の中へ入り、棒に掴まるよう叫んだ。この様子に両親や他の貴族、学校の職員が何かが起きていると気づいてくれた。おかげでカルヴィンはすぐに救出され、事なきを得たが……。
「保健室に、運ばれただろう? エリノア嬢も自分も、怪我などしていないのに、ベッドでしばらく休むことになった。あの時、自分は恥ずかしさでいっぱいで『どうせ自分は騎士になんて向いていない』と落ち込むことになった……」
腕力も握力もないカルヴィンは、それでも騎士科の学生として、あの学校に入学していた。
だが入学早々、醜態をさらし、もう恥ずかしさでいっぱいだったという。
そんなカルヴィンに、年下なのに私は、随分偉そうなことを言っていた。
「騎士になるために、入学されたのでしょう? 騎士として入学したのであれば、あれぐらいで池に落ちては、ダメダメかもしれませんわ。でもこれからですわよね? あなたはまだ、騎士ではないのだから。これからもっと力をつけて、運動神経をよくして、剣術の腕も馬術の腕も、磨いていくのでしょう? 何も始まっていないのに、はなから諦めたら、ダメではなくて? 人間、何事も諦めたら、そこで終了ですわよ。私が尊敬する方は、そうおっしゃっていましたわ。そしてそれが、私のモットーですから!」
私自身、些末な部分は忘れているのに。カルヴィンは一字一句たがわず、当時の私の言葉をしっかり覚えていた。これには変な汗が噴き出す。彼はとても記憶力がいいのだろう。
これは記憶力だけでは片付けられない。きっとそれだけ、当時のカルヴィンに、インパクトを与えたのだろう……。
これにはもう、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
まったく、私自身は、騎士としての心得も能力もないのに、何を偉そうに言っているのだろう。しかも上から目線。ただ……。
――「人間、何事も諦めたら、そこで終了ですわよ」
これはもう本当に。神様の言葉だと思う。いつだって、どんなことだって、そうだ。
辛い、逃げたい、もう無理――妃教育の日々は、毎日こう思っていた。私の場合は、物理的に逃げるわけにもいかず、最後の方は、しぶしぶこなしたわけだけど……。ゴールした時の達成感は、半端なかった。あの喜びは、努力の分だけ、大きくなると思う。
例えそうではあっても。それ以外は……。
「過去に戻れるなら、偉そうな口をきくのは止めなさいと、叱りたいところです」
「その必要は、ないと思うな。自分の今があるのは、エリノア嬢のおかげだ。もしあの時、エリノア嬢に会わず、ドボンと池に落ちていたら……この世界から消えていた可能性だってある。命の恩人だ。それに騎士になれたのは、エリノア嬢に鼓舞されたからだと思っている」
快活に笑った後、カルヴィンはぽすっと私の頭に手をのせ「今度は自分の番だ。エリノア嬢に恩返しをしたい。そしていつかきっと……いや、近い内に、な」と、何だか謎解きのような言葉を口にする。
そんな会話をしているうちに、屋敷に到着した。
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続きは明日、13時までに『悪役令嬢は大興奮する』を公開します。
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