第40話 悲しすぎるので帰ります!
鬼幻楼が崩れ落ちた後、ルッタはしばらくの間その場で泣き続けていた。
「ひっぐ……うぅぅ……っ」
空はすっかり茜色に染まっている。
やがて、彼は涙を袖でぬぐって立ち上がった。
「分身の術の秘伝書は手に入ったので……良しとします! ついでに、リリア姉さまに渡す精霊石も入手できました!」
そして、懐から秘伝書と精霊石を取り出して呟く。
「目的は達成です……!」
ルッタの表情はどこか寂しげかつ誇らしげであった。複雑な気持ちを抱えているのだろう。
「そなた……これからどうするつもりだ?」
そんな時、不意にユキマルが問いかける。
「行く当てはあるのか?」
どうやら、彼のことを鬼に家族を殺された孤児だと思っているようだ。
「もしないのであれば、私のところに……」
「いえ、リゼリノ王国にお家があるので、帰ります!」
ルッタは心配してくれたユキマルの誘いをあっさりと断り、アステルリンクを取り出して起動する。
「何となく感じてはいたが……そなた、異国の者であったか」
「そういうことになりますね! 不思議と、この国の方が懐かしさを感じますが!」
一応は元気を取り戻したらしく、ルッタは笑顔で答えた。
「えーっと……僕の家は確か……」
それから彼は、アステルリンクに視線を落として操作を始める。
「……その奇妙な箱、屋敷を脱出する時にも使っていたが……一体なんなのだ?」
ユキマルは純粋な好奇心からそんな質問をした。
「これはですね! アステルリンクといって、好きな場所に一瞬で移動できるとても便利なアイテムなのですよ!」
「そ、そんなことができてしまって……よいのか……?」
「よいのです!」
ボタンを操作しながら、自信満々に断言するルッタ。
「――もちろん、ユキマルの本拠地であるタヌキ城にも一瞬で行くことができますよ!」
「そ、それは……よくないぞ……!」
一方、とんでもないことを言われたユキマルは明らかに困惑していた。
「そのからくりに不思議な力が備わっていることは認めるでござるが……おかしなことを言ってユキマル様をからかわないで欲しいでござる!」
彼の話をあまり信じていないオボロは、訝し気な表情をしながら忠告する。
「本当のことなのですが……」
「だいたい、ユキマル様は拙者が背負って城まで送り届けるのでござるよっ! それが忍びとしての務めでござる!」
「でも、アステルリンクを使えば一瞬ですよ?」
「務めでござるっ!」
そう宣言するオボロの意思は固そうであった。
「……分かりました。では、僕はこのまま帰りますね!」
ルッタは言いながら、転移先をアルルー邸を選択しようとして一度動きを止める。
「――そういえば最後に一つ、ユキマルたちにお願いしておきたいことがあるのですが……」
どうやら、何か伝え忘れていたことを思い出したらしい。
「……申してみよ」
「実を言うと、今からおよそ三年後――聖歴三千九百九十九年の末に世界規模の大災害が起こる予定なので、気をつけてください!」
「……大災害だと?」
「はい! 魔王とか魔獣とかがたくさん復活して世界が滅びます! このままだと、すごく大変なことになるのです!」
「は……?」
さらりと伝えられた荒唐無稽な話に、場の空気が一瞬だけ凍りつく。
「る、るっ太……またそのような冗談をユキマル様に……!」
「冗談ではありません! これは本当のことなのです!」
「………………」
そう言われたオボロは、口を閉ざす。
少なくとも、彼自身は本気で世界の滅亡を信じていることが眼差しから読み取れたからだ。
「……だから、なるべく話を広めてくれると嬉しいのです! ルートが変われば、僕の生存率が上がるかもしれないので!」
「しかし、仮に本当だとして……そなたはどうして大災害を予言できるのだ……?」
不思議そうに問いかけるユキマル。彼も半信半疑といった様子だ。
(見たところ、るっ太は純粋だからな。悪い大人に騙されたのやもしれぬ。……かわいそうに)
というよりも、哀れみの視線を向けていた。
「聞きたいですか!? 話せばとても長くなるのですが……!」
対して、ルッタは目を輝かせながらユキマルに詰め寄った。
「…………っ!?」
その時、ユキマルの背筋に寒気が走る。
――彼の言葉を深く追求してはいけない。神子としての直感がそう告げていた。
「……いいや、私は知らなくていい」
「そんな……っ!」
世界の真実を教えようとしたのにも関わらずあっさりと断られ、落胆するルッタ。
かくして、ユキマルは発狂を免れたのであった。
「……だが、その話は覚えておこう。広めるのは……やめておいた方が良いと思うが」
「拙者も同感でござる」
(うーん、やっぱり子供には理解するのが難しい話みたいですね! ……となると、広めてくれそうな大人を頼るしかありません!)
――この決断が後にルッタの運命を大きく動かすことになるのだが、それはまだ先の話である。
「それでは、伝えたいことも言ったので、そろそろ帰りますね!」
ルッタが改めて行き先をアルルー邸にすると、彼の体がまばゆい光で包まれた。
「……もし、そなたが本当にタヌキ城へ来られるのであれば……好きな時にいつでも訪ねると良い。――その時は歓迎する。命の恩人だからな」
ユキマルはそう言ってほほ笑む。
「お城の宝箱は開けてもいいですか!?」
「それは許さぬ」
ルッタの提案はあっさりと却下される。
「なんと……っ!」
かくして、ルッタはショックを受けた顔をしながら消えていくのだった。
「……不思議な少年だったな」
残された余韻の中で、ユキマルはぼそりと呟く。
「あ、あれを不思議で済ませて良いのですか……?」
オボロは思わずそう言った。
「さて、私たちも――」
しかし、平和な空気はすぐに一変する。
「うっ……!」
突如としてユキマルが口元を抑え、その場に膝をついて嘔吐したのだ。
「ユキマル様っ!?」
オボロは慌てて駆け寄り、彼の背中をさする。
「父も……母も……私の、目の前で殺された……っ」
その声はかすれ、体は震えていた。
気丈に振る舞ってはいたが、心に限界が訪れてしまったのだろう。
「私はこれから……田貫の国を背負っていかねばならぬ……っ」
それは、幼い少年が背負うにはあまりにも重すぎる責任であった。
「拙者が……ずっと……お側で支えます……ユキマル様……っ!」
「……ありがとう、オボロ」
ユキマルはそう言って、ふらふらになりながらも立ち上がる。
「――帰ろう」
……彼らの問題は何も解決していないが、ひとまずルッタは分身の術を手に入れることに成功したのだった。
――ちなみに、帰還したルッタはその日のうちに嬉々として分身の術を使って屋敷を抜け出したのだが……代わりに夕食をとっている予定だった分身の方も脱走してしまったらしく、結局怒られることとなった。
彼が身につけるべきなのは分身の術ではなく、忍耐力だったのである。
また、二人揃って夕飯を食べなかったので、分身を解除した時に空腹で倒れてしまったことは言うまでもない。




