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鉄の乙女

 裁判資料を読み終わった先生は、ため息をついた。

「この裁判を落としたのかね。これはもはや才能だな」

 周囲からは強気と思われている私でも、さすがにこれは堪える。


 あの忌まわしい裁判のあと、私は法律学校で指導教授だったサンレット先生を訪ねた。先生は現在は法務卿の相談相手である法務局非常勤顧問を勤めている、法曹界の重鎮だ。

 仕事でなにかに行き詰まったとき、私は尊敬する先生に指導を仰いでいる。


「相手には落ち度があり、こちらには全くない。これで争う余地があるとしたら慰謝料の金額の端数ぐらいだ。それなのに、婚約の継続という相手の希望を通してしまった」

「婚約の継続を望んだのは依頼人本人です」

「では君の冒頭弁論は何なのかね。婚約破棄と慰謝料の支払いを主張しているではないか」

「それは……依頼人の父親の希望に基づくもので……」

「君は誰の味方なのかね。依頼人か、それともその父親か」

 この言葉は私の胸に重く響いた。裁判所でガスに言われたのと同じだ。

「それに初日の失態も見過ごせん。こんなのは十年に一度の珍事だぞ」

「まさか依頼人の父親が不正をするとは思いませんでした」

「私は学校で教えたはずだぞ。『依頼人は嘘をつく』とな。女性で堅物のヴィエンヌ判事は味方にできたはずだったのに、これで敵に回してしまった」

「それには不運もありました。まさか新聞に依頼人が写っていて、それが相手の弁護士に見つかるとは思いもしませんでした」

 先生はもう一度、資料を見た。

「相手の弁護士はマノワ君か。君は筆記試験では常に彼に勝っていたが、実技試験では一度も勝てなかったな」

「……はい」

「そして今の彼は法廷弁護の専門家だ。法廷戦術に限れば、君とは格が違う。君は不運だと言ったが、相手が彼ではそれで片付けるのは無理がある」

 それは私も思った。だから裁判所で詰め寄ったら、あの反撃(カウンター)を食らった。

「もっとも実技で勝てなかったのは、君だけではなかったな。相手の心理を正確に読んで、的確に最善か次善の手を打ってくる彼の才能には、私も舌を巻いたものだ」


 学生時代、私はどうしても実技で彼に勝ちたかった。だがいくら勉強してもそれは叶わないことは明らかだった。だから身分の違いを気にしないふりまでして、彼に接近した。

 私が表面上は彼に友情を示せば、彼も表面上は私にそうした。だが私が彼に対してそうであったように、彼も私に対して本物の親愛の情は抱かなかった。傍目には私たち二人は友人で善きライバルに見えただろうが、私の心の奥底は、そんな綺麗なものではなかった。たぶん彼はそれも見抜いていただろう。私と彼の距離感は、一つの物差しでは計れない、複雑怪奇なものになってしまった。

 私は使用人を使って、彼の周辺や過去も調べさせた。その結果は驚くべきものだった。彼は一時期マノワール伯爵家の養子だったが、その立場はきわめて難しいものだった。彼は子供の頃から周囲の大人を観察して、上手く立ち回ることを強いられたのだろう。


「だが相手が悪かったで、この裁判を片付けることはできない。君自身の問題も大きい。さっき指摘したが、君のスタンスの問題だ。君は誰の味方だったのかね」

「依頼人の味方でいるべきでした」

「だとすると、君はどうするべきだった」

「依頼人と会えるようになった時点で本人の希望を訊き、婚約の継続を前提に和解を目指すべきでした」

「正解だ。だが裁判が終わったあとでは遅い」

「はい」

「なぜそれが出来なかったのかね」

 私はその問いに答えられなかった。

「君が自身のつらい経験から、女性のために活動していることは知っている。弁護士という職業が、その活動の一環であることもだ。君のその志(こころざし)には私も敬意を払っている。だが活動家と弁護士は同一ではない。この二つが矛盾したとき、君の行動に綻びが出る。この裁判がまさにそれではなかったのかね」

「なにをおっしゃりたいのか、よくわかりません」

「賢明なはずの君がわからないふりをしている時点で答えているようなものだよ。『約束を破るような男との婚約は破棄するべきだ』君は依頼人のことを考える前に、自身の経験からそう考えて行動したのではないのかね」

 やはり私は答えられなかった。

「普段の君は二つの顔を上手く使い分けている。だがそれが許されない場面がときにはある。そのときどうすべきかは、私も答えを持ち合わせていない。私は弁護士だが、活動家ではないからね。弁護士としての正解は答えられるが、活動家としてのそれは私にはわからない。君はパイオニアとして、自分自身で答えを見つけなければならない」

「……はい」

「世間からは法曹界の重鎮などと言われているが、これが私という年寄りの限界だ。新しい時代の法曹界は、君たち若い世代が創ってほしい」

ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました。

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